人生邂逅 ちょっとひと息
父親の想い出 と最期の迎え方
知り合いの方のお父様が亡くなられ、その時のことをご自身のブログに記しておられたことから、わたしも自分の父について、思いを馳せる機会をいただきました。
もう、24年も前になります。
父の最期は、まさに突然でした。
私が名古屋の営業所にいた時で、丁度その日は高松市にある四国営業所で営業会議があり、出張中でした。
営業会議が無事終了し、いつものように打ち上げ会のあとカラオケで盛り上がっていた時、背広の内ポケットで携帯が鳴りました。
いつもなら、そのまま聞き流すのですが、この時はなぜか受信しました。
表示されたのは、普段ほとんどやり取りのない岡山のいとこでした。
そこで、父が亡くなったことを手短に伝えられました。
それまで、父の体調で変わったことなど連絡はなかったので、あまりに唐突なことで一瞬、何のことか理解できませんでした。
翌朝は、予定では部長との面談が予定されていましたが、スキップさせて頂き、高松のホテルを早朝に出て、岡山の自宅に向かいました。
偶然にも実家の近くにいた。ということになりました。
父の死を、あとから、じっくり考えてみると。
親の死に目には会えなかったのですが、
苦しむことなく、気持ちが悪いとトイレに行き、そこで倒れて、病院に運ばれ、そのまま息を引き取ったとのこと。
あっけないといえば、そのとおりですが。
誰に迷惑をかけることなく、旅立っていった父の最期は、じつに見事と言えます。
いわゆる、「ぴんころ」というやつです。
じつは、若いころは酒癖が悪く、母親を泣かせていた父です。
わたしも、ある時期までは厄介な父親と思っていたのも確かです。
ただ、お酒さえ飲まなければ、じつに気の良い、気配りの利く、またユーモアもあるヒトでした。
それに、なにをやっても器用にこなすヒトでもありました。
訳あって、定職に就けなかったために、母親が小学校の教員として世帯を支え、父は母に代わって、家事一切を担っていました。
時代の先取り。と言えばその通りなのですが、
あの時代(今から60年も前)男としてのプライドがどこか許さない。ものがあったのではないでしょうか。
わたしも、終活の時期にはいりました。
終活は自分の意思でできますが、最期の迎え方は、意思ではどうしようもないものです。
父の葬儀では、多くの方から「理想的な最期の迎え方」と言われました。
父が示してくれた「最期の迎え方」。
今更ながらですが、父に「あっぱれ!」です。
そういえば、父がよく言っていたのは
「人に迷惑をかけるようなことだけはするな」 でした。
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