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言い伝えられている事件について

 この記事は自分用メモとして作成。オチなし。

 1945年8月15日以降、大量の自決というか自殺というかがあったのはみなさん御存知のとおり。

 「短歌人」にもそういう人がいる、というのは聞いていた。当時の短歌人には軍人もいたし(短歌はごく普通の教養であったからどこの結社にもいたと思うけど)、そもそも主宰の瀏が元軍人。そういう人がいてもおかしくはない。

 私は「皇居で自決したうちのひとり」と聞いたことがあって、こういう伝えられ方をしているということは「有名な事件であろう」「集団であろう」と推測。8月23日の集団自決「明朗會十二烈士」がそれではないかと最初は思った。が、明朗会は軍人組織ではない。軍人もいたけれど、海軍であって短歌人に多い陸軍ではない。
 なんとなく違うみたいだけれど確認のしようがないと思って放置していた。

 最近になって図書館で「短歌人」の1946年復刊号※を見たら、この件判明した。加藤文輝のことであった。この人は日蓮宗の僧侶であり、教育者である(調べた)。亡くなったのも皇居近辺ではなく、自身が住職を務める寺であった。
 わかってしまえば簡単なことで会員消息として誌面に掲載されていた。


 私が聞いたのは復刊号のころには所属していない方からだった(そもそも入会時にこのころの会員はほぼいない(創刊同人の方がいらしたのでゼロではないがそういう話題はしたことない))。誌面に掲載されたからこそ、広く知られ、当時所属していなかった人にも伝えられていたものと思われる。


※「1946年復刊号」は×月号という表記はない。


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