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エッセイ『Stand by me はもう言わない』

 なんと楽しいリズムだろうか。
 言わずと知れた名作青春映画『Stand by me』の同名主題歌を聴いている。「そばにいてよ」と繰り返す訴えが映画の内容と相まって胸を打つ。
 物語の最後に主人公が語る一節はあまりに有名だ。

《十二歳の頃のような友人は、その後持ったことはない》

 私にもそんな友人がいた。


 私が少年期をテーマにエッセイを書こうとする時、どの思い出にもTとYがそばにいて、彼らと共に過ごした時間の長さに我ながら驚くほどだ。小学校時代、一年のうち三百四十日は二人と一緒にいた。
 互いの実家は徒歩一分の距離にある。三人は毎日揃って学校へ行った。七時過ぎに集合場所で顔を合わせると、私たちは挨拶もほどほどに夢中でお喋りを始めた。昨日観たアニメの感想、宿題の難しさ、『ドラクエ』の進捗状況。話題には事欠かない。
 二人とは一瞬にして同じ世界に入っていけた。あの毎朝の日常がいかに奇跡だったか、今でこそわかる。
 Tは根が真面目で勉強ができた。三人兄妹の長男で、絵に描いたような〈一番上の子〉タイプだった。十歳の時すでに「面倒くせえ」が口癖だった私とは対極に位置する。
 Yはお調子者の野球少年だった。クリスマスプレゼントに野球のユニフォームを貰って喜んでいた。子どもの頃からスポーツに関心のなかった私とは対極に位置する。
 二人の対極を抽出すると、いい加減で頭が鈍く運動嫌いのもやし野郎が目に浮かぶ。そいつに会いたければ私は鏡の前に立てばよかった。
 異なる性格・異なる志向でも親密になれたのは、まさに映画『Stand by me』で描かれた通り少年期特有の現象だろう。そして、私と彼らとの関係もまた映画と同じように、中学進学を機に段々と疎遠になった。
 映画の中の少年たちが、《時と共に友達も替わり、レストランの客のように入れ替わっていった》のに対し、私の場合は少し違う経過をたどった。言うなれば私は、みずからレストランを出て行ったのだ。
 小学六年の中頃だったか。私は「もう放課後は遊ばない」と二人に宣言した。彼らの困惑した顔はよく覚えている。「どうして」と訊かれても、私は「なんとなく」とだけ答えた。
 無論理由はあった。二人との興味関心のズレだ。十二歳になっても相変わらずテレビゲームに夢中だった私は、『スラムダンク』の影響でバスケをやりたがる二人と過ごす時間に、次第に退屈を覚えるようになっていた。
 家族の前で何気なくそのことを話した私に、四つ上の兄が言い放った現実は、ほんの少し前の、例えば十一歳の私だったら泣き叫んでしまうくらい辛いものだったはずだ。

『それ、お前が浮いてんだよ』

 私の小さな胸中はそれなりに揺れた。揺れたけれど、不思議と悲しみも悔しさもなかった。ああそうだよな、と妙に得心する自分がいた。
 友情のしがらみは大人だけの問題ではない。三人組は時として二対一に分かれてしまうことを避けられない。私たちにもそれはあった。私は二の側に立って不誠実を働いたこともあったし、逆に一の側に立たされて嫉妬心に泣いたこともあった。
 私は兄の言葉によって、そうしたしがらみから一歩引く決意ができた。心を奮い立たせての強がりではなく、そうすることが一番楽で、自分の〈楽しい〉を追求する最良の方法だと子ども心に直観したのだ。
 「もう放課後は遊ばない」と宣言した私に、心底不思議そうに、動揺さえしながらその訳を問う二人を思い返すと、今でも少し切なくなる。当時の私も全く同じ気持ちで、だからこそ理由が言えなかった。「お前らと遊ぶのに飽きたんだ」などとは、とても言えなかった。


 三十を過ぎた現在の私に友人はいない。十二歳の頃のような友人はおろか、友人がいない。友人を欲する気持ちもない。
 数年前、タモリ氏や林修氏が〈友達不要論〉を唱えて話題になった。友達のいない私には必見のテーマだった。
 物心ついた頃から友達を欲したことはありません、という人間はまずいない。従って友達を必須のものと考える人が多いのもうなずける。
 では、私はどうして友達を欲しないのか。どうして友達を必要としないでいられるのか。
 その理由を考える時、私の目にはTとYの顔が浮かぶ。
 私はきっと、〈友達〉という存在がくれる一生分の栄養を、十二歳までの間に、あの二人から全て受け取ってしまったのだ。少なくとも、そう信じられるだけの日々が私の胸の内にはある。
 だから、Stand by me はもう言わない。思い出はいつでも私のそばにいるのだから。