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針のない時計 第四話
「どう見ても素敵な喫茶店なのにね」
「何事も外見にはよらないってことだ。お前みたいに」
「貴方だって……!」
いつもなら、人のこと言えないでしょうと言葉が続いた。
しかしローズは恨めしそうに口を閉じる。
「そんなに変わったか?」
俺は窓ガラスに映る自分の姿を見た。喫茶店に行くといってもそれなりの格好をしなければならない。無造作だった髪を整え、タンスの奥底に眠っていた白シャツやベストに袖を通す。
「まあクリーニングに出せば見栄えもするか」
もう使う機会はないと思っていたので、シャツはしわだらけとなっていた。急いでクリーニング屋に持っていき、取りに行ったのは昨日。仕上げたばかりの衣服はぱりっとしていて、気を引き締められる。
ローズのほうも、レースをあしらった淡いピンク色のドレスを着ていて気合が入っている。
「よし、行くぞ」
「ええ」
覚悟を決めて、ガラス細工の施された扉に手をかける。
「いらっしゃいませ」
店内は重厚感の漂う木材で構成されていて、さすがは長年続いている喫茶店である。出迎えた女性店員にも気品を感じた。
「本日はどちらをご利用でしょうか?」
入口のそばに受付のカウンターがある。
実は『黒い矢』の店内は珍しい造りで、二階は全て個室となっていた。
「二階で」
「かしこまりました」
女性従業員がベルで誰かを呼び出す。しばらくすると、ふわふわとしたくせ毛が特徴の青年が現れる。
「お待たせしました。それではご案内いたします」
俺たちは黙って青年の後について行く。廊下の所々には絵画や骨董品が飾られていて、息を飲む。へまこいて作品を傷つけたりしたら、金銭的な大打撃を受けそうだ。
慎重に階段を登り切ると、一番奥の部屋に案内される。
そこは日当たりよく、窓からはバーセントの中心街にある時計塔が見えた。
中央にある四角いテーブル席に座ると、メニュー表を渡される。
一目した後、各々に注文する。
「そうだな、俺はブレンドコーヒーで」
「私は本日のケーキと紅茶のセットがいいわ!」
「あ、あともう一つ付け加えたい」
俺はローズと頷き合い、テーブルの上を指でなぞる。
それはカインとの取引で得た、英数字の混ざったコードだった。
青年は顔色を変える。しかしぐっと堪え、何事もなかったかのように装う。
「ただ今担当の者を呼びますので、このままお待ちください」
そう言って青年は入口の壁にある呼び鈴を鳴らす。そしてそのまま部屋を出ようとしたので、俺は頬杖をかきながら呼び止める。
「つれないなあ。待っている間、世間話でもしようぜ」
「え」
「なあ、黒ずくめの青年?」
「――お前、気づいていたのか!」
青年の驚き具合も面白かったが、向かい合うローズの顔も傑作であった。目を丸くし、ポカーンと口を開いている。
「ただの店員にしては無駄のない動作だったからな」
「それだけでわかるの?」
ローズが声を高らかにして聞いてきたので、苦笑しながら答える。
「まさか。強いて言うなら、歩き方と仕草。そっくりだったんだよ」
無意識の行動の中には癖が潜んでいる。青年の場合、左足を僅かに引きずる癖を持っていたのですぐに思い当たった。
「ちっ」
青年は苛立ちを隠せないままそっぽを向く。
そのときだった。
「お客様の前でそのような態度を取るとは。身体ばかりは大きくても、中身はまだまだ子供ですね」
ノックの音と共に白髪頭の老人が姿を現す。その手には古ぼけた黒いトランクがあった。どうやら彼が情報屋のようだった。
「弟子が大変失礼しました」
老人は無理やり青年の頭をわしづかみにして、頭を下げさせた。俺は慌てて立ち上がってやめさせる。
「俺のほうこそ大人気なく意地悪をしてしまった。お互いプロとして、あのときのことは水に流そう」
「……仕方ないな」
青年は渋々と頷いた。彼にとって老人は師匠であり、保護者なのかもしれない。
一見すると好々爺だが、手先の荒れ方や顔のしわの数を見ると、苦労の数が垣間見える。
俺は腕を組みながら訪ねる。
「ここは反政府派の隠れ家の一つだな」
「ほお」
老人は眉をぴくりと上げたくらいで余裕を持っていたが、青年の顔は明らかに動揺の色を見せていた。
椅子に座っていたローズは、話に関心を寄せる。
「どういうことなの?」
俺はこのとき少しだけ、話すことを躊躇った。自分で言い出しておいてなんだが、敵ばかりの場所で迂闊に発言したらどうなるかわからない。
しかし、今回は客としてここに来ている。ただの客の戯言だと流してくれれば、なにも問題ないだろう。
「喫茶店の名前だよ」
『黒い矢』には前々から思い当たる節があった。それが青年と出会ったことで確証に変わる。
「色にはそれぞれのイメージがある。赤だったら情熱だったり、青なら知性だったり」
「黒と言えばなにかしら。塗りつぶせる強さ、とか?」
「そうだな。だが、黒は負のイメージとして捉えられることが多い。例えば絶望や復讐」
ちらりと青年を一瞥すると、そわそわと落ち着かない。この間は黒い布で覆われていたのでわからなかったが、表情が顔に出やすいようだ。
「じゃあ、矢に込められた意味は?」
俺は窓を指さした。時計塔のてっぺんには、この国の象徴が掲げられている。
「バーセントの国旗には金色の鷲がいる。つまり矢はそれを射るためのもの」
俺は老人と青年に、にやりと笑いかける。
「どうかな、俺の考えは?」
「考え過ぎですよ。確かに私たちは裏社会に精通していますが、それだけなのです」
老人はただにっこりと微笑むだけだった。
予想通りの展開に肩をすくめる。同時にこの国の年寄りは伊達じゃないことを思い知らされた。
「それで本日のご用件はなんでしょうか。弟子の話だと、あるはずがないコードをお持ちのようで?」
「ああ」
俺は再びテーブルの上をなぞる。
「なるほど」
すると老人は目を塞ぎながら黙り込んでしまう。青年が心配そうに見守る中、ようやく彼は口を開く。
「あなたはどこでこれを?」
俺は隠しても仕方がないので正直に言う。
「とあるエセ紳士から」
それだけで伝わったようだ。老人は何度か頷き、深いため息を吐いた。
向かい合って座るローズを見れば、あのときの出来事を思い出したのか、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「あいつは信用されていたのか」
有益なコードをくれたありがたい気持ちとは裏腹に、なぜ俺なんかに譲ったのだろうかと考える。
この行為は『黒い矢』にとって裏切りだ。おそらく彼は二度とここを利用できない。いくら多くの情報網を持っていたとしても、簡単に切り離すには覚悟がいる。
「情報は時に命を奪う凶器になります。だからこそコードを渡す相手は常に見極めてきました」
口調は丁寧でも、老人の背後に殺気のような重い威圧が見える。眼球はギラギラと俺の目を射ぬき、腹に力を入れて耐えることしかできなかった。
ここで老人はふっと気配を和らげる。
「コードは私の信頼の気持ちなのです。それを裏切るだけの価値があなた方にはある、と言うことでしょう」
「……じゃあ」
「本来の持ち主が違えども、コードがある限り教えないわけにはいけませんからね」
その言葉に青年は老人に詰め寄る。
「おやっさん、本当にいいの?」
「はい。ここからは私の仕事です。お前はしばらく下がっていなさい」
「わかってるよ。でも、もしなにかあれば……」
軽く一礼した青年は扉を閉めて出ていく。その後ろ姿を見て、俺は思わず頬を緩める。
「微笑ましいですね」
「全くです」
老人はさて、と咳払いしてトランクをテーブルの上に乗せる。中は付箋などで厚みを帯びた手帳やらファイルが入っていた。
「さあ、あなた方の望むものはなんでしょうか?」
ローズは意を決して口を開く。
「シュナイゼル・オースティンについて知りたいの」
これは事前にローズと話し合って決めていた。
他にもいくつか候補はあった。例えば『忘却の人形』の作者のこと。初めは別料金で聞き出そうとしたが、よくよく考えると経済的に不可だった。現役官吏であるレイフォードの後ろ盾があっても、俺には払える金がない。
「今俺たちが知っているのは、彼が世にも不思議なものを生み出せる職人であり、若いうちに亡くなってしまったことだけだ」
これはカインから得たものだった。
老人は小さな箱から眼鏡を取り出し、資料をあさり始める。
やがてとある手帳に目を留める。
「確かに彼は二十五歳の若さで亡くなっていて、残した作品は幻と呼ばれています。噂ばかりで今までに見つかったものはないかと」
「そうか」
作品が現存していないとなると、彼がローズを生み出した確証は持てない。
「他に創ったものがあれば、サインとか癖で確認できると思っていたんだけどな」
俺が頭を抱えていると、老人は言葉を続ける。
「ただ、作品には必ず金の細工とモチーフがあるそうです。例えば花や鳥、ときには鍵など」
そして老人はローズを横目に、口に弧を描く。
「時計、もそうでしょうね」
「!」
ローズの身体が小さく揺れた。確かに彼女の心臓部分には、金の細工が施された針のない時計がある。
「そこまで知っていたんだな」
俺は呆れながら、ため息を吐く。どこまで俺たちのことを知っているのだろうか。
怖くて聞きたくもないので、他のことに集中する。
「……金細工か」
金と言えば最近ではあまり流通していない。装飾品として人気を持つが、一流の職人でも簡単には手に入らない代物となっている。
その理由は、発掘の全盛期にほとんどを利益として食いつぶしてしまい、現在では鉱山が閉山となっていることだ。
「一昔前までは一般家庭でも扱えるものだったけどな」
俺は皮肉を込めて内心で笑っていると、なにか引っかかった。
「ちょっと待てよ。彼はいつの時代の人間だ」
老人は顎を撫でながら答える。
「五十年前でしょうか」
「――やはりそうか」
シュナイゼルは作品全てに金細工を施している。若い職人が金を手に入れることができるとすれば、全盛期である五十年前しかない。
「そう言えば、彼の死因はなんだ?」
「シュナイゼルは火事に巻き込まれて亡くなっています。遺体は全て焼かれてしまい、墓の一つも残ってはいません」
さらに老人は言葉を続ける。
「遺品一つもあればお墓は建てられますが、唯一の親族である妹も同時期に消息不明となってしまい……噂だけが色濃く残って伝わっているという状態です」
「なるほどな」
ここまでの話を聞いて、全ての鍵は五十年前だとわかった。
この年代は政府が暗躍し始め、ローズが記憶を失ったときでもある。
「焼死体はなにかの証拠を隠すためか? だとすれば彼と政府はなにかしらの関わりがあったはずだ」
俺はすっかり塞ぎ込んでしまったローズに目をやる。
「それがお前なのか」
シュナイゼルが彼女の生み親ならば、ほとんどの仮説に理由がつく。
「残念ながら私が知っていることはここまでです。彼に関しては元々情報が少なく、きっとどこの情報屋でも似たようなものでしょうね」
「そうか」
俺は腕を組みながら天井を仰ぐ。脳裏にはとある場所が思い浮かんでいた。
「もし他にあるとすれば、あそこだけだよな」
それはレイフォードが勝手に暗号を解いてしまった調査室の倉庫だった。
「あいつは上手くやっているのかね」
思えば最近連絡を取っていなかった。まあなにがあっても笑ってのけそうだから、あまり心配はしていないが。
ここでずっと会話に耳を傾けていたローズが、ようやく口を開く。いつもの元気はなく、泣きそうなか細い声だった。
「シュナイゼル・オースティンが私を生み出してくれた人なら……彼は私のせいで死んでしまったのかしら」
「……ローズ」
俯く彼女にかける言葉が見つからない。
すると老人は身をかがめ、ローズの視線と合わせる。
「お嬢さん。なにも真実は過去の出来事や紙の上だけではありません。自分の足で歩き、目で見て捉えるものもあります」
そして今度は俺たち二人に向き合い、力強い瞳に光を宿らせる。
「これから訪れる未来に、あなた方がなにを信じ選択するのかを楽しみにしております」
老人は深々と頭を下げた。
恐らくは反政府派であり、そして情報屋でもある彼の言動には警戒するべきだ。しかしその言葉は疑いようも無く、心の底からのものに思えた。
俺はただ黙って、老人が顔を上げるのを待った。
表向きの理由は喫茶店を楽しむために訪れたので、注文したコーヒーとケーキを食べてから帰ることにする。
さすが地元の有名店だけあって、コーヒーの酸味と苦みは絶妙だった。ローズが注文した本日のケーキは焼き立てのアップルパイで、添えられたバニラアイスがとろっと溶けだす。彼女は大きな口で頬張りながら、顔のあらゆる表情筋を緩ませていた。
「ん、なんだ?」
コーヒーを飲み終える頃、廊下から凄まじい速さの足音が聞こえる。
「敵が乗り込んできたって本当か!」
バンッと扉を叩きつける音と共に飛び出してきたのは、もう一人の黒ずくめである、男言葉が特徴の少女であった。
彼女は俺の姿を見て指差しながら叫ぶ。
「き、貴様あのときの!」
「よう」
俺は呑気に片手を上げて答えたが、それが間違いだった。
馬鹿にされたと勘違いしたのか、彼女の紅の瞳は炎のように燃え上がる。
「今すぐ外へ出ろ。あのときの雪辱、晴らしてやる!」
「あなたまでなにをやっているのですか」
呆れ顔と共に登場したのは老人だった。その後ろには青年もいる。
「お客様に対して失礼ですよ。今すぐ下がりなさい」
「なにを言うんだ、おやっさん。こいつはバケモノのように強いんだぞ。きっと今日だって私たちを捕まえるためにここに来たんだ」
「誰がバケモノだこら」
俺が反論した直後、ごんっと鈍い音が室内に響く。
見れば温厚なはずの老人の拳が、少女の頭に命中していた。
「リア、人の話を聞きなさい」
「……うう」
老人は少女の頭をわしづかみにしながら頭を下げさせる。どこかで見たような光景に青年は気まずそうにしていた。
「こやつらが本当に失礼しました」
「いえいえ」
「ローレンス、彼らを送って差し上げなさい。リア、あなたにはお説教です」
少女は衝撃のあまり硬直する。老人は相変わらず微笑んでいるのに、それが逆に怖かった。
俺とローズはいそいそと廊下に出て、静かに扉を閉める。
階段にさしかかったところで、俺は前を歩く青年に語りかける。
「……ちゃんと手綱取っとけよ」
「そう簡単にできたら苦労しないんだけど」
背中からでもわかる疲労感に、苦笑いする。その様子だとかなり手を焼いているようだ。
「お前、情報屋の見習いだったんだな」
「……まあね」
青年は横目でこちらの様子を窺ってくる。その隙に、俺は持っていた小袋を彼に投げつけた。
反射的に受け取った青年は、手の感触だけで中身がわかったようだ。
「ちょ、なんだこれ!」
「なにって金貨だけど。そんなこともわからないのかい? ふわふわ頭くん」
「俺はローレンス!」
「そうかよ。まあなんでもいい。実は調べてほしいことがあってな。この金貨はその前金だ」
青年は俺の要求を聞いてもまだまだ納得はしていなかった。小袋をじゃらじゃらと揺らしながら尋ねる。
「見習いに依頼するには多すぎる額じゃない?」
「それだけ大切なことなんだよ」
俺が胸に手を当てて答えると、青年は興味を引かれたのか少しだけ身を乗り出す。
「ふーん。それで、なにを知りたいの」
「俺の生き別れた妹を探してほしい」
「は?」
素っ頓狂な声を上げる青年に、俺は知っていることを話す。
父親と母親の特徴から始まりおそらく黒髪であることや、生きていれば十五歳になっていることなどを教える。
「結果はどんな形でもいい。それじゃ、頼むぞ」
入口に着くと、いつの間にか日が傾いていた。
俺が青年の横を通り過ぎようとすると、呼び止められる。
「なんで俺なのさ」
「だって拳で語り合った仲だろ?」
「……ふん。俺に頼んだこと、後悔するなよ」
どうやら承諾してくれるようだ。
一階には一般客もいるので、青年は深々と頭を下げてお見送りをしてくれる。
内心笑いながら外へ出ると、ローズに腕を引っ張られた。
「黙って聞いていれば、あんなのに頼んで大丈夫だったの?」
「まあ、なんとかなるだろう」
ローズは呆気にとられながら、頭を抑える。
「男って、よくわからないわ」
小馬鹿にしたような物言いにとっさに反論する。
「女だってよくわからないさ。まさかケーキをおかわりするなんて思ってもみなかったぞ」
「うるさいわよ!」
ローズの蹴りをかわしながら、俺たちは家に帰るのであった。
自分でも珍しく冷や汗をかいていた。
「これはどういうことだね?」
机の上に並べられたのは、無断で読み漁っていた極秘資料。それだけならごまかす気力があるが、さすがに調査室の室長と副室長とやり合うことはできない。
仕方がなく、白旗を上げた。
同時に心の中で友人を思い浮かべる。
「ごっめーん、アルベルト」
いつものように舌を出して笑ったら、彼は許してくれるだろうか。
「ローズのこと、室長にばれちゃった」
続く
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『針のない時計』 著・大月ゆかな / 絵・さあきゅう
担当編集:齊藤
編集・日本大学芸術学部文芸学科所属 出版サークルKMIT
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