風習と慣れの怖さ
ども米ジルシです🌾
日々お金の勉強、NFTの勉強、社会の勉強、色んなことを学んでる毎日ですが、本を読んでるうちに気づいた事がありました。
結論から言うとそれは刷り込みとか風習、慣れって怖いなって思った事です。
僕はとある山奥の町、人口一万人程度の町村が産まれなんですが、春になると子供達が集まってお祭りの準備をするんです。
子ども神輿っていうんですが土台から基礎を作ってその時の流行りのキャラクターとかをモチーフに作るんですよ。(覚えてるのだと、トイ・◯トーリー流行ってたのでバズ・◯イトイヤーとか笑)
大体1ヶ月〜2ヶ月ぐらいかけて作るんですが、最終的には祭り当日にコンテストみたいに優秀賞とかもらえるので俄然みんな頑張るんですよね😤
で、完成したら祭り前日、当日に地域内の家々を回って「お金」を貰うんです。
そう、「お金」です笑
他の地域でももしかしたらこう言う風習あるかもしれませんがおそらく完成したからおめでとうとか、長く頑張ったねよく作ったねとかの労いのお金だったのかもしれません。
その時は小1〜中3までずっと当たり前のことだったので春になったら小遣いもらえる!🤑って気持ちしかなかったですねw
小4の時かな?いつも通り神輿を完成して、地域の家々を周っていた時でした(ここで考えてもちょいおかしいと思わないですか?集金とかじゃなく、ただお金もらいに回るとか、子供の皮被ったカツアゲ集団ではないかと笑)
とあるお家でお披露目の挨拶をしようと呼び鈴を鳴らしたら、出てきた人が不機嫌そうにお金を渡してきて僕達の去り際に「もう来ないでくれる?!」って叫んで家に入っていきました。
子どもながらに、よく知らない人から怒られる衝撃と怖さを覚えたのはこのときでしたね。
その後の僕らの会話といえば…
「あの家めっちゃ文句言って来たよね、ヤバいよね?」
「俺らあいさつしてるだけなのになんでそんな事言うんだろ。怖。」
でした。
うーん…ねぇ…どうなんでしょうね🤔
確かにまだ世界も社会も知らない、小学校と地域だけの小さなコミュニティでしか形成されない社会性ですが、これは今になってですがなかなかクセ強い考え方が染み込んでしまってるなと…💦
後々知ったのですが、その方はどうやら都会から越してきた方。地域に根付く風習とかも知らなかったようで…
わっしょいわっしょい!こんちはー!!
みこし完成しましたーほらぜひ近くでも見てくださーい。写真もいいですよー。あ、楽しんでくれました?じゃっお金くれる?
ハワイとかアメリカで勝手にノリ良く写真撮らせてきて去り際にじゃあ楽しんだから出演料$20ね
って来る輩と同じじゃないですか?😅
アメリカのヤツならまだ跳ね除ければなんとか行けるかもですが、地域に根付く風習は…ご近所付き合いもあると大変なところもありますね〜
それはさておき、この小さな時から風習でも少しも理解せずに当たり前として受け取っていると、それが常識になってしまったという怖さを感じたと言うことです。
社会に出れば、お金のもらう大変さとか苦労とかそりゃもう十二分に味わいます笑
かと言って、子供には苦労させたくないのが親心ではあるのはそれもよーーーくわかります。
でもそれが風習だからとか地域の文化だから、だけで終わらせて行くのは慣れになってしまい、なかなか固執した考えのまま進んで行ってしまうのかなと感じました。
僕も自発的に今更勉強しだして気づいた事です、約28年もお金に関して無頓着、この上記に関する風習も聞かれれば多分
え?当たり前っしょ?
って返事してましたね😅
いかに勉強することの大事さを、こういうことを思い出すと感じますね〜。
テストでいい点取れる勉強じゃなく、暮らして行く上で考えなくちゃいけない勉強はこれからも続けて行き、子供たちにも出来るだけ享受していけたらなぁとやんわり思うここらへんで、締めようと思いますw
やーいつも長文になってしまう🙇♂️
まとまりのない文ですがここまで読んでいただき本当本当に感謝です🙇♂️
取り止めのないノートですがよかったらまたご覧ください🌾
それではまた!
Have a rice day🌾