義とは
久しぶり宮崎学の「幇という生き方」を読み返し、義について考えてみた。
「幇という生き方」は中国の秘密結社の一員としてアジアの裏社会で生きてきた日本人より、その半生が記された遺作ノート15冊を預かった作家、宮崎学が再構成し公開した手記なのだが、20代の時に手にし、その壮絶な内容が今も忘れられない一冊だ。
その手記の中には、アジア的義と日本的義についてが記されていたのだが、自分にとっての義なるものは何なのか改めて考えてみたのだ。
自分にとっての義とは勿論、正義のことではない。
そもそも絶対的な正しさと言うものを信じていないからだ。
自分にとっての義とは、自分という存在よりも大切な価値観 に生きるということを義に生きることであると考えている。
自分と言う存在以上の価値観を見つけ、それに生きた人のことを義に生きた人と呼ぶのではなかろうか。
Living with values that are more important than my existence
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人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ。