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人生邂逅 ・まなび編 ◆仏教読書会から -42

正法眼蔵随聞記 解説 道元・その人と思想 増谷文雄より

昨年8月21日から読み進めてきた「正法眼蔵随聞記」もいよいよ最終の解説文に。


全編を振り返り、道元の人となりを説明されていますが、私にとって最も印象に残ったのは
学道の人は最も貧なるべし、貧しふして道を思ふは、先賢古聖の仰ぐところ、諸仏諸祖の喜ぶ所なり。」と語ったところで、

その心とするところは、すべて専門の道を歩む者一般に通ずるであろう。
と明言されています。

道元禅師は、一貫して、道を究めるには「貧なるべし」と、執着を捨てることを熱心に説いています。

これは、
物をもたないということだけではなく、自分自身のなかに、知らず知らずのうちに沁みついている既成概念価値観を捨てて、いわゆる「無」の状態になる。ことを示しているのだと解釈します。

しかし、これが一番難しいのです。

執着から離れる。とは、

煩悩にまみれた凡夫には、最も縁遠いところにあるように思われます。

先日、あるテレビ番組で取り上げられていた有名なリフォームデザイナー(?)方のお話の中で

視力と視野がどんどん低下していく病に罹っていて、メモを取ることさえできない。

そこで、周囲のメンバーにはその場で聴いて感じたことを、直接指示をされているのですが

そのとき、「失うことで得られるものがある」と、言われ、視力が落ちることで、感じる力はより強くなる。といったようなお話をされていて、なるほど。と思う一方

自分は?

このところ、視力低下がひどくて、とにかく目が疲れて仕方ないのですが、

かといって
感性が鋭くなっているような自覚は全くない。

この差は、どこから来るのか。

道元流に言えば、まだ視力に執着している。ということ。

視力の低下を潔く受け入れることができず、じたばたしている。ということではないでしょうか。

それは、視力に限らず老いによる機能低下全般に言えることですが・・・。

頭では理解はできるのですが、どうしても心がついて行かない。

捨ててこそ、浮かぶ瀬。 なのでしょう。


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