見出し画像

実は2泊3日だったんです。

10月11日にnoteに投稿し、既にスキを10個頂いている「羽黒山石段詣」の全容です。羽黒山を含む出羽三山は山形県です。宮城県からは、170キロメートルほどの道程、高速道路を利用すれば2時間30分あまりです。現地でのプランを考慮しても充分日帰圏ですが、今回は敢えて、タイトルの通り2泊3日で行ってきました。「石段詣」を行ったのは中日、2日目です。
 羽黒山をお参りする計画立案にあたって、山形県内の2ヶ所の未訪問の道の駅が気になりました。最上地域、最上町の道の駅「もがみ」山形市内の道の駅「やまがた蔵王」の2駅です。同じ山形県でも羽黒山は庄内地域、道の駅は最上地域と村山地域、行きたいところがバラバラ、一筆書きのようにグルリと周遊するのは日帰りでは無理です。加えて、羽黒山頂にある「斎館」で精進料理を食べてみようという話になり、朝から登り始めて昼食にすることになりしました。麓の随神門付近には宿坊もありますが、せっかく泊まるなら温泉がいい、とオプション的な要素が増えました。いくつか候補がありましたが、鶴岡市内に宿泊するのが利便性を考えると最適です。お昼には山頂について精進料理を食べて、下りはバスを利用すれば、途中道の駅に寄っても帰宅できそうです。ただ、石段は2446段、1時間30分から2時間ほどかかるので、帰りも温泉で疲れを癒そう、もう一泊することになりました。こうして日程は2泊3日になりました。
 10月1日、8時58分、予定時刻より2分早い出発。国道4号、457号、47号を経由して10時9分、走行距離45.5キロメートルで「あ・ら・伊達な道の駅」着。トイレ休憩。国道47号で鳴子温泉を抜け、中山峠で県境を越え山形県に。11時23分、89.4キロメートルで一つ目の目的地、2023年8月の第59回で登録された山形県23番目の道の駅「もがみ」に到着。
思っていた通り「川の駅 ヤナ茶屋もがみ」に道の駅になる要件を拡充した施設。さほど大きな駅ではないので写真撮影、押印、パンフレット収集など個人的に決めている初訪問時のセレモニー的な一連の約束事は20分ほどで完了した。


国道47号を西進する。新庄市から戸沢村、庄内町と車を進め道の駅「しょうない」で昼食。この駅は何度か来たことのある駅。先ほどの「もがみ」より食事のメニューが個人的な好みなので、あえてここで昼食とした。時刻は12時46分、ここまでの通算の走行距離は138.7キロメートル。今宵の宿泊を予定している鶴岡市を目指して車を進める。チェックインは15時なので時間調整を兼ねて市内の鶴岡公園に寄っていく。公園は市内のほぼ中心部、もとは庄内藩主の居城があった城址公園だ。


園内の「庄内神社」に参拝。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。1877年(明治10年)の創建。社紋は酒井家の家紋である「丸に剣片喰」。社殿は、本殿、参集殿、宝物殿の三つに分かれる。本殿には御祭神として、初代 酒井忠次公、2代 酒井家次公、3代 酒井忠勝公、9代 酒井忠徳公、が祀られている。



同じく園内にある、「藤沢周平記念館」に立ち寄る。著書を読んだことはない。作品としてテレビで放送された「たそがれ清兵衛」くらいしか知らない。それでもビッグネームの作家さんなので興味本位で覗いてみる。出身が現在は鶴岡市になっているが、東田川郡黄金村なので、この地に記念館があるようだ。辰年に因んで内容まで詳細に紹介されていた「龍を見た男」という作品が印象に残った。

神社参拝、記念館、公園の散策に1時間30分余り時間を費やす。15時43分ホテルにチェックイン。初日の走行距離は161.1キロメートルでした。
 2日目は8時40分にホテルをチェックアウト、9時5分に山麓の羽黒山随神門駐車場に車を停めた。
以下2日目はnote「羽黒山石段詣」を参照。
山頂バス停を13時ちょうど発の鶴岡行きバスで山を下り随神門駐車場着が13時15分。庄内朝日インターチェンジから山形道、月山道路を走り「寒河江サービスエリア」で10分ほど休憩。山形ジャンクションで東北中央道にはいり山形上山インターチェンジで高速をおりる。2日目のホテル着が15時12分。ここまでの通算の走行距離は282.1キロメートル。
 3日目。宿泊しているホテルの露天風呂から道の駅「やまがた蔵王」が見えている。道の駅の営業開始時刻は店舗によって異なるが9時から10時に開店する。見えるくらいの至近距離だけど、9時18分にチェックアウトする。9時23分、通算の走行距離283.9キロメートルで、2023年8月の第59回で登録された山形県22番目の道の駅「やまがた蔵王」着。もともとあった山形のお土産などが4千品目以上そろっている「ぐっと山形」と新鮮な野菜とフルーツを販売している「食の駅」に道の駅になるための諸設備を追加したと思っていたが、既存の2つの店舗は道の駅とは別で隣接する施設とのことだった。ただ、連結通路があって雨の日でも濡れることなく、行き来できるようになっているので、一連の商業施設というイメージだ。10時33分まで1時間ほど滞在した。写真撮影、スタンプ押印、パンフレットの収集、そして旅の楽しみ、御土産の買い物などを楽しむ。




最後の目的地「山形美術館」に向かう。3日目が道の駅だけではちょっと物足りないので急遽加えた目的地だ。
 以下美術館の公式ホームページから引用。
吉野石膏コレクション-珠玉のフランス近代絵画
1991年、吉野石膏株式会社(本社、東京・丸の内)より、同社が収集してきた印象派を中心とするフランス近代絵画が寄託された。その後も追加寄託が続き、ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) 、カミーユ・ピサロ(1830-1903) 、エドゥワール・マネ(1832-1883)、エドガー・ドガ(1834-1917) 、アルフレッド・シスレー(1839-1899) 、ポール・セザンヌ(1839-1906)、クロード・モネ(1840-1926)、ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919) 、アンリ・マティス(1869-1954)、モーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)、ピカソ、ジョルジュ・ブラック(1882-1963)、エコール・ド・パリのシャガール、ヴァシリー・カンディンスキー(1866-1944)など、バルビゾン派、印象派、フォーヴィスム、キュビスム、抽象絵画、エコール・ド・パリの作家による国内有数の良質な作品群として認知されている。吉野石膏株式会社は2008年に吉野石膏美術振興財団を設立(2011年公益財団法人に移行)。現在は吉野石膏ホールディングス株式会社および吉野石膏美術振興財団が所有するフランス近代絵画およそ百数十点の寄託を受け一部を常設展示として公開している。
(ここまで引用)
絵画など全くの素人ですがそれでも名前を知っている、モネ、ルノワール、セザンヌなどの作品が見られる。特にモネの「睡蓮」を楽しみにしていた。モネの睡蓮は水生植物の睡蓮を題材に描いた一連の絵画の総称のようで、世界各地の美術館にあるようです。以前に大原美術館で見た記憶があります。
 残念なことにこの日「睡蓮」は展示されていませんでしたが11時4分から12時35分まで絵画を鑑賞しました。やっぱり本物は迫力があってオーラを感じます。食い入るように見入ってしまった作品がいくつもありました。 

美術館を後に山形蔵王インターチェンジから高速道路に入る。途中「古関パーキングエリア」で昼食をとり、通算の走行距離370.3キロメートルで14時16に帰宅しました。羽黒山石段詣と道の駅訪問の2泊3日の旅でした。
 後日談として、記憶に残っている藤沢周平の「龍を見た男」を図書館で借りてきました。短編集でした。タイトルの作品の他に江戸時代の庶民の生活を描いた作品が収録されている。読んでみた。個人の感想として、少しとっつきにくかった。「龍を見た男」と「帰って来た女」の2作を読んだだけで、その後は返却日まで手に取ることはなかった。

いいなと思ったら応援しよう!