空を待つnote用

空を待つ

 学校からの帰り道を歩いていると、同じクラスの源(みなもと)くんがいた。ガードレールに腰をかけて、空を見上げている。広い一本道に、ぽつんといたので、無視するのも気がひけて声をかけた。何をしているの、と訊くと、

「ユーフォーが来るの、待ってるんだ」そう言って、また空を見上げた。

 僕は興味をひかれて、一緒に待っていてもいいかと尋ねた。彼は空から目を離さずに、いいよ、とだけ言った。彼をまねてガードレールに座ろうとすると、

「ランドセルはおろした方がいいよ、うしろに倒れちゃうから」とアドバイスをもらった。コンクリートには彼のランドセルが寝かされていたので、その隣に自分のものを置いた。

「ユーフォーはいつ来るの?」

「わからない。だけど、そのうち来るよ」

 そっか、と呟いて、あたりを見渡した。風に吹かれて、視界に入るだけの緑が揺れる。山に囲まれたこの町は、人がつくった建物よりも、自然のほうがよっぽど目立つ。僕たちの背後にも、一面に田んぼが広がっていた。本田(ほんでん)に移し植えられたばかりの、まだ若い苗たちだ。前に向きなおると、彼はまだ空を見つめていた。

 源くんは、四年生になって初めて一緒のクラスになった子だ。彼はいつも一人でいることが多かった。遊びの誘いには乗ってくるけれど、どちらかと言えば、一人が好きなようだった。話した回数こそ少ないが、彼の話すことはいつも印象に残った。

 たとえば、こんなことを彼は言った。

「僕はね、超能力が使えるんだ」

 うそだあ、と僕はすぐに否定したけれど、彼が、「じゃあ証拠を見せてあげよう」と言うので、思わずその顔をまじまじと見つめてしまった。彼は視線から逃げるどころか、笑みをたたえて、まっすぐこちらを見つめ返す。他の子がふざけて嘘をついたときにするような、にやにやした笑顔じゃなかった。それは、絶対の自信からくる余裕の表情だ。そのとき僕は、彼なら本当に超能力を使えそうだと、本気でそう思った。

「あそこに花瓶があるだろ」

 彼が指さしたのは、黒板の前にある教卓だった。白い陶器の花瓶に、淡いピンク色をしたカーネーションが一輪さしてある。

「それがどうしたのさ」

「あれを動かしてみせる」

 そう宣言すると、彼は片手を前につきだし、人差し指と親指をたて、ピストルの形をつくった。それから片目をつむり、照準を定めるように、ゆっくりと手を動かす。そして、そのまま十秒ほど、じっと動かずにいた。僕の視線は、その指の先をたどって、花瓶へと向かう。テレビで見るマジックか何かのように、花瓶がスーッと動きだすのを想像しながら、僕はいまか、いまかと瞬きもせずにそのときを待った。けれど、さらに十秒、二十秒と過ぎていっても、一向に花瓶が動く気配はなかった。

「動かないじゃないか」

 それみろ、と心のなかで呟きながら僕が言うと、手をおろした彼は何食わぬ顔で言った。

「まあ待ちなよ。そのうち絶対に動くから」

 どういうことなのか訪ねると、彼は淡々と説明を始めた。

 いいかい、あの花瓶はこの先、必ず動くときが来るだろ。誰かが動かすかもしれないし、強い風が吹いて倒れるかもしれない。地震が起こることだってあるかも。だけどそれを、僕がそう念じたから起こったわけじゃないとは、誰にも言えないんだよ。世界中の誰にも、君にだって言えない。そうだろう? 僕が念じたから、誰かが動かした。僕が念じたから、風が吹いた。だから、あの花瓶はそのうち動くんだ。

「なんじゃそりゃ」

 素っ頓狂な声がでた。そんなの、へりくつじゃないか。馬鹿にされたような気がして、怒ろうかとも思ったけれど、僕は、心のどこかで妙に納得もしていた。自分でも不思議な気分だった。キツネにつままれるというのは、こういうことを言うのだろうか。

 始業のチャイムが鳴って、話はそこで終わった。ヘンな奴だなあ、と思いながら自分の机に向かう。僕が席に着いたタイミングで、担任の先生が教室に入ってきた。たしか、次の授業は算数だ。教科書とノートを机から出して、何気なく前を見ると、ちょうど先生が花瓶を動かしているところだった。間違って落とさないようにと、邪魔にならない場所へ教卓から移動させているのだった。

 僕は驚いて、ななめ前の席にいる彼を見ずにはいられなかった。同じように先生の行動を見ていた彼は、こちらをふり返ると、にこっと笑ってピースサインをした。

 ああ、彼は本当に超能力者なのかもしれない。僕は教科書を開くのも忘れて、ぼんやりと先生の声を聞いていた。

 日はすでに暮れかけていた。ゆっくり、ゆっくり、夕日が山に吸いこまれていく。二人のおそろしく長い影が、道路の端っこまで届いていた。紫色に変わりはじめた空には、一番星が小さく光っている。ユーフォーは、まだ姿を現さなかった。

「今日じゃなかったのかな」

 隣に座っている彼に言うと、そうかもしれないね、と頷いた。ガードレールから飛びおりると、お尻と首がすっかり痛くなっていた。ランドセルを背負って、二人で道を歩きだす。住宅街に入ったところで、またね、と言って僕たちは別れた。家に帰って、お母さんの料理を食べたあと、お風呂のなかでふと今日の出来事を思い出した。

 天井を見上げる。僕は手をピストルの形にして、腕を掲げた。いつかの源くんのように、片目をつむり、見えない夜空に向かって、ユーフォー来い、と念じた。

 ユーフォー来い、ユーフォー来い。三十秒もそうしていると、そのうち本当にユーフォーが見られるかもしれないと思えてきて、ほんの少しだけわくわくした。

 それからも、源くんと僕はときどき、学校帰りにユーフォーを探した。ガードレールに腰をかけて、ただぼうっと空を眺める。色を変えていく空を見つめながら、僕たちはたくさん話をした。学校のことやテレビのことを、他の友達と同じように、たくさん話した。

 そんな時間を彼と過ごしていくなかで、僕はいろいろな発見をした。空は、光や色の具合が変わるだけで、同じ風景とは思えないほど表情が変わること。雲は、じっと見ていると、思ったよりも早く流れていること。空を飛びまわっている鳥たちは、いつも似たようなコースを飛んでいること。四年も使っていた通学路なのに、初めて知ったことばかりだった。

 五時になると、学校のチャイムが遠くから聞こえてくる。それを合図のようにして、どちらからともなくランドセルを背負いなおし、僕らは家に向かって歩きだす。鮮やかだった山や木々の緑は、夕日が沈むにつれて、黒いかたまりとなって僕らの町を覆った。

 ある日、いつものように、いつもの場所で空を見上げていると、源くんがこちらに顔を向けて、唐突に言った。

「来週、僕は引っ越すことになった」

 すぐには何も言えなかった。僕はただ口をぽかんと開けて、彼の瞳を見つめ返すばかりだった。

「ユーフォーを探せるのも、あと少しだけだ」また顔を空にもどして、ひとりごとのように彼は続ける。

「あっちは自然よりも建物のほうが多いから、こうしてユーフォーを探すのも、もうできないかもな」

 ここよりもずっと都会へ行くのだと、彼は言った。そこらの木よりも高いビルなんかがたくさんあって、とても便利だけど、少し窮屈な場所へ行くのだと。

「でも、なかなか楽しかった。付き合ってくれて、どうもありがとう」

「こっちこそ」

 空を見上げながら、僕はやっとそれだけ言えた。続く言葉が見つからなくて、無意味に足をぶらつかせる。大きくて白い雲が、ちっぽけな僕らを見下ろしていた。

 ちらりと横目で隣を見る。彼は、空を仰ぎながら、静かに目をつむっていた。それは、僕が今まで見たことがない表情だった。何を考えているのかは、僕にはわからない。けれど、気がついたときには声をあげていた。

「僕はっ」

 彼が驚いてこちらを見た。眉を上げて、「どうしたんだ」とでも言いたげな顔をしている。自分でさえ、自分の行動に驚いている。それでも、彼に伝えたいと思った。あんな表情をしている彼に、どうしても何かを伝えたかった。

 混乱する頭のなかに浮かぶ言葉を、必死につかまえていく。

「僕は……僕も、すごく楽しかった。ユーフォー探すの。そりゃ、なかなか見つからないけど、でも、本当に楽しかったんだ。前に、源くんが教えてくれただろ、超能力とかって。あれ、僕もやってみたんだ。そうしたら、本当にユーフォーが来るんだって、そう思えたよ」

 言い終えると、自分の心臓が大きく鳴っていることに気づいた。うまく伝えられた自信はない。けれどそんな不安は、彼の笑顔が吹き飛ばしてくれた。

「ありがとう」

 彼は何度も、うん、うんと頷いて笑っていた。さっきまでの、僕の知らない源くんは、そこにはもういなかった。

 彼が転校する前日、学校からの帰り道を二人で歩いた。その日も、いつもの場所に座って、僕らは空を見ていた。これが最後になるというのに、お互いに何も話さずにいた。雲がゆっくり、だけど確実に流れていく。僕は、キョロキョロと目をせわしなく動かして、ユーフォーの姿を探した。山の陰から、雲の隙間から、ユーフォーがこっそり出てくるんじゃないかと期待したけれど、やはり何も変わらない、いつもの風景のままだった。

 向こうに行ったら、と彼が言った。

「向こうに行ったら、またユーフォーを探してみるよ。空が狭いだろうから、望遠鏡でも買ってさ」

「僕もここで探すよ。見つけたら、きっと手紙を書く」

 うん、と頷いて彼が笑った。

 源くんが転校してから一年が経った。相変わらずユーフォーは見つかっていないけれど、僕たちは手紙のやりとりを通じてお互いの近況を報告し合っていた。彼の手紙には、なんてことのない話も、いつかのように印象に残るような話なんかも書いてあった。僕のほうも、クラスメイトの話だったり、テレビの話を書いた。学校の帰り道で話していたときと、僕らは何も変わらなかった。

 あるとき、彼からの手紙に写真が同封されてきた。どうやら宣言どおりに望遠鏡を買ったらしく、どこかの野原で、立派なレンズを光らせた望遠鏡と一緒に、彼が写っていた。写真の日付を見るに、一週間ほど前の、満月の夜に撮ったもののようだ。まん丸い月が、夜空に黄色く輝いている。そこで、僕はハタと気がついた。分かりづらいが、満月のすぐ横に、オレンジ色に光る何かが写り込んでいることを。

 さすが、と僕は呟いた。

 写真の中の彼は、にっこりと笑って、ピースサインをしている。


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『空を待つ』 著・ユウ / 絵・なずな

担当・Δt 徳竹 川崎

編集・日本大学芸術学部文芸学科所属 出版サークルKMIT

※この作品は読切です。

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