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うんともすんとも談義。

K. M.の心の中の天使「なあ、俺って自分のこと大好きだよな」

K. M.の心の中の天使「ああ。その点だけは右に出る者なしだ」

天使「そんな俺が久々に自己嫌悪だぜ」

大天使「ほほう。その傷えぐってやるよ。聞かせろよ」

天使「つい先日のことだ。俺はしがないブルーカラーだから、普段は工場の中で仕事しているだろう?」

大天使「空気中の油分でそこら中がベタベタする工場でな」

天使「その空気を吸って魂までベトついた午後だった。規定の休憩時間になって真っ先に外へ出た俺は、黒のハイエースが工場に乗りつけるのを見たんだ」

大天使「ああ嫌な予感がする。黒のハイエース、ヴェルファイア、アルファード乗りとは一生友達にならない」

天使「そうでなくても友達いないだろ。それはそうと、俺はその車に見覚えがあった。うちの会社の取引先、つまり客さ」

大天使「友達拒否の対象が客か。ストレスでハゲそうだな」

天使「接客業や営業マンて本当によくやるよな。俺は絶対に嫌だ。だからその時も別の人間に対応させるべく見回したんだが、休憩時間に真っ先に外へ出たせいで、俺はそこに一人ぼっちだった」

大天使「面白くなってきたぜ」

天使「うちの会社だって俺みたいなやつばかりじゃない。根明かつ口が達者で、一服つけるために外へ出て来るはずの同僚がいる。しかしこういう時に限って誰も顔を出さない。とっとと休憩しろよ時間を守れないやつらめ」

大天使「しかし、お前だって昔は飲み屋でバイトしてただろう。まがりなりにも接客してたんだから、用件を聞き出すくらいやれよ」

天使「そうさ! 俺だって代わりがいなけりゃやる。やるさ。回れ右して遁走するわけじゃない。実際にやったんだ。用件もわかってたしな。週に何度か製品を受け取りに来るオヤジさ。背が低くて太ってて刈り上げのオヤジさ!」

大天使「で、お前はそのオヤジに納品したと」

天使「その通り。モノを引き渡し、伝票にサインをもらい、見送る。それだけだ。納品内容も間違いないし、問題の起こりようもない。――と思っていた時期が俺にもありました」

大天使「何が起きた」

天使「その一件から数日たったある朝、俺は上司に呼び出されたんだ。行ってみると、『先日オヤジに納品したのはお前か』と訊かれた」

大天使「ああ……すぐ回収されるタイプの悪いフラグだ」

天使「俺は正直にイエスと答えたよ。すると上司は言った――」


『オヤジから苦情が入った。挨拶がなってないと。うんともすんとも言わないやつに対応されたと』


大天使「あれ、お前歳いくつだっけ?」

天使「三十過ぎだ! 言わすな!」

大天使「怒るなよ。傷はえぐると最初に言ったろう」

天使「正直驚いたよ。俺は全然普通に対応したつもりだったから」

大天使「自覚がないってところが一番まずいんだよ」

天使「……俺の上司って、お前だっけ?」

大天使「俺はお前みたいな部下いらないね」

天使「結局さ、俺は『礼儀がなってない』とバイト先の店長にドヤされてた十九の時からなにも変わってないんだよ。その事実を突きつけられて、久方ぶりの自己嫌悪ってわけさ」

大天使「どうしたどうした。らしくねえな。こういう時、いつものお前なら屁理屈を並べて自己防衛を図るじゃねえか。殊勝一辺倒の毒のないお前なんかそれこそ見てられねえよ。ましてそんなお前が書いたnote記事なんか読みたくもねえ」

天使「そうか……そうだよな! 大体、挨拶だの礼儀だのにうるさいやつは実害もないくせに腹を立てていやがるんだ」

大天使「いいぞ! ノッてきたじゃねえか」

天使「見下されたと感じるんだろうな。しかし、仮に見下されたとして、それで血が流れるのか。飢えに苦しむのか。そんなことはない。何も痛いことなどないんだ! 俺は相手をののしったわけじゃない。手続きそのものに手落ちがあったわけでもない。せいぜい『適当にあしらったような感じ』がしただけだろう。この程度のことで怒りを覚えるのは、あのオヤジの無意識に『お前より俺の方が偉い』という根拠薄弱の前提が存在するからだ。よく考えてみろ。この前提こそ卑しくはないか! この卑しい前提を持つ精神こそ蔑まれるべきではないか!」

大天使「絶好調じゃないか! いや好調過ぎてむしろ引くぜ」

天使「やつらは力への意志に飲み込まれているんだ。俺がお前を見下しているわけないだろうが。眼中にない人間をどうやって見下すんだよ!」

大天使「落ち着け、飛ばし過ぎだ。せめて眼中には入れろよ客なんだから。客の落とす金がお前の食い扶持になるのは事実だぞ。まったく屁理屈だけは十九の時とは比べ物にならんな。いいか、力への意思はかのニーチェが人間を動かす根源的な動機と位置付けたものだ。つまり誰もが持つものなんだ。だからそれを前提に倫理が規定されるのも無理はないだろう」

天使「そうして作られた社会にすんなり適応できるやつが羨ましいぜ。……いや、そもそもそんなやついるのかな。誰もが持つものを前提に作られた社会のわりには、無理して笑ってるやつが少なくない気がするけどな」

大天使「やばい……ちょっと殊勝に傾き過ぎたか?」

天使「ただし! これだけは言わせてもらう。俺はとっても優しくて穏やかで良い人間だから、そんな俺のことを嫌うやつは極悪人に決まってる!」

大天使「……お前、ホント自分のこと大好きだな」