鑑賞の手引き
仕事の言い訳をこういうところでするのはイレギュラーというかよくないと思うんだけれども。
アーマーモデリングのフィギュア美女メイクに寄稿するテキストが「硬い」「偉そう」というのは書いてる本人も気にはしているんだごめんよ。
である調の文章は書きやすくて好きなんだけど、どうしても印象は悪くなるっつーかカドが立ちやすい。くだけた文章で何かを伝えるのは比較的苦手なのと文字数を食うから、なかなか上手く出来ないん。
で、今回はペインターが違えば同じフィギュアでもこんなに違いが出るんだよ、っていうのを伝えたいっていうオーダーだったんだけど、ちょっと思うところもあって「どう見るのか」っていう事に触れたかった。
どうも模型の世界は技術の比較評論かフリーダムなお気持ち表明ばかりが目について、以前からモヤモヤしていたところがある。
勿論どちらも必要な要素なんだけど、もうひとつ「鑑賞する」という方法があるんだよ、っていう話はあまり出てこない。ま、自分が見ていないだけで、そんなの常識だろって言われるかもしれないけど。
さて、鑑賞するという言葉の意味を辞書で調べてみると「美的な対象を視覚、あるいは聴覚を通して自己の中に受け入れ深く味わうこと」とある。
使用する道具や塗料、配色、改造の有無などで仕上がりに違いが出る訳だけど、それは全て塗り手が「何か」を表現するための手段だと思うのね。それ自体が目的のHow toとか完成度を競うコンペティションは別だけれど、本来はこの「何か」が作品で見るべきところ、主題、じゃないかなと思うわけだよ。
そして技術的な違いだけを見て比較するのじゃなく、塗り手が意識的にせよ無意識的にせよ作品に盛り込んだ「何か」を、例え深読みでも構わないから自分なりに読み取って、その時に自分のなかに生まれる心象の意味を考える事こそが、ちょっと内向的だけど有意義な楽しみ方じゃないかと思うのだ。(む、やぱしえらそう)