切られる植物
そのへんに普通に生えている植物達と自分を含め人間一般との間に違いが有るとすると、植物は大体どこを切っても良いという所のように思う。人の都合で切ったり刈ったり出来る。
それが植物なら、切った所で死なないし、切りすぎて枯れてしまった所で殺したという感じもしない。
でもそれはどうしてなのか? なぜ植物は遠慮なく切れて、それでも殺したという感じがしないのか?
多分植物の場合、同じものがまた生えてくるからだ。つまり、個体を区別する意味が見いだせないと感じるものについては、切っても良いし切れていても構わないと感じるのではないか。
昔、TVで時代劇が放送されていた頃、毎週悪人の部下が大量に殺される場面が流されていた。敵陣に乗り込んだ主人公が、悪人に呼ばれて出てくる警備の侍を次々に斬り殺してゆくのだ。
その場面を見ていても別に平気だったのは、演出上その侍が個別に人として特定出来るようには撮られていなかったからだ。見ている人はその殺される侍が誰かを知らないし別に想像もしない。それに見る人は、今日殺されたその人がまた来週も同じように殺され役として出て来る事を知っている。
つまりこれが我々の植物に対する感覚だ。
もし時代劇に出てくる役者が本当に斬り殺されているとしたら、あの音も痛みに苦しむ姿もみんな演技ではなく、そしてその役者が学校の友達のお父さんだとしたら、感じ方も変わっていたに違いない。
写真は全て2020年の初夏に八王子市と入間市で撮影された。
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