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今だからこそアカペラーができると思うことをだらだらと書くよ。

ツイートだと長くなりそうなのでnoteに書く。でもいつものnoteのようにまとまった感じの文章にはならないと思う。深夜ラジオのようなテンションでだらだらと書いていくので、ご理解いただいた上で読み進めていただきたい。

はじめに

念のため、今回どういうことを書くかだけ触れておく。

言わずもがな、新型コロナウイルスの影響で、アカペラーをとりまくあらゆる活動が影響を受けている。僕自身も出演を予定していたライブイベントがいくつかあったが、いずれも中止・延期となり、それに伴いバンド練習が全て無くなった。まあ、なかなかにきつかった。

でもほどなくして、卒業ライブが中止になったり、サークル活動自体が禁止になったりして、自分以上にきつい思いをしているアカペラーがたくさんいることを知った。

たまたま自分は今社会人で、アカペラはあくまで趣味の一つとしてやっているに過ぎないが、朝から晩までアカペラ漬けだった学生時代の自分が同じ状況に立たされたら、果たして耐えられたのだろうか。別の世界線にそんな自分がいたら、今どういった言葉をかけられるだろうか。

ふとそんなことを思って、140文字には到底おさまりきらないぼんやりとした考えを書いてみよう、というのがこのnoteの趣旨だ。

僕の考えは少々楽観的かもしれないし、机上の空論かもしれない。「知ったような口を聞くな!」と思われるかもしれない。

でも、誰かがこのnoteを読んでくれたことで、何かを考えたり、自分の活動を見直すきっかけになってくれたらいいなと思う。

変わったことと変わらないこと

ご存知の通り、アカペラを取り巻く環境が一変した。その中にはネガティブな変化と、ポジティブな変化がある。

◆ネガティブな変化の一例
・集まって練習することができない。
・ライブやワークショップを開催できない、見に行けない。
・バンドメンバーと対面で話し合うことができない。

◆ポジティブな変化の一例
・多重録音による「1人アカペラ」を披露する人が増える
・アプリやツールを使った非対面でのアカペラセッションが盛んになる
・アカペラオリジナル曲の多録録音大会が行われる
・非対面で活動することが前提のバンドが現れる
・大人数でコラボしたアカペラ動画作品が複数公開される

この変化をどう捉えるかは個人の自由だが、一つ言えることは、これだけ大きな変化が起きても、「アカペラの活動自体は無くならない」ということだ。

※似たような話に、「ロボットやAIによって仕事が奪われても、仕事自体がなくなるわけではない」というものがある。たしかにロボットやAIによって奪われる仕事はあるだろうが、ロボットやAIを作ったり、調整したり、「そもそも我々の事業にはどのようなロボット・AIが必要なのか」を考えたりする仕事が新たに生まれるだろう。知らんけど。

ここまでが、「変わったこと」の話。では、変わらないことがあるとしたら、それは何か。

僕自身もまだあまり考えはまとまっていないが、一つ言えることは「魅力的なコンテンツに人が集まる」ということだ。

「魅力的なコンテンツ」の要素として、いくつか挙げるとすれば次のようなものがあるだろう。

1.視覚・聴覚への刺激が心地よいもの
 →見た目がいい、声がいい、綺麗にハモっている、など
2.発想力が豊かなもの
 →「1いいねにつき音符1つ置くアレンジ」など
3.人々の興味関心・問題意識をうまく捉えたもの
 →流行りの曲、時事ネタに絡めたものなど
4.価値ある情報を得られるもの
 →プロの音楽家によるオンラインワークショップなど
5.個人のリアルな想いが込められているもの
 →長文の所感をスクリーンショットして添付したツイートなど

※もちろんこれ以外にも「魅力的」と言える要素はあると思う。

そのため、今回の変化をきっかけに「オンラインセッションした動画を投稿しよう!」「過去の演奏動画をダイジェストにして公開しよう!」「オンラインイベントを企画しよう!」と思い立ったのであれば、上記のような要素を最大限発揮できる形式・伝え方でコンテンツを発信する必要がある。

せっかく心血を注いで企画・制作したものが、伝え方が甘いがために誰にも届かないのは非常にもったいない(このnoteもそうだが)。逆に良い伝え方をできたとしても、中身がたいしたことがなければ忘れ去られてしまう。

つまるところどうすればいいの

具体的にどうしろ、と言える身ではないが、アカペラ以外の「魅力的なコンテンツ」に目を向けることで「どういう形式で」「どのように伝えればいいか」のヒントが得られるかもしれない。

名曲はなぜ名曲と言われるのか。有名YouTuberの動画はなぜあんなにも再生されているのか。「ワンピース」はなぜこれほどまでに絶大な人気を誇る漫画なのか。そういったところに魅力的なコンテンツを作り発信するための手がかりが隠されていると思う。

また、「アカペラと全く関係のないもの」をアカペラとを掛け算することが、今までにないコンテンツを思いつくきっかけになるかもしれない。

たとえば「アカペラ×家事」、「アカペラ×エクササイズ」、「アカペラ×睡眠」など、なんでもいい。とにかく一度掛け算してみて、どんなコンテンツが生まれそうか、可能性を探ってみることが重要だ。

※身内ではあるが一例を挙げると、「アカペラ×茶」「アカペラ×酒」「アカペラ×グルメ」といった掛け算により唯一無二の存在感を放っている「茶Tea玉露ーん」という社会人アカペラサークルがある。Twitterアカウントではアカペラの話題よりも、中の人のオススメする茶・酒・グルメについてひたすら紹介しまくっているので、参考にはならないかもしれないがよければ一度チェックしてみてほしい。

とはいえ、今はなにもしないのもありだと思う

ここまで偉そうに書いてきたが、ぶっちゃけ、これを機に「アカペラと距離を置く」というのも一つの選択肢だと思う。

あえて「アカペラから離れる」ことにより、自分がアカペラに期待していることや、アカペラのどういう部分にやりがいを感じているか、さらにはアカペラの活動それ自体を俯瞰して見つめやすくなる。

その上で、「やっぱりアカペラがやりたい」と思えたのであれば、どういったやり方であれば自分がもっとも楽しめるのか、充足感を感じられるのかを考え、今できることを探せば良いし、「アカペラにこだわらなくてもいいか」と思えたのであれば、他の音楽活動や、音楽以外の趣味に手を出してもいい。

勝手に紹介させてもらうと、親愛なるアカペラ仲間、むろや氏も「アカペラと距離を置く」ことを選んだ一人だ。

彼がnoteの中で綴った「アカペラを取り除いたときに何が残るんだろう」という疑問は、まさしくこんな時でないと向き合えない問いだろう。

結局何が言いたかったの

本当にとりとめもない内容になってしまったが、僕がこのnoteで一番言いたかったのは、「今の行動が2週間後の生活を左右する」のと同じように「今アカペラにどう向き合うかが1〜2年後のアカペラ活動を左右する」ということだ。

僕自身も悔いのないように、穏やかに、愉快に過ごしていきたい。

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