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(みんなの声) 昭和99年の夏、戦争から目を背けてはならない

 日本人にとって戦争はどのようなものなのか。ウクライナ、ミャンマー、パレスチナ、スーダンで起こっているそれが、たいていの人にとってはどこか他人事のような存在であることは、稀有なことなのかもしれない。ただ、戦後日本人は一切戦争に関わらず、誰も殺し殺されることは無かった、という主張は妄想に過ぎないし、原油や輸入品の価格高騰は戦争と直結している。

 そうした意味では日本人は常に戦争と接し(あるいは隣り合わせで)戦後79年を過ごしてきたが、このことに私たちはどれだけ自覚的でいるのだろうか。平和憲法の理念の下、自分たちが大陸へ再び打って出ることがなければこの平和は乱されることはない。そう根拠なく考えていたのかもしれない。

 東京大准教授の小泉悠は、シベリア出兵を描いた安彦良和『乾と巽』最終巻の解説で次のように述べている。「戦争は台風のようなものと捉えられがちだ。自国の艦隊が強ければ戦争は遠くで始まって終わる。艦隊が負ければ戦争は本土を荒らして回るが、やがて去っていく。少なくとも日本が近代において経験した戦争はこのようなものと認識されてきた」。小泉はそうした戦争観に対し、「刃物を持った押し込み強盗がやってきて、何ヶ月も居座っていく…どうにか命乞いをしたり、強盗のご機嫌を伺ってみたりするが、結局は殺され、奪われ、犯される」という「大陸の戦争」を対置する。それは「日常化された陰惨さ」であり、現在、世界各地で続いていることそのものなのだ。

 反戦を主張する私たちは、戦争をどこか海の向こうのものとして認識し、これからもそうありたいという願望を無意識的(観念的?)に有しているのではないか。それは戦争の悲惨さを繰り返さないように記憶にとどめているように見えて、沖縄で、広島や長崎で、あるいは南方やシベリアで戦死した日本兵や一般市民、そして残された家族のことを一面的にしか捉えていない可能性もある。戦争は玉音放送が流れれれば終わるのではなく、その後も続いていく。それは過ぎ去った過去のことではなく、私たちも無関係ではいられない。

 第二次上海事件に海軍下士官として従軍した筆者の曽祖父は、漢口にあって従軍日記に記す。「病床ノ父ノ事ヲ昨夜夢ヲ見ル、自分ハ郷里ニ看護帰省シテヰタ。不相変夕方ニナツテモ雨ハ降ツテヰル、増水増水一刻一刻ト」。わずか87年前のことだ。彼はどのような思いで雨の中でこのような夢を見たのか。無関係と決め込んで、夢か雨のように戦争の記憶さえも霧散させるわけにはいかない。
〔O(文学部)〕

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