とあるプリキュア論について、私のスタンスと反論 まとめ前編

KLPです。
新しいプリキュアのタイトル「わんだふるぷりきゅあ!」が発表されたということで、男の子プリキュア批判派の一部への反論もまとめておきます。
なお、この記事ではぼくプリにはわずかしか触れていません。言いたいことはこれまでに大体言い尽くしましたし、それ以外はキュアウィングや男の子プリキュア自体についてと構図が重なるからです。

例によって長い記事になってしまったため、「まとめ」と言いつつ前後編になりました。

※プリキュアについての普通のレビューはこちら
特に、この記事と内容が大きく重なっている記事は
こちら


どうしても「失敗だ」と言いたい

批判派は、大小様々なことを「だから男の子プリキュアはダメだ、失敗だ」という結論に持っていきがちでした。

【ウィングの戦闘スタイル】

批判派の間では、「ウィングはお姫様抱っこのためだけにいる」と言われているようです。

ウィングが俗に言う「お姫様抱っこ」をよくしているのは事実ですが、それの何が悪いのか分かりません。ウィングが女性陣を「お姫様」扱いして、戦闘力を削いでいるとでも言うのでしょうか?
確かに、演出は見栄えやウケも含めて考えるものではあるでしょう。しかし私には、飛行能力のあるウィングが飛ばされた仲間を助けるにあたって、自然な抱え方だと思えます。ナイトを名乗る以上は、荒っぽい抱え方もできないでしょう。

また、ウィングは男の子とはいえ、年少で、背が低く体つきもたくましくないため、いかにも女性を守っているような印象は受けにくいはずです。批判派がよく「男の子を扱った割には逃げている」とあげつらうウィングの特徴は、他でもない批判派の懸念を払拭するのに役立っているのですが、お気付きでしょうか。

そして女性陣も「抱っこされた!」などとはしゃぐようなことはなく、すぐさま戦闘に戻りますよね。いつも男性含む多くの人々を助けているし、ウィングをフォローもします。ウィングに抱えられた途端にそれはなかったことになるのですか?それこそ女性陣の戦闘力の軽視でしょう。

もし、「飛行能力が男の子にあること自体が失敗」「そもそも男に女を助けさせるな」というのであれば、私にはそれは難癖に感じるので、話は平行線です。
ただ、批判派はお姫様抱っこで騒ぐファンを見下しますが、出てくるたびに特別な意味を見出して反応するという点では、ご自身も同じではないでしょうか。

【ピーチとのコラボ】

ひろプリは航空会社のピーチとコラボしました。

最初に出たイラストとグッズ展開で、夕凪ツバサだけがパイロット、女性陣がキャビンアテンダントであったことに、男女がステレオタイプ的に分かれているとの批判がありました。

この件は、私も惜しいと感じました。航空力学を学ぶツバサがパイロットなのはいいとして、ここで女の子も当然のようにパイロットにしたりするのがプリキュアじゃないのかと思いました。こういう形で「男の子」が目立つのは残念です。

ただ、このあと更に新規イラストによるグッズが展開され、そこではソラ・ハレワタールがパイロット、虹ヶ丘ましろが整備士の格好をしています。

また、コラボの一環の第26話は、パイロットである母親を尊敬する少女のお話でした。

これらが元から予定されていたことか、批判を受けて急いで修正した結果なのかは分かりませんが、ともかくリカバリーはできていたと思います。

ところで、新規イラストの発表は7月23日頃、第26話の放送は7月30日です。つまりそれ以降にウィングだけパイロットだった件をあげつらった人は、既に改善が見られた件を、あたかもずっと続いている問題かのように書いたことになります。例によって片手落ちであり、印象操作です。
批判派はどんなに気に入らなくても視聴は続けていたようなので、百歩譲って新規イラストは知らなくても、第26話は見たはずでしょう。印象操作はやめていただきたいです。

【ウィングの衣装騒動】

番組開始当初、批判派は「ウィングのグッズだけ売れていない」と嬉々として報告したり、「子ども(女児)はウィングを好きにならない」と言い切ったりしていました。一方、ウィング登場後は「ウィングのグッズが売れている」「子ども(女児含む)がウィングを好きだと言っている」という話も聞かれるようになりました。
どちらにしても、その人の身の回りのことが全体の傾向とは限りません。
(私の周りでは、商品によって売り切れているメンバーは違っていて、ウィングの売り切れも見かけましたし、ウィングのグッズを嬉しそうに買う子どもにも遭遇しました)

ただ事実として、ウィングはなりきり衣装が長らく発売されず、音沙汰もない状態でした。
そして8月、イベントでウィングの衣装が着られず悲しんだ子どもの話が大きな騒動になり、ようやく商品展開が発表されました。

※この件は”普通”の記事にも書きました。

これに対して、男の子プリキュアを嫌がる女の子の気持ちはどうでもいいのか、というような意見が批判派から上がっていました。例えばランダムグッズでウィングが出たとか、ごっこ遊びでウィング役が回ってきたとか、そういう時に「男の子なんて」とがっかりする女の子がいるらしいとなると、ここぞとばかりに取り上げるのです。

衣装の件の本質は、「自分の好きな『キャラクター』の衣装だけがなくて『子ども』が悲しんだ」です。確かに、キャラもファンも男の子だったから注目された面はありますが、スカイやプリズムやバタフライでも、悲しんだのが女の子でも、同じように問題です。プリキュアファンの子どもなら男女を問わず、好きなキャラを問わず当事者になりえたことであり、明確に公式サイドに非があった問題だから、多くの人が声を上げたのでしょう。

一方で、女の子がウィングを「男の子だから」と嫌うのは、単なる好みに過ぎません。例えば「キュアバタフライは子どもじゃないから嫌だ」とか、「キュアアムールはアンドロイドだから嫌だ」と言う子どもに置き換えると、主張の的外れさが分かるでしょう。ウィングが嫌いな子どもについてだけ大騒ぎするあたり、「男の子」という要素へのあらさがし感がありますね。
衣装の件では、ウィングが好きでやはり衣装がないことにがっかりしていた女の子の話も聞かれたので、結局は人によるとしか言えません。ウィングが公式にプリキュアである以上、大人は折り合いの付け方を教えるしかないはずで、そこで一緒になってウィングの存在を否定してどうするのでしょう。

よって非対称である上に、どちらも男女の問題ではありません。

うちの娘はなりきりたがるほどウィングの大ファン、とか、直にウィングファンの女の子を何度も見かけた、という人がいたら、批判派は何と反論するつもりでしょうか(私はそういうツイートを見たことがあります)。ウィングファンの女の子本人の前でも同じことが言えるのでしょうか。

【おかしな不要論】

それと衣装騒動では、批判派は「衣装がないと今更騒がれるのはウィングが不人気だから」「男の子プリキュアなんて初めからいなければ良かった」「この失敗で男の子プリキュアはもう二度と出てこない」という論調になっていました。

大きな支持が集まったのを不人気と判断したり、不要論を唱えたりする理屈が分かりません。この件で「失敗」したのはグッズ展開やイベント運営であり、ウィングの人気獲得には「成功」したからこそ起きたことのはずです。当初「人気が出るわけない」と決めつけてしまった手前なのかもしれませんが、あまりに自分の願望に寄せすぎた、無理やりな解釈ではないでしょうか。

何より私には、ウィングに勇気をもらっている子どもや、子どもたちに同情を寄せた人を目の前にして、「不人気だ、いなければよかった、二度と出てこないし必要ない」なんて言える人の気が知れませんね。
男の子プリキュアを批判する信念までは理解しますが、ここまで悪意に満ちた言動をする人が「プリキュアのファン」を名乗っているとしたら、とても信じがたいです。大の大人が恥ずかしくないのでしょうか。

公式サイドにはどうぞ批判を寄せればいいでしょう。でも、信念ばかりが先走ると誰を傷つけるか、それが本当にプリキュアシリーズやメインターゲットの女児のためになるか、考えてみてはいかがでしょうか。

そういえば、ぼくプリの未就学児入場不可に「プリキュアは子ども向けであるべき」と批判が上がったときには、批判派も乗っかって、さも子供に寄り添うポーズをとっていたと思います。
自分の主張に利用するときだけ子どもの味方になるんですね。軽蔑します。

そもそも、これは”普通”の記事に書いたことですが、「不人気なメンバーは不要である」という理屈は、ひろプリとウィングのみならず全作品に対する侮辱です。
メンバー内で売れ行きの差は出てしまうものであり、比較的売れ行きの悪いメンバーを「不人気だから不要」と言い出したら、ひろプリだけの問題ではなくなるからです。
プリキュア全てを侮辱する人が「ファン」だとは、やはり信じられませんね。

「一番好きなわけではない」と「嫌い、苦手、受け入れていない」をつなげてしまうことにも呆れます。
私にも特に好きなプリキュアはいますが、それは他のメンバーを不要だと思うのとイコールではありません。むしろ、好きなプリキュアと支え合う仲間なので、当然必要です。
ウィングだって、例えグッズを欲しがるほど好きではない子どもでも、大概はメンバーの一人として見ているんじゃないでしょうか。それは「受け入れている」と表現するのが正しいはずです。
批判派もそれくらい分かっているでしょうに、ウィングの時だけおかしな考えになるのはなぜなんでしょうね。

かといってウィングのグッズが売れているように見えると、今度は買っているファン層とか、他のメンバーより売れるのが早いかどうかで対抗する人もいます。そこまでして「不人気だから不要」と言いたがる執念に呆れるばかりです。これが「ファン」の行動だと言われて、どうして納得できるでしょうか。

《2023年12月6日 ぼくプリについて追記》
※ちなみに、批判派の間ではぼくプリも「失敗した」とか「微妙な出来だった」ということになっているようです。
実際は連日客入りがよくグッズ売り場も大盛況内容もプリキュアファンに概ね「(予想に反して)ちゃんとプリキュアだった」と言われている状況なんですが……。強いて言えば終盤の意外な展開は好みが分かれるかもしれませんが、「プリキュアだった」と感じるのにあまり影響はしていないと思います。
そもそも批判派であえて鑑賞した人は多くなさそうなのに、なぜ出来の良し悪しが分かるのでしょうか。一部の批判的な感想をここぞとばかりに当てにして、さも自分が見てきたように語るのはやめていただきたいですね。

……ところで、私はプリキュアを、女児向けアニメであり、第一に女の子のために作るものと考えています。
男の子プリキュアを擁護するのは、それで女児向けという前提が崩れると思っていないからであって、必ずしも男児のファンのために必要だと考えているわけではありません。女の子のキャラだって、男の子が好きになっていいはずです。
ただ、衣装騒動の男の子のように、男の子プリキュアが結果として男児に夢や勇気を与えることになったのなら、素直に「良かったな」と思いますし、男の子プリキュアのメリットとして数えます。

「男児が女児向けアニメを見るのは元々自由なのだから、男児にとっても男の子プリキュアは必要なものではない」「女児向けアニメがあえて男児を気遣う必要はない」「例え女の子のメンバーしかいなくても、本当にプリキュアが好きなら臆せず好きでいるべき」というのは、主張としては正しいのですが、現に男の子プリキュアを大切にしている男児がいる前で言うのは、無粋というものです。
子どものいたいけな気持ちを、大人が揚げ足取りで握り潰そうとしているとすら、私は感じます。
男児のファンが増えるより、大人が主義主張でいたずらに子どもを遠ざける方がよほど問題です。

後編はこちらです。

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