天国があるとして天国に行けるとして君がいるとしたらいつかもいいかもしれない
どうも、かみちかです。
書き始めに名を名乗りたくなるのはなんなんやろね。そりゃお前さんのnoteなんやからお前さんでしょうね、と思われているかしら。どうもどうも、かみちかです。
33年、生きてきました。
そうすると、どうしても大切な人と会えなくなってしまうということにいろんな形で出くわしてしまうわけです。出くわすって出会すって書くんかい。初めて知った。くわ。
どんな形でも痛さや辛さは変わらないですが、やはり突然ってやつは衝撃の大きさが加わってより息がしにくくなるものです。
こないだ、それがやってきてしまったのです。
未だに現実ではないような感覚で、私だけでなく周りの家族や親戚も受け入れられていなかったと思います。
お葬式はいつも、私以上に悲しい人がいる、という感覚が強くなってしまって、自分の感情はぐぐっと押し込めてしまうのですが、例の如くそれが続いていました。
でも、親戚のお姉ちゃんが立っているのもやっとな、その現実をどうにも出来ない姿を見て、私はそこに自分を見ました。訃報を聞いてからずっと、私だったら、と考えては怖くて苦しくて考えを出来る限り遠く投げていました。お姉ちゃんの姿が誰よりも自分に近く、片手にお花を持っていたので、お姉ちゃんを片手で横から抱きしめてただたださすることしか出来ませんでした。自分の中にはこういう時に掛けられる言葉がどこを探しても見当たらず、またどんな言葉も同じになってしまう気がしました。お姉ちゃんを支えたい気持ちと、自分も含めてどうにか生きていく気持ちをそこに探していたのかもしれません。こんなにも悲しくて信じられないほどに痛く苦しいのに、消すことも逃げることも出来ないのです。
ああ、残酷なことだなぁ。
生きるがこんなに難しいことだとは。大人になればなるほどに知っていく。
それでも、生きることを続けられるのもやはり大切な人たちの存在で。
お姉ちゃんの子どもたちがママを抱きしめ離れない姿や、おばちゃんの「私たちは元気に生きているので」という言葉、おとんの「1日でも長生きしましょうね」という言葉が、生きていく意味になりました。
おそろしいことにこの痛みやぽっかり空いた穴に慣れることはないことを、私は知ってしまっているのですが、でも私にしかないように、各々の記憶や思い出やこれまでの時間がしっかりとあるので、それを私が忘れずに大事に持ち続けている限り、大丈夫。
生きているうちにしか出来ないことがたくさんあるので、もちろんだらけたりもするけれど、一生懸命生きようと改めて、思いました。
大好きな人たちが笑って楽しく過ごせる時間が1秒でも長くあることを、なによりも願います。
私の最近は、久しぶりに舞台に立つので役や台本のことが頭の一部に存在している時間を過ごしています。この子も幸せであれ。
いつもやけど、今回は特に、文字にしておきたかった気持ちをつらつらしました。
読んでくれた方がいたら、本当にありがとうございますありがとう。ありがとうでございますを挟んでみました。ございますを驚かせてしまいましたね。君がいつも言葉の最後とは限らないということだよ。
また書きます。
勢いで2回だけやった個人ラジオも近々またやりたいなぁ。毎日話したいことはたくさんあったりします。一人暮らしで独り言が増えちまうだけなのでせっかくならみんなに話しちゃう。
ではまたねぇ。
かみちか