サザン通りデッドエンド vol.03
正しいクリスマスについて
都会では冬の匂いも正しくない
百道浜も君も室見川もない
という歌詞がある。この文章を読んでいる上京組の諸君、いかがお過ごしだろうか。東京には慣れただろうか。だいたいの上京組の人間は一年間に二度ホームシックにかかると言い、まず梅雨のホームシックがあり、そして冬のホームシックがある。前者は雨の部屋にひとりぼっちでいると必ずと言っていいほど発症する。それでは冬のホームシックとは何かというと、別に冬のなんとなく物寂しい雰囲気のせいではなく、都会人ぶるのに疲れているだけなのだ。
それでも冒頭に歌ったとおり、今まで生まれ育った街を離れてみると、どこでも同じはずの冬という季節の訪れが、なんとなくどこかズレたように感じられるものだ。新宿ほどうるさくなく、池袋ほどきな臭くなく、渋谷ほど盛り上がらない、そんな街で冬を迎えたい。
じゃあお前はどんな冬の訪れがいいのか、という人に教えてやろう。イルミネーションだけは立派な公園でなんとなく話すこともないが仕方ないので女の子と二人で明かりを眺めている冬こそ最高の冬だっ!
おっと、あぶないあぶない。言いたいことだけ言ってしまったので原稿が終わるところだった。でもこれはほんとうの話だ。彼女と台場の夜景を眺めながらシャンパングラスを傾けるようなクリスマスももちろん素敵だ。それでも、安定しきっているとつまらない。人間は、というか僕は、不安定なものに美しさを感じてしまう。今にも崩れそうなジェンガであれ、少しだけずれたマンホールの蓋であれ、そんなものなのだろう、と思ってしまう。だからこそ、完璧過ぎる東京の街は、なんだかつまらない。
思えば、僕の故郷はとても不安定な街だった。今でも、色々なことを思い出せる。港のさきっちょのベンチでファーストキスだかセカンドキスだかをしたことや、六メートルだかなんだかある毛糸を使って友達誤認で体を使ってあやとりをしたことや。そういう無鉄砲さを、僕は東京には見いだせない。
そういえば、こんなことがあった。高校の頃、サイゼリヤの喫煙席で飯を食っていた時の話。隣のテーブルの会話である。
「それでさ、その子がすんげえかわいいんだけどさ、大麻やってんの!ドハハ」
これにはさすがに面食らってしまった。他にも、友達と喫茶店でだべっていて、友達が用を足しに近所のファッションビルの地下のトイレにいくと、どうも雰囲気がおかしくって、後ろを見ると一つの個室に足が四本あった話だとか、とにかく僕の故郷には色々な「いわく」がある。そんな、何もかもが間違えたような街並みのことを、僕はとても好きだ、ということに気がついたのは、上京してしばらく経ってからの話だ。何もかもが正しい東京の街並みは、僕にはむしろ不完全なように思える。僕という人間が不完全である以上、完全なものを愛でるわけにはいけないのかもしれない。
なんにせよ、もうすぐクリスマスが来る。正しいとか正しくないとかは関係なく、クリスマスはどんな人にもどんな街にも、平等にやってくるのだ。ある意味、何よりも正しいものだと言えなくもないのかもしれない。恋人がいないクリスマスを、正しいものだと捉えるかこんなの嘘だと捉えるかは読者諸君の勝手だが、とにかくメリークリスマス、よいお年を!
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『サザン通りデッドエンド』 著・ほーじすなお / 絵・不思議
担当編集:井ノ森、小森、前島
編集・日本大学芸術学部文芸学科所属 出版サークルKMIT
※vol.04は、1/25発刊2月号に掲載予定です
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