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散歩にいこうよ

著:久坂 蓮



 散歩にいこうよ、アキ。

 遥(はる)にそういわれて、秋人は居間のソファのうえでつぶりかけていた眼をあけた。

 散歩って、これから。

 うん。これから行きたい。

 寝椅子に横になった姿勢で、首を反らして壁にかけられた時計に目をやる。もう十一時を過ぎている。寝そべってテレビをみているうちに睡魔がやってきて、ちょうどこのまま眠ってしまおうと思っていたところだった。

 明日が、いいなあ、大学もあるし、と秋人がいうと遥はかがんでかれの眼を覗きこみながら、今日でないと嫌なのだと返した。顔にやわらかく湿った吐息がかかる。しかたなく秋人はからだを起こした。寝間着にしているスウェットのうえからカーキのモッズコートをはおる。そんなんじゃ風邪引くよ、ととがめる遥はすでに準備を終えていて、白い縄模様のセーター、キャメルいろのPコートに身をつつみ、赤地に青い格子柄のついたマフラーを首に巻いていた。大丈夫だよ。ちょっと歩くだけなんだから、と秋人はこたえ、部屋の明かりを消した。

 ねえ、ガスも、ちゃんと、切ったよね。

 給湯器? おう、切ったよ。

 

 夜の往来は人も車も行き来がすくない。冷たい風が吹きつけてくる。秋人はコートの前をかきあわせ肩をそびやかし、おおきく鼻をすすった。大丈夫、と遥がきく。だからいったのに。

 答えずに秋人は遥の手をにぎり、握ったままでコートのポケットにさしいれる。水っぽくて温もりのない手だった。遥は歯を見せてわらう。そして強く握りかえしてくる。秋人も脣(くち)もとをゆるめながら負けじと握る。おたがいにしばらくくりかえす。夜風で遥から洗い髮のあまいかおりが流れてくるので秋人はくすぐったい気持になった。青白い街灯の下を歩くと影が長くのびて前にできたかとおもうといつのまにか後ろにいったり横にいったりする。ふたつ同時にできたりもする。影だけをみると、からだが繋がっているみたいだと遥がいった。家々の窓から漏れる照明もまばらで、大抵の住宅はもう電気が消え鎧戸が閉まっている。

 空が澄んでるね、と遥がたちどまって頭上をふりあおぎ、秋人もそれにしたがう。一部に雲のかかった十二日の月と、少し離れたところにオリオン座の鼓(つづみ)型の部分がはっきりみえる。ななめ下のひときわ明るい星はシリウスだろう。冬は街なかでも空がきれいでうれしい、と秋人はいう。遥がうべなう。

 向こうに光っているのは、ほら、あの屋根のうえの。あれ、金星じゃない。

 遥が繋いでいる方とはべつの腕をさしのばし西のそらを指さす。

 金星なんて、見えるの。

 いまの季節だけ、見えるんだって。

 ふたたび歩きはじめながら秋人は遥と星の名前のしりとりをはじめたが、三巡しないうちに終わってしまった。にわかに前方からヘッドライトが迫ってきて遥は自然に手のひらをほどき、寄せていた肩を離した。車が横を通り過ぎるさい、こちらを盗み見たようだった。

 帰ろうか、と秋人はたずねる。結構歩いたね。

 まだ、いやだと遥がちいさくいう。結露した白い息がたちのぼってゆく。

 じゃあもうすこし、あるこう、と秋人はいい、先ほどの運転手のことを思いだし、軽く脣びるを噛んだ。

 

 二十四時間営業のコンビニエンスストアで、結局秋人はカイロを買うことにした。貼るタイプと貼らないタイプ、どちらがいいか悩んだあげくに両方ともかごにいれた。INTEGRATEのリップを見ていた遥はかれのその動作を見て顔をしかめた。

 夜食も買おう、と秋人が誘って遥はシーチキンマヨネーズのおにぎりに決めた。秋人はレジカウンターで肉まんをたのんだ。三十代前後の眼鏡をかけた男性店員が商品を袋に包んでいると、遥が売り場に小走りでもどっていって、これもください、とイチゴ味のポッキーを持ってきた。

 外に出て、さっそくカイロをあけ上下に振る。上着の裾をまくり秋人は腹にカイロを貼った。貼らないタイプのカイロは遥と交代で使うことにする。駐車場のタイヤ止めのうえにしゃがんで食事をとった。

 夜食ってなんでこんなに美味しいんだろうな。

 秋人の言葉に、遥はくちを抑え眼を細めた。

 

 児童公園が見えてきて、遥の声が明るくなった。うながされて秋人はあとに続いて公園にはいった。煉瓦敷の入口から砂利のしかれた敷地内に切り替わるところで遥は履いていたブーツと靴下をぬいだ。裸足で砂を踏みたいらしかった。秋人もスニーカーをぬぐ。ひんやりとしてざらついた地面の感触があしうらからつたわる。硝子で切ったらなどという心配をすることもなくふたりで遊具のあいだをぬって走った。

 鉄棒で懸垂をする秋人のとなりで遥はうつむき砂場の砂を蹴りあげながら、懐かしい、といった。ちいさい頃は、砂場遊びばかりしてた。山をつくってその中心に両手をくぐらせたり、泥だんごをこねたり。すごくきれいなぴかぴかしたのを作る子、いたよね。どうやったらなるのかずっと不思議だった。いまもわからない。

 いた、いた。秋人はいい終わらぬまま逆上がりをし、つづけた。絵の具を手のひらに伸ばしてそのうえでこねて、小さな地球を作ってる子もいたな。

 遥は砂場を出ると足指のまたをひろげたり閉じたりし、弱々しく笑った。

 ほんとうはジャングルジムで遊びたかったけれど、仲間はずれにされていたから。

 秋人の手をひいて遥は公園の中央にあるジャングルジムにのぼった。頂上の四方形の狭い部屋に並んで腰をおろした。昔同じくらいの高さのすべり台に登ってから、怖くて降りられなくなったことを秋人は思いだした。いまかれの背は手をのばせばジムの頂上まで届くほどになっていた。ずいぶん遠くまで自分が来てしまったようだった。これからどこまで行けばいいのかわからなかった。しばらく前から、遥が横顔を眺めているのに秋人は気づいていた。

 ねえ、アキ、と遥が口をひらいた。このまま世界がいつまでも夜であって、ふたりきりでいられたら、どんなにいいとおもう。

 だれにも会わずにいられたら、いいのね。

 どうしてこんなふうにしか生きることが出来ないのか、自分でもわからない。

 秋人のからだに遥の存在が重たくのしかかってくる。遥は膝をかかえ顔をふせ、黙ったあと立ちあがり、ズボンの尻をはたいた。言葉を発しようとしたが秋人の口腔は乾ききってかすれた声しかでなかった。

 帰ろう、と遥はマフラーに首を埋めながらいった。



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『散歩にいこうよ』 著:久坂 蓮 

担当編集:水井くま

日本大学芸術学部文芸学科所属 出版サークルKMIT

 

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