ゲーム理論、パレート最適、ナッシュ均衡
わたしゃ、誰かが嫌な気持ちになるのがとても嫌いです。
特に、自分の仲間や関係者がそうなるのは大嫌いです。
その感覚が、きっと仕事にも通じています。
あと、究極的に効率的である状態を好みます。
ここから先の内容は、大昔に授業で聞きかじったくらいなので、各言葉の解釈などが正しいものと乖離しているケースがあると思います。ぜひご指摘ください!!
書いた後に考えたら、一切数学的なモデルがないことに気づきました。明らかな欠陥文章だ…笑
言葉の定義(ゲーム理論関連)
以下、Wikipediaより引用。
ゲーム理論(ゲームりろん、英: game theory)とは、社会や自然界における複数主体が関わる意思決定の問題や行動の相互依存的状況を数学的なモデルを用いて研究する学問である。 数学者ジョン・フォン・ノイマンと経済学者オスカー・モルゲンシュテルンの共著書『ゲームの理論と経済行動』(1944年) によって誕生した。
ある集団が、1つの社会状態(資源配分)を選択するとき、集団内の誰かの効用(満足度)を犠牲にしなければ他の誰かの効用を高めることができない状態を、「パレート効率的 (Pareto efficient)」であると表現する。また、誰の効用も犠牲にすることなく、少なくとも一人の効用を高めることができるとき、新しい社会状態は前の社会状態をパレート改善 (Pareto improvement) するという。言い換えれば、パレート効率的な社会状態とは、どのような社会状態によっても、それ以上のパレート改善ができない社会状態のことである。
ナッシュ均衡は、他のプレーヤーの戦略を所与とした場合、どのプレーヤーも自分の戦略を変更することによってより高い利得を得ることができない戦略の組み合わせである。 ナッシュ均衡の下では、どのプレーヤーも戦略を変更する誘因を持たない。 ナッシュ均衡は必ずしもパレート効率的ではない。 その代表例が囚人のジレンマである。
囚人のジレンマ(しゅうじんのジレンマ、英: prisoners' dilemma)とは、ゲーム理論におけるゲームの1つ。お互い協力する方が協力しないよりもよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなる、というジレンマである。各個人が合理的に選択した結果(ナッシュ均衡)が社会全体にとって望ましい結果(パレート最適)にならないので、社会的ジレンマとも呼ばれる。
ビジネスにおけるゲーム理論とは
前提として必要になるのは、社会的ジレンマが生じるのか否か。
つまり、互いに協力することが可能なのか、不可能なのか。
基本的には、仕事をともにする以上、協力することが可能なはずである。これができないのは、相手の利益が自らの損失に直結するようなケースくらいか。
例えば、片方がECサービスを展開している企業A社。もう片方が製品を生産する企業B社。
A社が自社製品の販売を企画し、B社に対して発注をしようとしている。お互いの売上をMAXにできるような水準でコスト感は合致。
A社は新商品が販売でき、B社も売上が上がり、WIN-WINと言えるでしょう。ナッシュ均衡の成立ですね。
と思ったら
実は。B社は今回の商品の制作ノウハウを活かして、類似した商品の開発をC社に提案していたのです。
そうすると、C社がA社と競合になり、お互いの顧客を奪い合う形になるでしょう。
起きることは、A社の売上減。B社の売上増。ナッシュ均衡だったかもしれませんが、パレート最適ではなかった。
これでは、当初の条件面での均衡は成立しないでしょう。
こうした場合は、A社からB社に対して、独占的に製造してもらう契約の条項や、他社展開が可能であるB社に対するコスト交渉などが発生するでしょう。
ここでB社が強気に出た場合、C社に絶対に勝てる施策が見つからない限り、A社はプロジェクトの中断も検討するかもしれません。
私が意識している最適化
関係者全員が、100%完璧に満足する決定なんて、難しいと思っています。
でも、全員が気にすることと気にしないこととを切り分けて、その満足度を最大公約数的に拡大することはできます。
営業やコンサルだと、目の前のお客様とのヒアリングから入って、大事なことを聞き出し、相手のこだわりポイントを明確にして、そこに訴求する提案や提言をしていきますね。
私の場合は、プロジェクトや会社、その先の顧客まですべてに対し、可能な限り視野を広げて…
その場限りの考えだけではなく、長期的な目線で施策を検討したいなぁと日々考えております。(難しいので実行できているかは怪しい)
すぐに何かをしてほしい人、後でも良いから何かをしてほしい人、定期的に何かをしてほしい人…みたいに時間軸でもこだわりを分解することができるんです。
そうすることで、全体最適化をさらに進めることができたりします。
そんな中、全体を最適にすること、そしてプロジェクトや案件が成功することが私のこだわりポイントなので、全体が不幸になるポイントがあれば、それは私自身で解消をできないか試みます。
結果、みんなは嫌がることが私に集まり、私自身はそれを対処する。でも全体が最適な状態なので、プロジェクトは順調に進みます。
この成功思考については、実業務の中でもよく評価されていたと実感していますし、転職面接の際にも高評価をいただくポイントでした。
また、誰にでもできないことばかりを対応することになるので、私自身の成長にも大きく影響したと思っています。
全体最適化=ポジティブな状態
冒頭に書いた感情のところ。プロジェクトなどを進める中で、全員が最適化された状態というのは、非常にポジティブな状態なんです。
そうすると、仕事も前向きになり、コミュニケーションも前向きになる。
パフォーマンスも上がり、また次もやりたいって思える。
非常に好循環だなぁと。
だから、みんなが不満を感じることなく、それだったら前に進めようよ、と思ってもらえる状況を、私は作りたくなるんですよね。
ただ、本当に全員が言いたい放題やりたい放題するわけにもいかないので、そこに役割であったり、立場であったり、というものを理由付けして、上手に采配することも大事だなと感じています。
お客様にはここまでご担当いただきたい。弊社でこれを受け持つのはさすがに貴社としても問題がありますよね…
とか。
エンジニアさんは通例これくらいまでは実施してくれるので、私の方ではここまで整理したらOKかなと…
とか。
仕事なので、ある程度の常識を持ち込むと、お互いに納得感強くなりますよね。
ゲーム理論のための客観的な視点
これを実現するためには、俯瞰的に全体を捉えて、客観的にそれぞれを理解・評価をすることが大事です。
すごく難しいですねー。
それらを、定量的な情報、定性的な情報を用いて整理して、都度チューニングをする必要があります。
そんなことばっかりやっているとどうなるか。
とりあえずなんでもかんでも頭の中で全体図を描き、そこに個々をプロットするような私みたいな人ができあがります笑
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