サザン通りnote

サザン通りデッドエンド vol.01

 深夜にエッセイを書く、という行為に、いささか背徳感や気恥ずかしさを感じてしまうのはおれだけではないと思うが、それでもその行為にある種の気持ちよささえ覚えてしまうのもおれだけではないと思う。このエッセイを読んでくれているのなんて八割までが文芸学科だと思うが、その八割の中のまた八割までの諸君は……つまり全文芸学科生の実に六十四パーセントまでが、深夜にエッセイを書いてはニヤニヤして読み返し、朝になると破り捨てた経験がある、とおれの妄想に基づく統計が示している。無論おれだって、この文章を書き上げるまでに実に六十四回書いては破り破っては書きを繰り返し、そうして行き着いたのがこの文章である。心して読んでいただきたい。ここまでの自己陶酔っぷりを見て、読者諸君がこの本を引き裂こうがおれのページを墨で塗りつぶそうが勝手だが、おれ自身ではわりとこの出だしの文章は気に入っているので、明日の朝におれの手によって破り捨てられていないことを祈る。

 さて、おたちあい。このたびはエトランゼ誌上において(エトランゼの「エ」はエッチの「エ」である)このようなコーナーを設けていただいたことに、思わずケツが引きしまる思いだ。ここまでエラそうな口調でぶち上げてきたところ申し訳ないのだが、このエッセイにテーマはない。エトランゼのエがエッチのエだろうが、それに関係のある話をする気はない。おれが書きたいことを書くだけだ。もっとも、いやらしいことが書きたい気分だったら当然ドエロいものを書くこともあるだろうけれど、残念ながら今はそんなにいやらしい気分じゃない。あのほーじがいやらしい気分じゃないんだったら、一体どんな気分なんだと思う人もいるだろう。

 実は今、故郷に帰りたくてたまらない。

   *    *    *

 もうすぐおれという人間がこの世に生を受けて二十年が経つ。短いようで長い二十年のうち、十八年までを福岡で生きてきた。福岡というのはなんともまあいいところで、ただ単に「生まれ育った街だから」と、それだけで終われないすっぴんの魅力がある、と思っている。おれは学もなければ品もないようなすっからかんの人間だが、それでも生まれ育った街は最高の場所だったし、周りにいてくれたのはみんな最高の人たちだった、と思っている。高校はそれなりに名前も通る進学校に通っていた。とある有名大学の系列校で、言っちゃ悪いが日本大学よりはるかに上のレベルの大学に内部進学が出来る高校だ。文系クラスにいるほぼ 九十パーセントまでがその大学に進学する。それじゃあおれはどうなんだ、と問われれば、色々あって、と答えるしかない。そんな高校生活だった。くだらない意地も張ったし、譲れないところもあったし、そうして流れ着いた先が、所沢のとあるベンチなのだった。どうしてそんなことになったのか、そんで所沢にきてからどうなってるか、なんてことは、今話すようなことでもない。福岡から所沢にきて、そこにベンチがあって、おれはただそこに座っている。それだけだ。

   *    *    *

 東京には、福岡にはないものがたくさんある。でも福岡にも、東京にないものがたくさんある。たとえば、風街珈琲店。

   *    *    *

 風街珈琲店、というのがその喫茶店の名前だった。天神の街外れにある喫茶店で、目抜き通りからちょっと外れた通りにある。福岡というのは港町でもあって、都会のビル風と港の海風がちょうどぶつかるような場所に、親不孝通りという通りがある。親不孝ものが天神のど真ん中から流れてきた吹き溜まりのような通りだ。そうして、その親不孝通りの入り口に風街珈琲店はあった。おれ達はいつも金がなかったので、コーヒーとトーストだけで何時間もそこにいた。誰が持ってきたのか知らないが、風街珈琲店の「三十七周年記念」百円割引券を百枚単位で用意して、ただでさえ安いコーヒーをなお安くして飲んでいた。後から知ったのだが、風街の看板には、いつでもその百円引き券が貼り付けてあるらしい。そうして、毎年三十七周年でも三十八周年でも、とにかく百円引きでコーヒーを飲ませるのだ。親不孝通りの心温まるエピソードだ。

 親不孝通りにはまだすんでのところで足を踏み入れていなかった親孝行もののおれ達は、土日はもちろん、高校をサボった日も風街で過ごした。待ち合わせをするわけでもなく、だいたい昼の三時ごろに風街に行くと、誰か友達が一人はいた。面子が集まればそこから麻雀をしに行ったり、集まらなかったら何もせず一日中そこでくだらない話をしていた。そうしていれば、いつもの一日はすぐに終わってしまった。男五匹で雁首そろえて、絵を描いたり、宝くじで五億円当てたら何をするか話し合ったりした。何事も真剣にやっていると腹が減るもので、例えば四人いたら、まず二人が荷物を置いて外にラーメンを食いにいく。そしてその二人が戻ってきたら残りの二人がラーメンを食いにいく。そうして、全員風街にいながら風街以外のところで飯を食う……と、今考えたら途轍もなく迷惑な高校生どもだった。でも考えてみると、喫茶店のパスタは高い。外のラーメン屋は安い。それは外のラーメン屋に行って当然である。

 風街で、色んなことをした。全員お金がなかったので、バカな賭け事もたくさんした。麻雀や競艇をやるんならいいけれど、それをやったからって誰もなんの得もしないような賭け事だった。

「お前、今日はコーヒーやないんか」

「今日はチャイ飲むわ」

「お前店員さんにチャイくだチャイって言いきるや?」

「言わんわ!」

「……百円出すぞ」

「……やる」

と、こんな調子だ。チャイを飲もうという井手は、頭のネジが外れたようなやつだったから、そんくらい簡単に言うだろうと思っていたが、結局何が恥ずかしかったのか、普通に

「チャイください」と言ったのだった。おれ達はみんな、賭けに負けた井手から百円をもらう気満々だったのだが、そうしたらなんとオーダーを取った店員さんが

「少々お待ちくだチャイ」

と言ったのである。これにはおれ達全員笑ってしまって、ミラクルプレイヤーの井手に結局ラーメンをおごるハメになってしまった。後から知ったのだが、その店員さんというのは韓国だか中国だかの留学生だったらしい。

   *    *    *

 井手にチャイくだチャイ、をおねだりしたのは加藤という。こいつも頭のネジが外れたようなやつだ。(今考えたらおれの周りには頭のネジが外れたようなやつしかいなかったので、これからこの説明は割愛させていただく)おれは浪人をせずに高校を出るとすぐに東京にやってきたので、加藤にも井手にも、おれが知らない福岡での一年間がある。おれは何となく嫉妬してしまう。その分お前は東京で楽しんでたじゃないか、と言われても、そういうことじゃないと答えるしかない。

 そりゃ一年も浪人してたら、勉強もたいそうしてただろうし、友達もそれなりに出来ただろう、と思っていたが、おれは加藤たちが勉強をしているのを見たことがないし、新しい友達も一人しか知らない。加藤は競艇のためにノートを取っていて、船のエンジンの調子や選手のうまさなどをまとめていて、競艇の分野に関してはちょっとしたものだった。おれだけ東京に出てきてから、加藤に聞いたことがある。

「お前、予備校はどう?」

「意外と張り合いないわ」

「そうなん?来年はお前たちに東京きてもらわんと、おれだけ一人東京ちいうのは寂しいけんね」

「いやーでもね、予備校ってチョロいっちゃん。クラスの半分寝とるよ」

「嘘つくな!」

「マジくさ!……まあ、小論文の授業が少人数で二人なんよ、それで俺が寝とるだけなんやけどね」

 加藤はなんとか、東京に出てこれた。今でもそれなりに元気でやっているようだ。競艇を今だにやっているのかをおれは知らない。

   *    *    *

 一生高校のころの友達と一緒にいられるかなんてわからないけど、これからも仲良くできたらいいな、と思っている。全員賭け事が好きな連中だったから、一つだけ約束をしてある。

 六十になったら、それまでの人生の全てを……地位、家庭、財産、全てを賭けて、ポーカーをしよう、という約束をした。もっとも、昨日貸した金のことも次の日には忘れているような連中だったから、六十までこの約束を覚えているかはわからないけれど、それでもなんだかこの約束だけは誰か一人くらいは覚えている気がするし、覚えておいてほしい、と思う。

 今でもたまに、福岡に帰って風街に行くとこの話を思い出す。そうして六十の賭けの話を、一緒にいるやつに覚えているか、と聞いてみる。もちろん全員、覚えていると答える。だが、それと一緒にこう言うのだ。

「でもさ、俺ら全員六十まで生きられるんかいな……」

 その通りである。明日のことは明日にならないとわからないのがこの世の中なのだ。みんなそうやって生きてきた。競艇で得た四万円は次の日にはパチンコに消えた。残ったなけなしの二百円が、次の日にはスクラッチで五千円になる。おれ達はそうやって生きてきた。簡単にお金が増えたり減ったりするのだから、簡単に寿命が増えたり減ったりしても、なんの不思議もない。

 もっとも、おれ達はみんな、あいつを殺したら五万円もらえるなら殺すか、という質問に、五秒迷って殺す、と答えるような人間ばかりだから友達といるときだって背後に気をつけなければいけない。でも、友達なんてそんなもんだ。

   *    *    *

 高校生のころの何も知らない無鉄砲さや、明日は絶対にやってくるという全能感は、もうない。風街珈琲店や親不孝通りというのは、ある意味八十年代が福岡に置いて行った忘れ物みたいなものだ。いつまで経っても八十年代にしがみつき、それだけを拠り所にして生きているような大人を、おれは何人も知っていて、そういう大人を見るたびにおれはダサいなぁと思っていたけど、今になって考えてみると、そいつらの気持ちも痛いほどよくわかる。おれだって、これからもずっと平成二十四年に、福岡に、親不孝通りの入り口に、しがみついて生きていくつもりだ。人はダサいと笑うだろうが、そんなことを言われたって俺にはそうするしか出来ないんだから仕方ない。ハードカバーが何冊あっても書ききれないほど思い出がある故郷と、友達と、歳月にしがみつけずに、何にしがみついて生きていけばいいのか、おれには分からない。だから、もしそんなことがあったらの話だけど、福岡という街が死ぬときに、おれも死のうと思う。冗談ではなく、しがみつけるものがないのに、こんなに繊細な俺が生きていける訳がないからだ。一度は東京に憧れて、福岡にしがみつくのをやめてみようとした。そんなおれがいなくなった福岡の街はというと、あいも変わらずおれがいなくてもホークス戦の勝ち負けに大騒ぎし、中洲ではいくつもの愛が生まれて、川沿いのホテルはきっときょうも満室だ。おれがいなくても街には何の支障もなく、天神は今日も眠らない。

 だから、おれはまだまだ死ななくて済みそうだ。夏には福岡に帰るから、それまでおれも友達も風街珈琲店も、元気でやっていけたらいいなと思うし、元気でやっていないと困る。まだ死にたくないしね。


続く

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『サザン通りデッドエンド』 著・ほーじすなお / 絵・不思議

担当編集:井ノ森 小森 前島

編集・日本大学芸術学部文芸学科所属 出版サークルKMIT

※vol.02は、9/28発刊10月号に掲載予定です

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