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小説『学ばなければ』

 ディア・ウダリは、マノジがオットーに来て間もない頃、たびたび寄宿学校を抜け出して町を散策するうちに知り合った少女である。歳は十四五くらいだったろうか、当時九歳のマノジにとって、教師より親しみやすく、友達より刺激的な、大都会オットーの女神だった。

 マノジはディアを姉のように慕い、ディアもまたマノジを弟のようにかわいがった。彼女はいつも同じティーシャツと丈の短いデニムパンツを着て――しかし汚れているのを見たことがなかった――いつも手作りの装飾品を作っているか、売っているかした。彼女の住処は混濁した流れのそばの、町中のゴミが山となって積まれる劣悪なスラムだったが、生き様の美しさは景色とはなんら関係がなかった。彼女ほど美しく生きようとする人は、マノジの生涯を通してもほかに思い当たらない。

 ディアは宝探しの名人で、ゴミの山から実に見事に必要なものを見つけ出した。母親と二人暮らしの狭い小屋の中には寄宿舎よりもたくさんの玩具があった。マノジがラジオやチェスの楽しみを知ったのもここである。最初のうちは学校への反発心から脱走を繰り返したマノジだったが、やがて彼女に会うために脱走するようになっていた。

 出会いから一年が過ぎた頃、山村育ちのマノジがわずかに都会的で洗練された雰囲気を纏うようになると、「やっぱり君は私たちとは違ったね」とディアが呟いたことがあった。マノジに自覚はなかったが、学校で学ぶうちに発音や語彙に生じた変化を彼女は感じ取ったらしかった。「だったらディアも学校においでよ!」と軽々しく言えたのは無垢と無知のためで、「学校もただじゃないのよ」とディアが笑った時、マノジはようやく寄宿学校が孤児院とは違うらしいことを悟った。同時に、マノジによい考えが浮かんだ。オットーの案内をしてくれた彼女に恩返しができるかもしれない。マノジはディアに、読み書きや計算を教えようか、と提案してみた。それを聞いた彼女の喜びようと言ったら大変で、マノジの授業態度を幾分真面目なものに変えるきっかけとなった。

 勉強できることがそんなに嬉しいものなのか、マノジは不思議だった。教わった文字を道端の土に書いては消し、書いては消し、と熱心に繰り返しながら、ディアは学問が母親の夢でもあったことを話した。

 彼女の母モディは南の国境付近に何百年も前から定着する先住民の血筋に生まれ、世界中の先住民が得てしてそうであるように、差別と迫害に苦しむ少女時代を過ごした。モディの両親もそのまた両親も、他民族の地主の家系に代々雇われた――というより、飼われた家畜同然であった。そこでは、男は家畜のように黙々と田畑を耕し、女は家事をして次代の家畜を産むためだけに存在していた。モディもまた七歳で地主の子どもの子守をし、休みなく炊事と洗濯に追われる日常を生きた。

 モディが十歳の時のことだ。酒に酔った地主が彼女の父親を一晩中蹴飛ばして殺してしまった。夜中に叩き起こされたモディが何事かと庭先へ出ると、冷たくなった父親の死体があって、「さっさと片づけろ」と言い放つ地主に彼の機嫌を損なわない明瞭な返事をしたのは哀しい反射だった。早春の夜のことで、母親と二人硬くなりかけた遺体の膝をどうにか畳んでリヤカーに乗せ、川沿いの広場に埋めに行った。東の空に日が昇り、黄金の花が咲き満ちる菜種畑を、へとへとの体を引きずり帰った。地主一家が起き出す前に、彼らの朝食を急いで支度しながらモディは静かに涙をこぼした。そんな暮らしさえ、当時の彼女には「仕方ない」と受け入れることしかできなかった。

 その後、雇い主は幾度か替わったものの一日中家事労働する生活は相変わらず続いた。だが少しずつではあるが世間についての見聞を広め、新たな人間関係を築く機会を得るうちに、何千何万の皿を洗いながらモディは、自分たち先住民に基本的な学問が欠けているから見下されるのだという考えに至った。やがて同じ先住民族の男性と結婚し、立て続けに三人の子どもを産むと、モディは自分の子どもには必ず教育を受けさせると固く決意した。その最初の娘がディアだった。下の男の子二人が夭折してしまったことで、唯一生き延びたディアがモディの全てとなった。だから、十歳を迎えたディアに別の人間の下で家事をさせると雇い主が言い出した時、モディは生まれて初めて激しく他者に反抗した。そして何よりも彼女を絶望させたのは、自分と似たような差別を受けてきたはずの夫までもが娘の可能性を否定したことだった。「私やディアを思い通りにしたいなら、いっそ殺せ!」――声の限りに叫び、ディアの手を取って家を飛び出した。誰も追いかけてくる者はいなかった。

 こうして辿り着いたオットーの片隅で、廃材から小屋を建てた。ただでさえ縁故の扶助なくして暮らすのが困難なこの国で、金も、身分も、学もないモディが娘を食べさせるのは容易ではなく、五年間必死に働いても彼女を学校に通わせるには至らなかった。そこにマノジが現れたのである。ある日、ディアが拾ってきた新聞を熱心に眺めているので、「なんて書いてあるの」とモディは冗談めかして尋ねた。するとディアが、憲法改正前後の当時盛んだった各地のデモ行進について堅苦しい言葉で説明し始めたのでモディは仰天した。聞けば知り合った少年に読み書きを教わっているのだという。昼間は仕事のため家を空けていたモディは、それまでマノジの存在を全く知らなかった。

 マノジは二度、モディと会ったことがある。一度目は、マノジを歓迎する昼食会だった。ちょうどその日は、かつてサラソウジュの森林と共に生きたモディの祖先たちが森の恵みと大地の神に感謝を捧げた祭日に当たり、彼女はディアと二人わざわざ市でよく肥えたアヒルを手に入れて御馳走してくれた。モディは娘とマノジの友人関係を大変に喜び、五体投地でも始めるかのような勢いで繰り返しマノジに感謝した。

 二度目は、ディアが亡くなった後のことだ。「近頃、体が重たいの」と言って咳がやまないかと思えば、それから三月も経たないうちにディアはあっけなく逝ってしまった。初めは「ただの風邪だよ」とマノジもさして気に留めてなかったのだが、会うたびに症状は酷くなった。それまで汚れ一つなかった彼女のティーシャツに垢や泥の染みが目立ってくると、洗濯の気力さえ湧かないのかと心配が募り、授業にも集中できなくなった。そんなマノジの様子は教師の目に単なる無気力と映って、「そんなに嫌なら学校から出て行け」と教師が思わず口走ったその日、マノジが小屋を訪れると香木を焚いた煙の中にモディの小さな背中があった。骨壺を抱いた彼女はマノジを認めるとうやうやしくお辞儀して、「ありがとう」と呟いた。「もっとお金があったなら、学校にだって、医者にだって……」

 どうすることもできなかった、仕方のないことだった――念仏を唱えるようにマノジは自分に言い聞かせた。そうすることでしか、膝から崩れ落ちそうなほどの遣る瀬なさに耐えられなかった。

 オットーの町をあてもなくさまよい、とうとう行き倒れて保護されるまでの間マノジには記憶がない。逃げ出したいとばかり願っていた学校に戻ると、マノジは誰よりも熱心に勉強し、休日さえろくに外出しなかった。そうすることでしか、込み上げる悔しさに耐えられなかったのである。