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この街の季節は「祭り(夏)」と「冬」だけらしい。青森ねぶた祭りに初参加して猛り狂ってきました。

「祭りの力で、人と街を元気に」がミッションの一般社団法人マツリズムにて、マツリテーターの見習いをやっております。

と、いうのはこの記事とあまり関係なく、プライベートのお祭り体験記録です。
忘れたくない出来事を、真空パックに詰めたいのです。

とはいえ、知人かどうか関係なく読んでいただけるようなスタイルで書いてみたつもりです。
主なターゲットは以下。

・青森ねぶた祭りへの参加を検討している方・惰性の日常に疑問を感じて、自己の解放を切望している方

青森ねぶた祭り

というわけで、青森ねぶた祭りに初参加してきました。
初参加どころか、生まれて初めて青森県の土を踏んだ気がします。
東京から新青森まで新幹線で3時間半、そこからJR奥羽本線に乗り換え、ひと駅。

(駅を出ると迎えてくれる、特徴的な意匠の青森市観光文化交流施設「ねぶたの家 ワ・ラッセ」)

青森ねぶた祭りは言わずもがな、東北三大祭り(他には仙台七夕まつり、秋田竿燈祭り)の1つ。
曜日固定ではなく、今でも8月2日〜7日の日付固定で開催し続けている硬派なお祭りです。

お祭りの名前になっている「ねぶた」とは、神話や古典の一場面を題材に、竹や針金、和紙で立体的に再現した工作物に、内部を電球(昔はロウソク)で照らした、巨大な山車のようなもの。

言葉で表現するのは難しいですが、要はこれです。

(4車線は塞がる大きさのねぶた)

青森のねぶた以外にも、五所川原の立佞武多(たちねぶた)や、弘前の扇型のねぷたなど、県内でもその形状にバリエーションがあります。

由来は「眠り流し」や「灯籠流し」など諸説あり、始まった正確な時期も不明。

いろいろ蘊蓄を書きましたが、ポイントは、特定の神社のお祭りではない、庶民のお祭りだということ。
庶民が街の繁栄を祈って開催する、ボトムアップ的なお祭りなのかなと解釈しました。

(スタート地点に向かうねぶた)

一般人も参加可能

持論ですが、お祭りの多くは、見るより参加するほうが面白いと思っています。
視覚や聴覚だけでなく、触覚や疲労感、そして時には痛覚があってこそ、強烈な記憶として頭と胸に焼きついてきます。

思えば、マツリズムのもともとのターゲットはそこにありました。
事業の1つ「Ma-tourism」は、お祭り体験ツーリズムです。

というわけで、参加できるお祭りなら、参加したい。
青森ねぶた祭りは、そんな参加のハードルが低いお祭りではないかと思うのです。

大きなねぶたに先行して、「跳人(ハネト)」と呼ばれる群れが、揃いの華やかな衣装を着て、「らっせー、らっせー、らっせーら」の掛け声とともに、ぴょんぴょん跳ね回りながら大通りを進みます。

この跳人、衣装さえ揃えれば、誰でも参加できるのです。

衣装はわざわざ購入しなくとも、ねぶた期間中には青森市内に複数のレンタル屋さんが出現。
ちなみに我々は甲州屋という洋服屋さんでレンタルしました。

お店では、お母さんと呼ぶには少し早い女性のスタッフさんに、
「はい、パンツ一丁になって」
と言われ、緊張しながら女性の前で服を脱ぐという貴重な体験をしました。

なお、基本料金は2980円で、足袋と草履と、貴重品入れる巾着は別途購入しています。
あわせて6,000円くらいだったかな。

(ハネトの衣装)

いざ、幸せの渦へ

ねぶたは、夜のお祭りです。
18時半を少し回った、まだ日の落ちきっていない時間に物産館アスパル横のねぶた小屋を出発し、それぞれのスタート地点に向かいます。

この時間で既に、沿道にはすごい人。

(19時前の大通り)

我々が参加した8月3日(土)は、約15の団体とねぶたが出ていました。
正装した跳人は、どの団体で跳ねることも可能です。
今回は、とりわけガチ勢として聞いていた「県庁ねぶた実行委員会」に混ざらせてもらうことにしました。
特に事前の手続きもなく、開始直前に団体に潜り込んで行きます。

あたりが暗くなってくると、ねぶたがスタート。動き始めます。
さてここからが、とんでもなくエクストリームな時間。

跳人の仕組みは、こんな感じです。

太鼓にあわせて、トラメガで、
「らっせーら!らっせーら!」
と煽る人。
ひと団体でも、この煽りの人が何人かいます。

それに続いて、
「らっせー、らっせー、らっせーら!」
と叫ぶ跳人たち。
叫びながら、右足右足、左足左足というように、いわゆるケンケン。

その場で跳ぶというよりは、左足で右方向へ、そして右足で左方向へと、ややジグザグしながら進む、そしてできるだけ跳ぶ足を高く、滞空時間を長くするのが“魅せる”形のようです。

(パレードの光景)

煽り「らっせーら!らっせーら!」跳人「らっせー、らっせー、らっせーら!」(ケンケンしながら、以後繰り返し)

これを、太鼓に合わせて跳ね回る。これだけなのです。
これ、最初はただただ、幸せな時間。
偉大なパレードの中にいられるということ、大勢の人々が見てくれているということ、そんな状況にいることが誇らしく、笑顔でいられるのが楽しい。

しかし、そんな時間はせいぜい最初の20分。

痛みと汗と疲労と笑顔と

跳人が車道を縦横無尽に飛び跳ねる動きは、足はもちろん、下半身全体に負担がかかるので、はっきり言って自傷行為です。
跳んでいればどこかしら痛くなるし、関節に乳酸が溜まって疲労も蓄積する。

そんな時間が、19時10分頃から21時まで、2時間近く。

(先頭で煽る人)

『体力ちょっと限界かな…』
と思っているところに、トラメガの煽りが、
「まだまだいくぞー!らっせーら!らっせーら!」
スポ根ときたか。

絞り出す。

もう、笑うしか無くなる。

とうとう、足が上がらなくなる。

楽しい時間が、いつのまにか試練の時間に変わり果てる。
『休憩はまだか…?(インターバルけっこう長い)』
『いつまで続くの…?(永遠かと思った)』

個人差はあれど、周りも当然疲れて、足が止まり始めています。
ちゃんと跳ねられている人が、明らかに減っている。トボトボ歩くしかなくなっている人もいる。

もはや精神力とか、意地の世界。
それは高尚なものでは到底なく、とにかく負けたくないという意地。
え、何にですか?

跳人衆に、奇妙な一体感とノリが生まれてきます。

(狂乱の跳人を先頭から写す)

ここで仲間の数名で、あえて跳人衆の最前線の歩道側に躍り出ます。
パレードの後方や、アンコ部分にいれば手も抜きやすので、回復に集中できるのですが、それは選びたくなかった。

数人の仲間と、先頭で吠え続ける。
あえて気の抜けない、観客からの視線を浴びやすい位置で、汗まみれの引きつった笑顔を作る。
それはそれは汚い、キラキラした顔を。
そして全力で観客を煽る。『盛り上げろぉぉ!!』と言わんばかりに。

見ず知らずの観客の方々が、うちわで扇いでくれる。
こちらも負けじと扇ぎ返す。

小さな子どもに鈴をおねだりされる。
いつの間にか衣装にくくりつけてた鈴が、ほとんど振り落とされている。
『ごめん、鈴はなくなっちゃった!!』

「観客は何を見に来ているのか」問題

跳ねながら、素朴な疑問も湧いてきます。
そういえば、観客は何を目的にねぶた祭りを見ているのだろう。

まず考えられるのは、制作物としてのねぶたの、芸術的な側面を楽しみに来ているのではないかということ。
うん、これだ。きっとそうだ。

一方で、パフォーマンスを楽しみに来ている方はどれだけいるのでしょうか。
だって、跳人にはパフォーマンス性なんてないのです。
そもそもが素人集団なので、揃いの動作という調和美があるわけでもない。
さらに疲労と極限状態が加わることで、それがどんどん崩れる。
例えるなら、厳しい部活でしごかれてしごかれて、しごかれ続けて苦しむ光景。

何を見ているのか。
人間の苦痛の表情や、苦しさを跳ね飛ばすドラマのようなもの?
極限状態とは、エンタメ…?

これはどなたか教えてください。

解放

そんな時間にも、終わりが来ます。
パレードの終了時間である21時になって残るのは、解放感と喜びと、少しの寂しさ。
とんでもない2時間の体験を共有した、友人知人関係のない周りの跳人衆と、「お疲れ様でした!最高でした!」と労い合います。

そんな、2019年の青森ねぶた祭りでした。
一生に一度は参加すべきと思いますが、殺人的な筋肉痛に苦しむ今は、毎年行きたい!という気持ちまでは持てておりません。

でも、健康な方であれば、ただ観光で見学に行くだけよりは、跳人として参加することをお勧めします。特に、仲間と参加するのがお勧めです。
強烈な生を実感できること、うけあいでしょう。

やや疑問なのは、ねぶたを愛する青森の地元の方々はどうしてるのでしょうか。
毎年毎年こんな体験してたら、足腰が強くなるのはもちろん、精神力という意味でも次元の高い人間になれるのでは…

忘れてはいけないのは、青森ねぶた祭りは8月2日から7日まで毎晩開催されていること。
私はせいぜい一晩参加しただけで、翌々日には歩行困難なほどに消耗したのですが、(青森の人口を考えると)跳人が毎晩すべて入れ替わるとも思えないので、連日連夜跳ね回っているという究極生命体の方もいらっしゃるのでしょう。

最後に、全日程を終えた青森ねぶた祭り2019の関係者のみなさま、ありがとうござました。
たいへんお疲れ様でした。

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