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メモ的に(大辻さんの「ニューウェーブ」に対して)


 イベントに関連して大辻さんが自分なりのニューウェーブについてつぶやかれました。

 大辻隆弘さんとの理解の離れっぷりに驚愕している。と、同時にそういうもんだという感情もある。
 twitterでやろうと思ったけど、長くなったのでこちらに。ホント人それぞれであることよなーという感慨からあげたものであり、大辻さんの書かれたことを否定するものではありません。
 
 まずは大辻さんのニューウェーブは下記。画像で引用します。

https://twitter.com/otsuji28/status/1003469857566834688

https://twitter.com/otsuji28/status/1003470065360990209

https://twitter.com/otsuji28/status/1003470228276367362

https://twitter.com/otsuji28/status/1003470602869469186

(最終アクセスはいずれも2018年6月4日12:38)

 
 
 

 私の感覚だと。

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(1)「狭義のニューウェーブ」(海月理解)
1991年に発生した荻原語。加藤、穂村、西田、荻原の4名もしくは4名のうちの一部の作品や活動。「コンピューター世代」「記号短歌」

(2)「広義のニューウェーブ」(海月理解)
(1)と交流・影響関係にある作品や活動。1980年代、特に『サラダ記念日』前後の歌人・作品・活動からはじまる。「口語短歌」「ライトバース」(「ポストニューウェーブ」「歌葉」あたりがサブ項目か)

(3)「一般的なニューウェーブ」(海月理解)
「新しい潮流」という意味で使われる一般用語。サブカル用語としてロック、映画、SF、マンガ等で使われた。これらの「ニューウェーブ」は短歌より先に存在する。

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 (1)だとゆらぎなく、いちいち名前を羅列しなくていいので使いやすい。

 (2)だとゆらぎまくる。「口語短歌」「ライトバース」等かからんできて説明がめんどくさい。とはいえふわっとした話だと使いやすいのでふわっと使ってしまう。

 私の感覚だと、大辻さんの理解の(1)~(3)まですべて私の(2)に入るカンジ。少なくともわけて語ることはむずかしい(大辻区分はある程度時期で論じることができるとは思うけど、人で考えると混乱というか伝わりづらくなるように感じる)。

 (3)は短歌の人は忘れがちなんじゃないだろーか。時系列としては(3)→(2)→(1)で、こうした流れから短歌が「ニューウェーブ」を使うというのは短歌のサブカル化にほかならないと考えます。私はこの流れには抗う派ですが。

 とりあえずの整理として投稿してておきます。

 

  

・付記

※タイトル写真は荻原裕幸さんの『あるまじろん』。表紙カットはマンガのニューウェーブとして語られることもある江口寿史さん。今となってはまさにニューウェーブ×ニューウェーブな1冊(帯の瀬尾育生さんは現代詩の人でもあるけれどたぶんニューウェーブとは関係ない)。

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