茶旗〜在釜(ざいふ)〜一期一会
「在釜」(ざいふ)〜お湯が沸いています。お茶を一服いかがですか。というおもてなしのスタイルが始まったのは、いつのことでしょうか。
市中に「在釜」という旗が掲げられ、訪った人誰にでもお茶を振る舞う、というこの風流なスタイルにとても憧れていました。
江戸時代、煎茶道の中興の祖と言われる「売茶翁」が松の枝に「清風」というハタを掲げ、煎茶を無料あるいは有料で振る舞ったことが由来とも言われています。
(タイトルの写真は水屋を手伝ってくださった田子さんが同じく宝庵で行われたお煎茶の茶会の際に掛けられていた茶旗。お煎茶では「彩風」「清風」いろいろな茶旗が掲げられるようです。)
伊藤若冲たち若き京都の絵師の群像を描いた源孝志さんのドラマ『ライジング若冲』では、石橋蓮司さん演じる売茶翁の「清風」の旗の元に若者たちが集い、論戦を交わし、そして無名の青物問屋のボンボンが「若冲」の名を与えられ天才絵師として覚醒していく様が生き生きと描かれています。
京都では今でも茶室に「在釜」が掲げられていると聞くのは、その名残でもあるのでしょうか。
8月7日に北鎌倉・宝庵で「在釜」の旗を掲げた時は、もちろん亭主側の知人も訪れてくれましたが、宝庵のお知らせを見た方や、近くにお住まいで散歩のついでに立ち寄られた方々も多くいらっしゃいました。
「これが祇園祭の時に菊水鉾のお茶席で出されると聞く『したたり』ですか」
「まあ、織部のワラビの代わりにタツノオトシゴが描かれているんですね。夏らしいお遊び」
お出ししたお菓子や、お茶を点てたお茶碗に対して、亭主よりよっぽど詳しい方や風流な感想を述べてくださるお客様がいらっしゃるのも楽しいことです。
一期一会
という私が大事にしている言葉が思い浮かびます。
いつ何人いらっしゃるかもわからない「在釜」。
朝のお散歩途中のブラジルの方も「いちど抹茶を飲んでみたかった」とラブラドールを家に置いてから再度訪れてくださいました。
案内の方とご一緒のフランスの方や、ここ数年会えてなかった私の姪まで、アメリカ人のボーイフレンドを連れて現れました。
初心者の方だけの回もあれば、表さん、お裏さんが一同に会し、それぞれの流派のお作法の違いについてお話が弾んだ回もあったと伺いました。
みなさんに書いていただいた短冊も、表現はそれぞれながら願いは同じ。
水屋も石州流のお二人に多大なる尽力をいただきました。
この日に北鎌倉の茶室に集ったお客様、亭主側、もう二度と同じ顔ぶれで同じ席を共にすることはないでしょう。今日というこの日を大切に、そして一瞬一瞬を悔いのないように。この広大な宇宙と果てしない時の流れの中で、いっときでも同じ時を過ごせたことを大切に、今日もまた一日を迎えたいと思います。
また冬にお会いしましょう!
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