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十人十色のシルバーさん。

三十代の私にとって、高齢者とは実に興味深い存在です。私が生きた倍以上もの時間の中にどれほどの悲喜こもごもがあったのでしょう。彼らの話を聞く時、私の空想は身勝手に膨らんで止みません。


私が高齢者と接する最大の機会は仕事です。
私はいわゆる町工場に勤めていて、日々油染みた空気を吸いながらガッコンガッコン機械を動かしています。
フローの中には誰がやってもいいような技術要らずの単純作業があり、それを高齢者に任せています。彼らはシルバー人材センターを通して来るので、うちの会社では皆彼らのことを〈シルバーさん〉の通称で呼びます。これは見ず知らずの子どもを「お嬢ちゃん」とか「おい坊主!」と呼ぶのに等しく、なんだか少し失礼な気もするけれど実際コロコロ入れ替わるので彼らの本名を覚えない社員が多いです。私も総理大臣の名前は覚えませんが、彼らの名前は覚えます。悲喜こもごもを聞き出すためです。


当然ながら十人十色のシルバーさん達。彼らと接すると、色々感じ入ることがあるものです。

case 1:老けかたは生きかた次第

昔より元気な年寄りが増えたと聞きます。それは年齢以上に老けていると余計に目立つということでもあります。その点、彼の老けかたは異常にさえ感じました。
訊けばまだ六十代。それなのに背筋は曲がり、よたよた歩き、覇気がないというより生気がない。七十後半の当社会長より遥かに老いている。
私の会社でシルバーさんに頼む仕事はファミレスバイトの皿洗いみたいなもの。手の速さが全てで、逆に言えば手が遅い人はもう救いようがないのです。案の定彼は二三日で去って行きました。
もしかして大病からの病み上がりだったのかもしれない、そんな空想をしましたが、さすがに「病み上がりですか」とは訊けず。
実は体がついていかないという理由で去って行くシルバーさんは多いです。シルバー人材センター事業とは『定年退職者等の能力の積極的な活用を促進するための事業』だそうですが、その〈能力〉において重要度が高いのはテクニックよりフィジカルかもしれません。
歳をとっても頭脳労働で稼げればいいでしょうが、その自信がない人は肝に銘じておきましょう。体は使わなければどんどん錆びつくのだ、と。
運動嫌いの私がジョギングを始めるきっかけをくれたシルバーさんでした。


case 2:働くのが趣味みたいなもんだから!?

先述のシルバーさんとは打って変わって、大変元気で体の動く方でした。
半日労働のシルバーさんは我々が昼休憩に行く時が退勤となるのですが、彼はなかなか仕事を切り上げません。こういうの、放っておくと後で我々が社長に注意されるわけです。「さっさと帰らせろ」と。そういう時代になっていることを、たぶん分かってくれてない。
私がやんわり帰宅を促すと、彼は困ったように笑いました。

――ほら、私が若い頃は戦後復興と高度成長の時代だったから。働く以外は何もなかったの。だから働くことが趣味みたいなもんなのよ。

やっぱり分かってくれてない、という思いはさておき、「働くことが趣味」発言はあっぱれでした。現代人が「仕事が好き」とか「好きを仕事にしています」とか言うのとは異質だと感じたからです。そういえば私の祖母も働き者でした。病気になるまではずっと清掃のパートをしていたし、私の実家に遊びに来た時さえ必ず風呂掃除してから帰ったものです。ゆっくりしてればいいのに、と母がよく漏らしていました。ちなみに祖母は今、死ぬのが仕事だと言っています。

このシルバーさんからは戦争体験も聞けました。
彼は九歳の時に空襲で生家を失い、焼け野原を妹の手を引きながら30km歩いたそうです。靴はボロボロで裸足同然、しかし痛いと訴えることもせず、前を行く母親の背中をひたすら追いかけたのだ、と。
たどり着いた親戚の家でも中には上げてもらえず、どうにか納屋だけ借りてしばらくそこで暮らしたと言います。
私が九歳の時は新作のテレビゲームが欲しくてギャン泣きしてました。はい。同じ魂が宿るはずありませんね。あっぱれです。


case 3:仙人と呼ばれた男

彼は過去最長期間在籍したシルバーさんでした。
灰色の長髪をポニーテールに結わえ、ヴィクトリア朝時代を彷彿とさせる豊かなアゴ髭をたくわえ、ラジオ体操の動きがもはや太極拳にしか見えないことから仙人と呼ばれた男……。

仙人はその名に恥じないミステリアスな人物でした。
ある時私が職歴を尋ねると、彼は「若い頃は営業をしていた」と答えます。私はどんな営業かと質問を続けたのですが、彼は言葉を濁しました。
別の日、雑談の中で私は彼の風貌に言及しました。特徴的なポニーテールとアゴ髭には特別なこだわりがあるのか訊いたのです。すると仙人は意気揚々と答えました。

――ワシは若い頃スキンヘッドだったのよ。いつか長髪にしてやるんだと思っていてね。でもそれを仲間に言うと、「その時にはもうお前ハゲてるよ」って笑われてねえ。

仙人としては若かりし頃の夢が叶ったことが話の焦点なのでしょうが、私の脳裏にはそれどころではないほど多数のクエスチョンマークが浮かびました。
仙人は一見すると温和な好々爺です。その彼がスキンヘッドだったという事実も驚きですが、私の違和感は営業職なのにスキンヘッドという奇妙な取り合わせにあります。
私だけの違和感なのか、念のためググッてみるとやはり営業職でスキンヘッドはかなり少数派のよう。どうしても強面に見えますからね。
だがいないことはない……いやいや、やはりおかしい。彼は「長髪にしたくてもできなかった」「ハゲて当然の歳まで髪を伸ばせなかった」というニュアンスで話している。
本音では長髪を希望する男が仮に短髪でいることを強制されたとして、スキンヘッドを選択するのは極端でしょう。それに仙人の話しぶりはまるでスキンヘッド以外の選択肢がなかったかのようでした。
スキンヘッドしか選べない状況とは……IQ53万の私の頭脳が弾き出した答えは――

1、僧侶
2、大病

まず僧侶はないでしょう。若い頃に修行していたとして、それを隠す理由がない。営業をしていたなどと嘘をつく必要がありません。
次に大病ですがこれもないでしょう。辛い思い出なら病気の事実を隠すことにも納得がいきますが、スキンヘッドについて語った時の仙人は意気揚々としていました。とても病歴を伏せたい人間のカムフラージュとは思えません。

したがって……

3、ヤバイ営業

これが濃厚か!
スキンヘッドは顧客にナメられないためと考えると合点がいきます。しかも彼が営業の業種について詳細を濁したことにも辻褄が合ってしまう。
「その時にはもうお前ハゲてるよ」と笑った仲間とは……。

仙人は孫のような歳の私に対しても敬語を徹底する腰の低い人物です。しかしこの話を聞いてから一転、その腰の低さが不気味に思えてなりませんでした。相当序列に厳しい世界にいらっしゃったのではないか、と。
彼が何を捌いていたのか訊く勇気を持てなかったこと、今となっては少し悔やまれます。


■ 最後に

以上の三名は現在誰一人会社にはいません。
シルバーさん達は今どこで何をして、どんなことを思っているのでしょう。
私は時々、身勝手な空想を膨らまして彼らを味わい尽くすのです。