中西亮太さんのブログの「故人の未公表の著作物を公表できるか」+コメント
中西亮太さんより「永井さんの「未発表」作品について」と「著作権についての考え方」のトピックに反応いただきました。
・故人の未公表の著作物を公表できるか(中西亮太さん)
http://crocodilecatuta.blog.fc2.com/blog-entry-447.html
労作です。長いのと、項目がいろいろあるのでうまくつまみとることはできません。読んでください。
反応いただいたトピックへのリンク。
・永井さんの「未発表」作品について
https://note.mu/klage/n/nbf3f2f689e9e
・著作権についての考え方
https://note.mu/klage/n/n2d93943e6dbf
「著作権についての考え方」のある程度の時間が経てば公開してもいいんじゃないの、という話題の中で、「不名誉な公開でしたら孫は差し止めることができます」と書きましたが、中西さんのブログを読んでよく考えてみました。
書簡であれば、公開非公開は著作権じゃなくて名誉やプライバシーの問題ですね(ここでも書いてなくてすみませんですが、この場合、文豪の書簡ですので著作と認められるレベルのものとして考えます)。
未発表の作品であれば著作権ですし、作者名が表示されていなかった場合に表示するように要求したりは著作権ですが。そのあたりがごっちゃになってました。
また、他人の書いたものを使用するにあたっては著作権とプライバシーと名誉が問題になってきます。この箇所にかぎらず全体的にその3つが混ざっているな、と。ただ、言い訳するとこの3つをクリアしないと「使う」ことはできない訳で。考えが「問題のない使用方法」にしばられていたのではないかと思います。「使う」もtwitterから全集、論文まで漠然と射程に入れて作文しており、すべてに「問題のない」ところまでもっていけるものをめざしてますね。こんな文字数でそんなに広くカバーできる訳ないので、本当はもっとていねいに整理するべき(もしくは整理できてないところははっきりさせつつ書くべき)ところでした。が、全面的に直さないといけなくなるので、とりあえずこのままにします。
と、いうことをふまえてさらにつらつら考えると、そもそも「著作権についての考え方」というタイトルもよくないなー、という考えにも至りますがこちらもとりあえずそのままにしておきます。
(話題切り替え)
中西さんのブログに私の書いたコメントを備忘もかねてコピペ。
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こんにちは。反応ありがとうございます。
新しいエントリで書いたとおり私の考えは「トラブルが起きない範囲で自由に使えばいいのではないか」です。「遺族の同意を得て公表したことを言明せよ」という考えは持っていません。
私が求めているのは「未公開作品の公開にどういう必然性があるのかを公表した人が説明できなくてはいけない」です。本人に成り代わって公開することの重さがわかっているかどうかです。
中西さんの場合なら「自分の文章のこの部分に必要だったので、故人の意思を無視してでもこの文章を使います」というのが示す用意ができていればよいと思います(文中に必須ということではありません)。
「従来の研究」は、近代作家の場合は関係者が生きていることが多いですから、このあたりは大変デリケートに扱われてきています(もちろんトラブルもありつつですが)。「従来の研究」程度でしたら私もあのトピックは書きませんでした。角川、往来はこのラインを宣伝段階では、守っていないというのが私の考えです。
2019. 01. 04 はながさくらげ
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内容と関係ないので書きませんでしたが、そして無法者(違)と思われるよりはいいのかもしれませんが、私は法律にうるさいと思われているのだなーというのが率直な感想です。私はテキトーなので、正直、そこまで考えてないです。
書いたとおり、私の書いたことは「私はこう考えます」の一例にすぎないので信じないでください。ネットにまとめ的に書かれている記事も信頼できる専門家だとわかっている場合以外は正確な情報かどうかあやしいものもあります(弁護士事務所の広告の誘導がある記事に多いです)。書かれた時は正しくても今は違う場合もあります。気になる事例がある方はそのケースにふさわしい考えの専門家なり本なりをみつけて、自分で判断してください。
(話題切り替え)
私だって有名歌人の未公開葉書をtwitterで晒したりしているので、あまりエラソーなことは言えません(いきなりの告白)。
やったのは著作権はまだ残っており、遺族の所在も明らかなものです。もちろんプライバシーに関するものではなく、文学に関わる内容です。しかし、twitter上ですから文学的意義もへったくれもありません。
やっといて言うのもなんですが、私がやったのは「おそらく問題にならないだろう」というところです。もちろん権利者の方から言われたらひっこめるつもりでやりました。
「未発表」がどういうことなのかよくわからずにやっているのではないかと思わせるのは損です。著作権的にどうかな?ということでもやっていいんです。やると今回の私のように他人が余計なことを言います。
やろうと思えば、いくらでも法律と関係させることができてしまいます。やったら知りませんでしたーではすまないのです。権利者じゃない人から何を言われても痛くもかゆくもないですが、「法を守らない人」というレッテルを貼られて批難されることは、公表した人の望んだものですか? 発掘した作品のよさや研究の意義を広めたくてやったのではありませんか? こういうことになった場合、せっかくの研究も作品の発掘の意義も二の次になってしまいます。それは私は望みません。意味のない惹句をやめさえすれば避けられることです。それを望んでいます。
わかりづらいかもしれませんが、私が言いたいのはこういうことです。
1月6日の追記
(関連話題)
永井さんの「未発表」作品について
https://note.mu/klage/n/nbf3f2f689e9e
著作権についての考え方
https://note.mu/klage/n/n2d93943e6dbf
中西亮太さんのブログの「故人の未公表の著作物を公表できるか」+コメント
https://note.mu/klage/n/nbb868c393590