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005_VIDEOPHOBIAと佐々木、イン、マイマインから

映画の日に託けて、「VIDEOPHOBIA」「佐々木、イン、マイマイン」を同じ日に観てきて、それぞれに思うことも、通じて語れそうなこともあったので久しぶりに筆をとりました。

個別の感想についてはこちらにもさらっと書いてます。多少内容が重複するかもです。note記事も多少ネタバレを含むので、まだ観てない方はぜひ観てから読んでいただければと思います。

今回の記事は自分自身のものに加え、佐々木、イン、マイマインを一緒に観た友人とその後カフェで話した内容を元に書いてます。

VIDEOPHOBIA

印象的だったのは、全てが象徴的に扱われていたこと。「象徴的な〇〇としての〇〇」みたいな。少しわざとらしいくらいに役割を演じていることです。そもそも映画での登場人物はそれぞれがある程度の象徴性を帯びているものですが(佐々木、イン、マイマインで言うところの佐々木みたいな。身近にこう言う人いたよねの象徴)、VIDEOPHOBIAの場合はそれが登場人物においても、あるいは人以外のものについても言えると感じました。

そうした過度に象徴化された事物が、結果として比喩や意味の連想ゲーム的な横滑り(顔パック→フクロウ→手術台のライト(目)みたいな)につながり、終始夢か現実か、事実か妄想か、自分か他人かわからない宙吊り感を生み出す。何よりそれらと白黒映像との相性が抜群に良かったです。白黒による適度な抽象化が、より曖昧さを引き立てる。

あとは目がモチーフとしてありましたが、目というものが一般的に自己→他者を関係作るものであるのに対して、この映画のカメラは多くのシーンで自己→自己であったように感じました。あい(I)からゆう(You)という名前への変化、主人公の感情とリンクするようなカメラの揺れブレをはじめとして、夢の中で自分自身を見つめる眼差しのような、少しメタな抽象性。これも上記の話に繋がる気が。

多分に鑑賞者に解釈を持たせるけど、決して説明不足ではなく、多方面へ批評的な映画でどのレイヤーで受け取っても楽しめる、個人的にはドツボな映画でした。
ラストシーンも最高です。

そして鑑賞後は偶然にも宮崎監督と上田岳弘さんのトークショー

トークショーでは
・器化した自己を内側から外側への飛ばす客観的な数字やシーン
・(決して汚くはないが)蓋をしたはずの汚いものが噴き出てしまうような広い世界に対する切実な訴えかけ
・パターン化した物語の定石と、そこまでうまくいかない現実の支離滅裂さ
・自分であることに全てのコストをかける

という話が印象的でした。
特に3番目の自分へコストをかけることで自分を磨くことというのは四男として生まれた上田さんの生き方の話でした。自分は同じく4人兄弟だけど、長男だからか全く逆の生き方をしてるなと。

わかりやすく例をあげるとすると、自己啓発本を読んで「なるほどこうすればいいのか」みたいに何か1つの方法を見つけて自分にそれをインストールするとします。しかし、一見最適解に思えるその方法も、自分にとって合うものかどうかは定かではない。そのインストールして試行錯誤する時間自体がそもそもコストのかかる作業で、上田さんはそうではなく自分が自分であることにコストをかける。自分自身のことはその人生を生きていた自分が一番わかっているという理屈です。それだけ自己分析ができていることが必要ですが、それも1つの方法だと思いました。

少し脱線しますが、昨今のコロナの影響でなかなか人に会うことができなかったり、様々なストレスを抱える人も増えたと思いますが、「自分で自分の機嫌を取ること=自分が自分を理解していること」は大切だと改めて感じました。どこで自己肯定感を高めるか。とても自己啓発的な響きで嫌ですが、身を持って痛感した部分で、ベタだけど地道な成功体験を作るとか、ルーティーンを作るとかそういうことでかなり気持ちは楽になる。

「これをやったから今日も大丈夫」って言えること、そういう依存先というかリスク分散をすることは、今後の生き方として必要な部分だなーと。

佐々木、イン、マイマイン

個人的には期待値が高かった分、うーん
あくまで個人の意見ですが、押し付けがましさや、「青春」が消費の対象になってしまっている感じが少し気になってしまいました。
いや、いいんだけど、だけど…
King Gnu井口さんの出方も必然性を感じられなくて、全体として青春全部盛りで起承転結つけるのも、少しあざとく感じてしまうというか、主題が少しブレて見えてしまう。
でもこれは完全に個人の好みの問題な気もするので、あくまで僕はそう思ったという程度に留めておいて頂きたいです。。

あとはオープンニングには少し疑問でした...
裏側の熱さや頑張りと、映画そのものは切り離して観たいし、評価そのものとは関係ないものであるはずで…もちろん完成披露試写会ならそういう背景があるのもいいし、裏側を聞く場であるのでいいのですが、こと映画館で見る上で、上映前にそういう映像が流れることへの違和感は感じざるを得なかった。

内容に関しては河合優実さんがとてもよかったです。恥ずかしながら存じ上げなかった役者さんなのですが、抜群の存在感と演技力。何より佐々木との対比がよくて、佐々木のおかしさは相対的な関係性の中で一番引き立つはずで、河合さんとのシーンが一番良かった。

強引にまとめれば、日本のテレビドラマが肌に合わない自分には少し違和感を感じてしまうところがあったにすぎなくて、映画自体は良かったです。

両者を比較して

僕にとっての両者の印象がここまで異なってしまったのは、2つの理由があるのかなと思います。
それは

・劇中劇
・その場面の必要性

「佐々木、イン、マイマイン」では主人公が役者で、劇中劇が演出として使われるのですが、「VIDEOPHOBIA」の方での冒頭の劇中劇では自己/他者の関係性の本質的な命題に訴えかけるものとして重要なシーンだった一方で、「佐々木、イン、マイマイン」のほうは劇中劇がそれとして機能していなく主人公の設定のみで、逆に役者の演技力もあって映画の没入感を遠ざけるものになってしまっていた。映画における劇中劇のハードルはかなり高いものなのかなと感じました。そこで違和感を感じてしまうと、「画面の中で青春を演じてる役者達」と、「映画館で見てる私たち」が意識の上に登ってきて急に置いていかれてしまう。

あとは冒頭にも書いたシーンの必要性。
井口さんを使うのはいいけど、その部分がなくても成立し得てしまう気がした瞬間に、起用するという手段が目的化しているように思えて、集客という商業的側面を感じてしまった。

まとめ

「佐々木、イン、マイマイン」に関しては少し辛口なレビューになってしまいましたが、これは同時に2本観たことと、僕自身の好みが多分に反映されているので、悪しからず。。

どちらもとても良かったし、ぜひ映画館で観てほしい作品です。
映画館で観れて良かった作品。

こんなにテイストが違う映画でも共通点を見いだせるのはやっぱり面白い〜

と、今回はこんなところで。

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