「とっておきの詩歌書7」(「六花」vol.8)
「六花」vol.8に「とっておきの詩歌書7」を書きました。こちらはリレー連載で、1~6は私ではない方が書かれています。
http://rikkasyorin.com/rikka.html
「とっておき」はどうとってもいいと思われます。私が書くならやはり古本的にもそれなりに重みのあるものがいいと思って考えたのですが、お金を出せばなんとかなるもので書くのも下品な気がしてしまい。しかし、正当な価格で堂々と入手したお気に入りの本なのでこれでいいんじゃないかという気もしており。それ以外でも、入手ルートや来歴に思い出のある本、いろいろあります。
ちなみに「お金を出せばなんとかなるもの」だったら『装飾楽句』になるんじゃないかと思います。
ただ、これはすでにtwitterですでに何度も自慢しているので今さらのような気がします。
https://twitter.com/hanaklage/status/959956866791976962
https://twitter.com/hanaklage/status/959959718293684224
https://twitter.com/hanaklage/status/1291653991428849669
https://twitter.com/hanaklage/status/1667130309467598848
これだけ自慢すれば、さすがにもういいかな、というのもありました。この原稿を書こうとしていたころ、ちょうど小宮さんについての文章も書いていて、「短歌人」の戦前・戦後を号をひっくり返していました。頭のなかがそれ一色になっていたので、もう雑誌でいいやという気持になり、「短歌人」のバックナンバーの話を書きました。終戦後第1号である復刊号についてはすでに「「短歌人」の戦後」(「短歌人」2021年11月号掲載)で書きました。なので、今回は創刊号について書こうかと思っていたのですが、創刊号って順当に刊行されましたし、そんなにおもしろくないんですよね……。いや、それなりにおもしろいんですけど、文章で紹介するときの見どころに困るというか。さまざまな努力の末に刊行された、今にも崩れてしまいそうな復刊号のほうが手にした時の感動は大きいと思います。
そんな訳で今回は「朱線」を紹介しました。こちらは私としては新ネタです。
結社誌は集めようと思ったら苦労するもののひとつですが、もっとハードルが高いのが結社内同人誌です。「短歌人」内にもいくつもありますが、そのなかでも毛色の変わったものが今回とりあげた「朱線」です。これまであまり話題にならなかったものと思います。
「短歌人」は1945年から1955年ころまで刊行が不安定な時期です。毎月刊行が守れないのはもちろん、造本や内容についても常に定まらない状態でした。「六花」にも書きましたが、「朱線」が他の結社内同人誌とちがうのは、誌上で原稿募集をしているところ。つまり、結社内有志が何人かが集まっての同人誌ではなく、「短歌人」の会員すべてに対してひらかれた場だったところです。だから、正確には同人誌ではなく、誌面を補うものではないかと思われます。
誌面を補うガリ版等の軽印刷の冊子やペーパーは、めずらしいものではありません。多いのは会費の報告などが書かれた通信的なもの。
私が知る範囲では、同人誌「詩世紀」は編集部選の作品が本誌に掲載され、本誌に収録されなかった作品をガリ版で刷って会員に配布していました。連絡用の通信に作品が掲載されているみたいなパターンは多かったのではないかと思います。
そうやって、本誌のフォローをするような役目の別紙をつけることがあるのは知っていたので、「朱線」もそうではないか、と推測した訳です。
調査不足&情報不足なんですけど、たぶん2枚目(以降)は見る機会はないと思うので見切って書きました。
「詩歌書」ってテーマなんですけど、「書」でなく、雑誌でもなく、いちまいの紙で書いたけれどいいよねーと出しまして、無事掲載に至りました(Wordの文字設定があやしいという問題はありました)。
「短歌人」をめくっていて目についたものをとりとめもなく書いたものなので、狭い興味の対象であることはわかっております。興味のある方はご覧いただければと思います。
余談
今回の「六花」は私の名前が出てくる文章が2つ掲載されています。
ひとつが富田睦子さんの「そういう生きもの」(p.6-9)。
戦前戦後の「短歌人」を見ていても思うけれど、結社誌は膨大なボランティアに支えられている。出す出さないという決断はない(「やめるやめない」はある)。結社としてある以上、しゅくしゅくと刊行のための手続、作業をしてゆく。歌人全員がそうだとは限らないけれど、結社人とはそういうものだ。そういうことが書かれた文章です。
実は、富田さんがお書きの山は2つのルーツがあります。ひとつはすごく昔に買った今はなき某書店の在庫だったもの。比較的最近に落としたのが「まひる野」の大山で、こちらは富田さんもご存知のかつての会員さんの旧蔵品。結社誌っていうのは中の人にとっては特別な貴重品ではなく、そして外の人にとっては価値のわからぬものです。なので、とても値段がつかない。しかし、この山はどう見ても「まひる野」の財産であることはあきらかなので連絡した次第です。個人の家で持つには邪魔に決まっています。それを引き取る決断をされた富田さんがいちばんえらいと思います。こうして文章になって、やっと(邪魔なだけでなく)お役に立てたのだという気持でいっぱいです(今回文章に書かれた以外にも活用例を教えていただいています)。廃棄されなくてよかった。きっと今後も活用され続けるでしょう。
もうひとつが真田幸治さんの「神保町の喫茶店」(p.68-69)。
真田さんがお書きのとおり、宇田川さんを引き合わせたのは私なのです。私が人に人を紹介することは何度もありますが、おふたりほどうまくいったところはありません。このときの喫茶店の名前とともに私の名前も出ております。
自分が書いた以上の思い出に残る号になりました。
タイトル画像は、ミロンガ旧店舗での写真。真田さんも同席していたときのもの。