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人生邂逅 ・まなび編  ◆仏教読書会から -38

正法眼蔵随聞記 3節の13項 より


「あとあとの事や、明日のくらしの手立てを考えて、捨てるべき世を捨てず、修行すべき道を修行しないで、大事な日夜を無駄に過ごすのは残念なことである。」

この一文を読んで、少し飛躍はありますが
「捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」という言葉を思い浮かべました。

言うは易く。ですが、私の経験の中でこれに類した場面に出会ったように思います。

そのほとんどが、現役時代の組織変更にまつわるものです。

上長から、「次の組織では君の居場所がみつからないので、覚悟しておいてくれ」と。言われたことがありました。

まさに、リストラの嵐が吹き荒れ、私もその旗振り役の一人として、推進する側にいたときです。
組織ごと、ほぼ全員が転勤対象になるといった大規模な異動でした。

その異動先に居場所がない?! 

ポストを確保できない。という意味のようでした。

たしか、50代半ばだったと記憶しています。

この上長は、信頼のおける方で、裏表のない誠実な方でした。

親分肌で、部下の強みをうまく引き出す天才的なところを持っておられ、
わたしたちは、すごく仕事がしやすかったことを覚えています。

そのかたが、そこまで言われるのですから、余程のことだと感じました。

その時は、一瞬頭が真っ白になり、答えに窮したのですが、

「気にして下さって、ありがとうございます。でも、どんな結果になっても大丈夫です」
とお伝えしました。

それは、どこの部署に配属されるかわからず、また、役職を外れることを覚悟する。ということですから、不安は不安でした。

まさに、まな板の鯉 です。

それから、数日して人事発表がありました。

滋賀にある工場の総務課長職としての辞令でした。

思いもよらない結果でした。

たしか、前職の課長さんが急遽、早期退職することになったとか。


その後も2度ほど、同じようなことがあったように記憶しています。

前述の「正法眼蔵随聞記」に書かれている内容とはずれてはいますが、執着を捨てて今なすべきことに注力することこそが大事。

と考えるなら、共通しているようにも思います。

地位や富や名誉への思いが無いと言えば、嘘になりますが、
それへの執着からいったん距離を置き、純粋なこころで今その時の自分に向き合えた時、意外と道が開けるのかもしれません。 

偶然にしては、数度も経験したことには、それなりに意味があるのでしょう。

まさしく、「捨ててこそ浮かぶ瀬」だと、思えてなりません。


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