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1杯に受け継がれる思い

お茶の思い出 その1

日記に書くような特別なできごとでなくても、過去の日常の何気ない生活が今の自分を作る。
母が淹れてくれた紅茶は、僕の今を形作る大切な一部になっている。

母の紅茶

子どもの頃の話。
「紅茶でも飲む?」
台所にいる母が、夕飯の食器の洗い物を終えて、やかんへ水道水を入れながら居間にいる僕へ問いかける。
「うん」
テレビを観ながら僕は答える。
いつものように、母,弟そして僕のマイマグカップに日東紅茶のティーパックをセットしている(父は早寝で居ないことが多い)。
お湯が沸き、トボトボとカップへ注がれる。
テーブルへ運ばれてきて、明治のアーモンドチョコと一緒に紅茶を楽しむ。
学校での話をしたり、テレビを見て笑ったりする時間。
これが我が家の夕飯後の定番だった。

母は、僕へお茶の楽しさと思い出をプレゼントしてくれたのだと思う。

この楽しかった“思い出“は、次へ受け継がれる“思い“となる。

そして今

「紅茶飲む?」僕は問う。
「うん。お願い」
はじめての一人暮らしの時に買った僕のマグカップ。
そして、その隣に並ぶ妻のマグカップへと紅茶を淹れる。

今のマイマグカップと日東紅茶
かれこれ十年以上は使っている。
そのうち、これにも思い出が宿るのだろうか?

弟も僕もそれぞれ家庭があるから、集まってゆっくりするなんてお盆とお正月くらいになってしまった。それでも実家に帰ると、夕飯後の母の「紅茶でも飲む?」は今も健在だ。


1杯に受け継がれる思い

それがいつだったかは分からない。
それでも確かに覚えている。

チョコと母が淹れた紅茶,友だちと遊んたことを話す僕
何気ない日常のワンシーン

その些細なワンシーンで、人の今はできている。

一瞬一瞬を大切にしているか?
今を丁寧に生きよう。
未来の自分と家族のために。

妻の紅茶を淹れながら、そんなことを考える。




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