教養を極める読書術
『教養(リベラルアーツ)を極める読書術』麻生川静男 ビジネス社 2020年11月刊
副題に「哲学・宗教・歴史・人物伝をこう読む」とあるように著者のリベラルアーツに関わる読書遍歴が綴られているのが本書の主な内容となります。
リベラルアーツとはギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、文法学・修辞学・論理学・算術(数論)・幾何(幾何学、図形の学問)・天文学・音楽の7科とされていましたが、日本では「教養」と訳され、現代では専門性にとらわれない、多様な知に触れ、汎用的な知性を磨く術と位置付けられています。
著者は京都大学工学部出身で幼いことろから、工作や算数が大好きなバリバリの理系人間で中学校まで机の引き出しの中は電池やモータ―、バネやギア、工具で溢れかえり、本などは数えるほどしかなかったそうです。
その著者がある時より「人はいかに生くべきか?」と人生の意義について考えるようになり、本を読み漁り、その答えを導き出そうとした遍歴が本書には記されておりました。
第1章 哲学
第2章 宗教
第3章 歴史
第4章 人物伝
各章のテーマに沿って、著者の読んできた教養を深めるための幾つもの古典が紹介されていくのですが、本書は全ての古典を良しとするのではなく、著者の好き嫌いも含めて哲学者や宗教について語ってゆくところに大変、好感がもてました。
例えばアリストテレスの後世に残したネガティブな影響にも触れていたり、デカルトへの懐疑の提言、宗教に至っては戦争の強壮剤でもあると述べています。
また、この著者はエンジニアとして企業に勤めながらも、ドイツ語で書かれたカントの「純粋理性批判」にあたったり、中国の歴史書「資治通鑑」を原文で読んでいました。ラテン語は未熟と言いながら、ギリシア・ローマの古典にも挑戦していたり、とにかく、質、量ともに膨大な古典に触れ続けているのです。
企業人としておそらく、相当の実績を出してきたであろうことは、その経歴からも伺えたのですが、世の中には凄げえ人がまだまだいるなー、と感心した次第です。
その著者が魂がぶち抜かれるほど、強い衝撃を受けた書物は司馬遷の「史記」とのことでした。
「哲学」や「宗教」の書からは「人はいかに生くべきか?」に関する解決の糸口は一向に見つからず、「史記」を読んで初めて、歴史とは人間の生々しいドラマを描いたものであると発見し、以来、「史記」のような「人物伝」が主体の古典に最も重きをおくようになったそうです。
学校で習っていた出来事中心、年表主体の歴史の授業には微塵も興味が持てず、敬遠していたとありましたが、人物が生き生きと躍動している著者曰く、『本物の歴史書』の数々を読んでいるうちに、自分が求めていた人の生き方に対する答えは哲学や宗教ではなく、歴史書とくに人物伝の中にあると確信に至ったと言うのです。
これは著者ほど多くの古典に触れてきたわけではありませんが、私も本当に同感でした。
私自身が強く影響を受けてきた書物のほとんどが、優れた教え、考え方が記されていたというよりも、そこに活き活きとした人物の躍動感、生命力、息遣いが伝わるものばかりで、現在の倫理や常識とはかけ離れたものであってもそこには強い感動がありました。
また、それが古典といわれるものでなく、漫画や映画であっても強い感動があれば、古典と同様にその恩恵を預かってきました。
さらにいえば、書物ではなく実際に人物と出会い、感化され、薫陶を受けることができるならば、最高なのですが、そのような人物と頻繁に出会えるかといえば、そうではありません。
そういったわけで、古典はどこの図書館、書店でもいとも容易く手に取ることが出来ますし、中でも「人物伝」は時代を超えた出会いを我々に提供してくれるというわけです。
なお、本書のテーマでもあった「リベラルアーツ」ですが、私の中での定義は「自由になるための技術」に他ならず、奴隷から抜け出すスキルであると考えております。
現代においても奴隷制は巧妙に継続されており、そのことに対し、目を背けたくない自分がおります。
そのための読書であり、得たものを実践する行動が不可欠と考えています。
今年の目標として毎週、古典に触れていくことを自分に課したのですが、本書は大変、参考となる読んでみたい書物が紹介されまくっていました。
優れた過去の人物との対話を重ね、行動していきたいと思います。
以下、参考までに本書にて紹介されていた人物伝となります。
『プルターク英雄伝』
ネポス『英雄伝』
『宋名臣言行録』
~日本の人物伝
『名将言行録』
『先哲叢談』
『常山紀談』
『近世畸人伝、続近世畸人伝』
歴史書では以下の書物が挙げられておりました。
ヘロドトス『歴史』
トゥキディデス『戦史』
ヨセフス『ユダヤ戦記』
アッリアノス『アレクサンドロス東征記』
リウィウス『ローマ建国以来の歴史』
『春秋左氏伝』
『史記』
『資治通鑑』
『大日本史』
「意中有人、腹中有書(いちゅうひとあり、ふくちゅうしょあり)」六中観より