ドラキュラ伯爵の居城、トランシルヴァニアのブラン城-1999年12月
もう20年も前になりますが、ブカレストへ長期で出張していた。その時のメモと写真をこのウェブhttp://ro.iio.org.uk/に残しています。
世紀末の1998/99年、EU加盟前のルーマニア(2004年5月1日に加盟)の首都ブカレストで足掛け1年半の現地調査を実施しており、1999年12月末に現地分が終了予定だった。この時までに他の団員は帰国しており最後まで残っていたのは最若年の私を入れて3人だけだった。短期出張を何度か繰り返す日程からなかなかブカレストを離れることが出来ず、対象がブカレスト首都圏だったので致し方ないのであるが、ただ日帰りでドナウ川河畔のジュルジュとブラショフは訪れていた。他の団員が夏期にドナウデルタへも足を延ばしたようだったが私の日程と合わず仕舞いだった。そして、12月に入り余裕が出てきたので以前より行ってみたかったトランシルヴァニアを駆け足で一周することにした。
1999年12月初旬の週末、私とドライバーのジョージ(ゲオルギ)の二人で挙行、ブカレストを出発した。ジョージはいつも利用している車持ち込みのレンタカー屋で赤い色のオペルのセダンに乗っていた。人間的に非常に親切で、お互いにつたない英語でコミュニケーションを取りながらのドライブとなった。ジョージはチャウシェスク政権時代にルーマニア空軍に勤務しており航空管制を担当、任務はチャウシェスク大統領搭乗機の管制とのことだった。
ブラン城は、アイルランド人ストーカーがワラキア公国の王、別名串刺し公、を題材にして書いた”ドラキュラ伯爵”でこの地が一躍有名になった。オスマン帝国がこの地を攻めたときワラキア公は見せしめにトルコ人を串差しにオスマン兵に見せつけた。オスマン兵はこれを見て退散していったとのこと。そのドラキュラ伯爵の居城であるブラン城を訪ねた。ブラショフから車で1時間も走っただろうか、静かな田舎道の先に小高い丘の上に建つブラン城が見えた。
私が訪れたのは1999年12月中旬、雪が少し残っていたが天気は良かった。ルーマニア人の屈託のない若者グループが訪れており、彼らからシャッターを押してくれと頼まれた。
城の入り口には民芸品を売るお店が駐車場の周りを取り囲むように手作りの商品を所狭しと並べていた。毛糸の靴下など小物をみていたら、1ドルだったか2ドルだったか、買ってくださいと何度となくせがまれた。毛糸のセーターはとても暖かそうだったが、持ち帰るのにかさばるのではと買うのを躊躇した、しかし、これは後からたいへん後悔した。手工芸品は皆現地で作られていたものばかりだったからだ。
駐車場の脇にブラン城の入場券売り場があった。当時、私はブカレスト市役所からIDをもらっていたのでそれを見せたところ、ルーマニア人と同じ料金となった。その時、なぜ、そのようなIDを所持しているのか不思議がられた(疑いの目で)。すかさず、ジョージがルーマニア語で助け舟を出してくれた、以後、同じようなことが何度もあった。海外でODAの仕事をする際には常にIDを発行してもらうようにしているが時々このようなお得になることもある。
これら写真はフィルムカメラで撮ったのをスキャンして得られた写真です。当時はデジタルカメラがあったと記憶してますが、使用に耐え得るモデルがなくw
厳しい経済状況下なれど屈託のないショップの女性たち
所狭しと並べあられた手作りのセーターや靴下など、とわんこ。
駐車場からブラン城を望む。
毛糸のほか、レースのテーブルクロスなども。
この石畳の坂の上がの城の入り口
生活感のある空間
城の窓から領地を望む。