リアリティの在り処(1)
模型のリアリティは鑑賞する側の現実の理解度に依る。
ここにスーパーカブの模型があるとします。
とても精巧に出来ていて上手にウェザリングも施されて、一見本物のように見えます。
「とてもリアルだ」「本物みたいだ」
しかしよく見たらレッグシールドが錆びたように塗られています。
この瞬間、スーパーカブを知っている人にとってリアリティは失われて「ただの模型」でしかなくなる。
車やバイク、動物や人間の模型が難しいと感じるのは、身近にあってその対象をよく知っているからで、嘘が許される範囲が狭いためだと思う。実物を知らない人のいう「リアル」はただの想像でしかない。
戦車や飛行機を博物館で見た時に違和感を感じることがある。模型で見慣れた感じよりもむしろ玩具っぽく見える。リアルは目の前にあるそれなのに。
模型や写真で刷り込まれたハイコントラストのイメージがどうしても本物を拒絶する。
リアリティの錯誤というヤツは性質が悪い。
模型に印象を落とし込む、という言い方を自分もよくするが、それは何を見た印象なのか。紙焼きを繰り返して明暗のコントラストだけが強調された古い写真か、はたまた名画伯の描いたボックスアートか。
それは借り物のリアリティ、またはただの劣化コピーじゃないのか。
最初からそれは到底無理と決め込んで、イメージ優先で塗るアプローチは「本物みたいだ」という率直な感想に対して不誠実な気がする。
だけど実物(または極めて解像度の高い写真)を見た印象に忠実に塗ったところで、それを見た人が同じ印象を持っていない場合・・・。
そんなことを考えて今日も製作の手が止まる。