東大短歌会について(中西進『卒寿の自画像』より)
強く疑問を持っていた訳ではないが、以前より気になっていたことがあった。
本郷短歌会より前に東京大学に短歌会はなかったーという件についてだ。東大俳句会は有名で、私は伝聞でしか知らないが、俳句会で歌会が持たれたこともあったという。東大生が歌会に出ている話をよく聞いてみると学内の短歌会の話ではないことが多い。本郷・駒場で歌会をやっていたといっても即短歌会があったということにはならず、注意が必要。有志歌会や俳句会の歌会に出ていたという話だったり。学内ではなく結社の歌会の場合もある(所属していなくても紹介者がいれば地元※の歌会は割と行けたみたいです)。短歌会があったという具体的な話は見かけないままだった。
戦後、1950~1960年くらいにかけて、学生短歌がさかんな時期がある。
岸上大作のころを思い浮かべてもらえればわかりやすいと思う。あのころの文章を読むと学生短歌会間の交流がある程度あったことをうかがわせる。岸上大作あたりになると「安保世代」「学生運動」という呼称がついて、中西さんのころとはまた別のトーンが加わっていくけれど。
「大学歌人会」というのがあるのは認識していた。
https://twitter.com/masuya57577/status/901634759721439232
「大学歌人」創刊号、『列島』の両方に中西進さん(東京大学)が参加している。
大学歌人会は各大学短歌会の連合の会なのか、短歌をやっている学生なら所属の大学に短歌会がなくても参加できたのか。そこがよくわからなかった(たぶんその辺はゆるかったはずと思ってはいる)。
それはともかく、東大には俳句会があっても短歌会はないというのが長年の認識だった。しかし、それならば中西さんはどのように大学歌人会に参加したのか?
断片的な情報に触れて気になってはいたが、「これ」という情報がないままだった。特に調査したりもしていないので当たり前。
こういう調子でぼんやりしているうちに、読売新聞で連載していた語りおろしの自伝にそれらしきことが書かれているのがわかった。新聞を読みに行くのが面倒でその時は放置。
https://twitter.com/y_seniorwriters/status/1189633070506229760
写真は中西さんが撮影されたという空穂。
そして2020年3月にこの連載が出版されたというのでやっと読んだ。その出版された本が『卒寿の自画像 わが人生の賛歌』(東京書籍)です。
いろいろつながった気がします。私の雑まとめ。
空穂と宮柊二の両方に歌を見てもらっていたという学生時代。恩師は信綱さんの義息の久松潜一。国文学と短歌が近い時代とはいえ、なんという豪華ラインナップ。
話がそれた。
この本でわかったのは、
です。
『卒寿の自画像 わが人生の賛歌』は、紙の単行本、オンデマンド、電子版で発売中。
中西さんと離れて。
角川「短歌」1959年12月号の小野茂樹が出席している「現代短歌を蘇生させるもの 大学歌人座談会」という座談会がある。今だったら「学生歌人」と表記しそうなところを「大学歌人」としたのかなーと気にしたことがなかったのです。
大学歌人会がいつまで活動をしていたのかは定かではありません。
歌集『青年』があるので、少なくとも1959年にはまだ活動していた模様。
この「大学歌人」はたんに大学生の歌人という意味でなく、固有名詞の「大学歌人」をふまえた使用だったのです。
他、検索でヒットする関連と思われる資料
20220825 誤字を修正。