循環する生命のフォークロア、イントロダクション。

これを読んで発売を待ったり、発売したCDや音源を聴いてからこれを読んだりして欲しい。

01. フォーク
バンドマンは齢を取り、昔の歌を置いて行く。あるいは歌に置いていかれているのかもしれないが、それでも歌うのならば、いくらかはその頃の気持ちで歌うのだ。それは数え切れない程の取るに足らないミュージシャンが経験した諸行無常の循環だ。循環する私たちの生活を、循環する生命の民俗学を歌にしよう。フォークとはそういうものではないだろうか。


02. 一万円
うちの犬の声をiphoneのアプリ "Koala Sampler" でサンプリングし、全力でfeatureしている。酔っ払った100%のアドリブをそのまま切り取ったが故に不規則な展開、リズムチェンジ、変拍子というより、フリー。冒頭は、一万円の歌。あとは、犬がいなくて一瞬寂しかったが、家がとても広々と感じて良かったと気付いた、という、大きなかわいい9kgのトイプードルの歌である。


03. 生命
2019年に父親がクモ膜下出血で死んだ。父は真面目で誠実だった。割と波乱万丈な人生だった事を知っている。しかし、死んでしまえば、生まれてそして死んだという、それだけだ。2020年に、実家にあった母が大学生の時のガットギターを弾いてみたりした。一人暮らしになった母親を連れて飲みに行ってみたりした。母にも歴史が、若かった日々があり、自分もそうなるのだと思った。誰もが世界に騙され、命を難しげに思わずにはいられない。大極で見れば全てが塵のような些事に、拘らずにいられない。でも正解はないはずだ。そこに在るだけの命だ。何を為すべきかなんてないはずじゃないか?より良いも、悪いも、きっとないはずじゃないか?それでも誰もがこの世界に騙され、矮小な自分と他者との関係性に、拘らずにはいられない。それはきっと、永遠に仕方のない事なのだ。


04. ソーラー
熊本市から山都町に向かう道と、熊本市から阿蘇に向かう道は、高森のあたりで繋がってループする、県外に嫁いだ2人の妹も含めて家族みんなが父親の運転する車に乗っていた最後の記憶がその辺りの阿蘇の山道だった。山都町の方から阿蘇に向かっていた。一方、まだ大学を卒業するかどうかくらいの過去に、その道を阿蘇の方から山都町の方に登って行ったこともあった事を、家族一緒の車の中で思い出していた。知らない道で、しかも、変な山道に入り込んで、笑いながら引き返したのだった。
父親はソーラーパネルを販売する仕事をしていた。よく知らないがソーラーパネルはエコに違いない。景色は変わっていく。田舎の平原に大量のソーラーパネルが設置されることも少なくない。景観を損なっている。でもエコなのかもしれない。そんなふうに、死んだ父親の事を想った。


05. BLUE
小さい頃、熊本県人吉市中青井町に住んでいた。もうそこに家は跡形も無いが、幼少期の記憶はそれなりに青井に存在する。寿屋の最上階のゲームセンター、移転前のおもちゃ屋コグマランド、バスターミナル、いずれも今は存在しない。
2020年の豪雨災害で祖父の家も被災した。2階部分は残っていたが住みようがないという意味で、ほとんど全壊に近い。酷い事になってしまったものだ。豪雨災害が7月。その少し前、5月に、たまたま、上青井の、破壊される前の祖父の家であさぎり町のシンガーソングライター、タローキジウマとギターを弾いて遊んでいた。いろいろセッションしたりして翌朝、キジウマくんがまだソファで寝ている間に、なんとなく昔の青井の事を考えて曲を作った。起きて来たキジウマくんにそれを聴かせると、いい曲で悔しいと言ってくれたので満足した。何度となく通り抜けた人吉旅館の床下。祖父の家の庭にいたダンゴムシや壁を這っていたナメクジ。それがこの曲になった。


06. 海岸線とエコー
8年ほど前、1ヶ月だけ仕事で天草に滞在していた。熊本の人間には分かり切った事だが天草は海が近い街だ。日本海側の海岸沿いをよく車で通った。一人で、暇だったので、その1ヶ月の間に4曲、曲を作った。そのうちの3曲は1st Albumに入ってる"バンドなんかもうやめました"、"窓際"、"いつかまたね"。残った一曲がこの曲だった。昔Mice Wet Shoesというバンドでもやろうとしたものの結局アレンジが思いつかず一回もやっていなかった。久しぶりにやろうと思ってやってみたらできた。8年かかった。天草にいたのは、2013年の7月だったと思う。夏祭りの季節で、熊本のバンドマンの皆様が大挙して天草に遊びに来た。自分のところに遊びに来たわけではなかったが、皆が泊まっている旅館は近かったので遊びに行った。JCは途中で失踪した。元気になったものだ。


07. 循環
コードを繋ぐことは簡単だ。並べれば曲になる。I-VI-II-Vの循環コード進行をはじめとする、定番のコード進行を並べて適当に歌えば曲になるだろう。そういうのにはやっぱり。慣れてくる。でも、慣れただけで、才能は変わらないし、伝えたいことが増えたわけでもない。内側は、始まりも終わりもなく、空っぽだ、無知が様々な悲しい形になる。だったか。関係あるようなないような。そんな感じの曲です。


08. BOSHI
2017年の夏に突然亡くなった画家のBoshiさん。初めて会ったのは、たしかおくらのBeauties of Natureかそのメンバーのどなたかが出ていたライブで2010年か11年頃に初めて会って、そのあとナバロのぼらのライブなどで度々会ったのが最初の頃だった。Sir-ko Cafeっていう面白い店が有るって話をしたら、そこにBoshiさんはやってきて、常連になった。Sir-ko CafeからCafe Walkに名前が変わったのはその後か。当時自分は週6でそこにいたのでよく会うようになり、BoshiさんはそこでPaint Gardenというライブペイントのイベントを始めた。たくさんのペインターの方が入れ替わり出ていた。Boshiさんの家にいろんな人が集まったりした。好きなものに対して情熱的で、好きなもののある所には足を運ぶ。芸術のある一面をBOSHIさんは教えてくれた。あの店と、Boshiさんと過ごした日々を、封じ込める事ができただろうか。宮崎真司と共に。


09. 投げ銭で歌いましょう
2017年1月26日の16時くらいに、ナバロJCから、今日ナバロに森田くみこって友達が来るからKlagitzでライブしてくれ。というラインが来て、急だなと思いながら、行くことにした。仕事が終わってから車に乗っていたら、「いきなりでも歌いましょう。どこでだってやりますよ。」というフレーズを思いついたので、車を停めて、後部座席に積んであったテレキャスターを取り出して運転席を下げてギターを弾いて歌ってみた。やれるかもしれないと思ってその場で歌詞を書いて、iphoneで録音して、ナバロに行った。森田くみこに初めて会った日の事。その後も、ナバロで、Bar Corvusで、諫早独楽劇場で対バンした。2020年は自主企画に呼んでいたがコロナで呼べなくなってしまった。残念だった。そんな曲。


10. 生産性のワルツ
東京で何年間かたくさんライブをしていたが最近はあんまりやっていなかった友達が、一時期熊本に帰って来ていた。ずっとゲームばかりしているようだった。生産性がなくて良いなと思った。生産性がない事は美しい。人に迷惑をかけなければ。いや、人に迷惑をかけても美しいのかもしれない。生産性がある事をやたら自負する人よりは生産性がない事を後ろめたく思っているくらいが好きだ。消息不明なので、よくわからないのだが、遠い星になったのだと思うことにしておく。生きてはいるだろう。


11. 菜箸日和
今は銀座通りの5階くらいにあるBar SHIROSTは最初、クラブ通りの地下にあった。階段を降りて左手のドアを開けると細長い空間があって、奥には、小さなドラムセットが置かれていた。Cafe Walkが閉店した後。Walkでも面識のあったSHIROSTのLEEくんが。Walkのようなみんなの遊び場を作り出している事はとても感慨深かった。若いバンドマンや周辺のアーティスト、お客さんが集まっていた。そこにあったドラムセットのスネアの上には長い菜箸が置いてあって、それで叩くと意外と良い音が鳴った。よく酔っ払って叩いていた。自分でも何が言いたいのかよくわからない曲なのだが、本当の意味でふらついていた定住前の最後の出仲間での暮らしの空気がこの曲に含まれる。


12. YOUTH
2020年11月の段階では、"生命"、"YOUTH"、"コロナ"は、曲として存在していなかった。よし、ノイズ絶叫曲を三曲くらい入れてみよう。やるだけやってみよう。駄目だったら没にしよう。と思ってやってみてできた三曲だ。無理やり増やしたに近い。一人でアコースティックギターを持って、コロナでガラガラのカラオケに行き、本当に適当にギターを弾きながら、ポエトリーリーディングを初めてやってみた。録画したらめちゃくちゃ下手だった。何回かやってみて、一番マシなテイクを録画して残し、それをTwitterにアップしたのが、YOUTHの原型となった。最終的にも原型とほとんど変わっていないが、レコーディングではRandom Number Generatorを使用してノイズをたくさん入れてみた。ファウンテンズだっておっさんなのだからおっさんがそういう音楽をやる事には意味はあるのだ。と、消滅したyahooブログに、昔自分で書いていた。


13. きれいなものが滅びた夜に
2020年4月1日、Adam SchlesingerというFountains of Wayneのソングライターが死んだというニュースは、ショッキングだった。自分の最初のバンド、Klagenicoleのウェブサイトで、好きなアーティストとして挙げていたくらいには好きだった。あんまり顔は憶えられない病気なので顔はわからないのだが、悲しいのはとにかく悲しいと思った。あんな青春の塊みたいな曲作る人が死ぬんだなと不思議に思う。一つのきれいなものが滅びてしまった。自分は自分の暮らしで忙しく、死んだ人の事を考えるよりも頭の中を占めがちなことがたくさんある。曲にして残せばなにかそのとき思った事が残ってくれる。でも、できれば、もっと曲を作って聴かせてくれたら良かったのにな。と思った。akariちゃんのコーラスと、宮崎真司のギター(死ぬほど重ねてもらった)。こんな作り込んだ事は今までない。聴いてもらいたい。


14. コロナ
不要不急という呪いのような言葉への呪いを詰めた。コロナ初期に詩だけ作っていた。それを見ながら即興でノイズを出しながら即興で絶叫した。
たまたまそこに宮崎くんがいたので宮崎くんにも更にノイズを重ねてもらった。分割編集なし、田中:声と同時のエクストリームノイズアコースティックギター(+Random Number Generator)、宮崎くんにそのまま自分のギターを渡して宮崎くんの得体の知れないエフェクター群を噛ませて弾いてもらったエクストリームノイズアコースティックギターの、3トラック。ノイズ。


15. なれはて
ミーティやナナチがふわふわになってしまっているなれはて。または黄金郷を夢見てはるばるやってきた人たちの行き着いた深界六層で異形の姿になってしまった元人間たち。なれはて。なれはては英語でなんというのだろうと思って調べた。成れの果て、wreck、残骸、と出てきた。なるほど。人間の残骸か。なるほど心の残骸。The Wreck of Our Hearts。通りすがりのドイサイエンス清田さんにコーラスを入れてもらったのはまじで通りすがり。なれはてにふさわしい。ここは深界六層。2021年の熊本ナバロ。君の夢に特別な何物かもありはしない。少年。そんなものがいつまでも大事そうに思えてしまうのだ。笑うだろう?関わらない僕らの生活を、ギターを弾いて祝福しましょう。かつて馴れ合った僕らの軽薄のなれはてよ。いま、僕は、人になったろう?

なれはてよ。

いま、僕は、人になったろう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?