高知県立大新図書館報道の感想
※閻魔堂さんの「高知大学蔵書の処分は適切だったのではないか」を受けてのトピックです。
高知大学蔵書の処分は適切だったのではないか(閻魔堂さん)
https://note.mu/ennmado/n/n78e83498df25
(閻魔堂さんの記事を見ての感想)
私も廃棄全般については割と同意見です。あえて付け加えるなら「焼却処分となぜ発表してしまったのか」かなあ。「処分」までは発表しても「焼却」をつけて発表するのは珍しいような。ラベルのついた本が流通することをおそれていたみたいなので「不正な流出はありません」ということが言いたかったのかもしれない。
処分された本の個別のコメントについては書き飛ばされたなーという感想かな。今回の処分は、大学の専門性からして学生に必要な本かどうかという観点での処分かと思うので、古本としての価値というのはあまり考えないほうがよいと思います。もちろん古本屋さんとしての感想を述べるのはよいと思います。
短大史は利用があろうとなかろうと大学図書館にあるべき本だとは思います。この処分についてはちょっと痛いところかなとは思います。が、別の場所(学長室、学科の資料室、事務室等)で保存されている可能性が高いので、すみやかに図書館にも置くように要望するとよいと思います。
また、閻魔堂さんのツイートで、3.8万冊とは「隙間なくハイエースに詰めても12往復分」と見積もられてます。
https://twitter.com/ennmado/status/1030322275537448961
これ、「地方の古本屋じゃ捌く体力はないぞ。」と書かれているのがポイント。都内の大学の3.8万冊の処分だったら古書市場に出た可能性は高かったと思います。
そんなに不適切でもないのに(ザツに要約すると)「狭いから本を大量に焼きました」という報道されちゃったのは記事にされる際に悪い流れがあったとしか思えません。
(報道の感想、高知県立大学図書館とは)
報道っていうのはこれです(全文読むには会員登録が必要です)。
「高知県立大焚書 知の機会奪う 職員「移行へダイエット」」(高知新聞 2018.08.17 08:38)
https://www.kochinews.co.jp/article/207844/
「高知県立大学で蔵書3万8000冊焼却 貴重な郷土本、絶版本多数」(高知新聞 2018.08.17 08:45)
https://www.kochinews.co.jp/article/207853/
「悪い流れ」と、書いたのは、この報道によると本の再利用について意見は出たのだけれども、「大学の財務担当者」の意見があったことにより、具体的に検討されず処分された、ということになっている箇所で特に感じました。この箇所のコメントをしているのが看護学部の教授で、図書館とどう関係がある方なのかが明瞭ではないという(広報担当なのかな?とは思いましたが)。
「大学図書館の蔵書大量処分」なんていくらでも先例がある訳で、それをなぜ参考にしようとしなかったのか? とまず思ってしまいます。そして次に司書さんの意見がわからないなーと思います。図書館のことなのに司書からの説明がない。
今回の報道、「なぜこのタイミング?」というのがすぐ浮かぶ疑問です。新図書館オープンは前年度。つまり1年以上経っての報道です。高知の事情はわかりませんが、図書館全体、人件費全体で予算がガンガン削られている状況です。どの図書館もひずみを抱えつつ走っている状態でしょう。だからおそらくどこの図書館でも何かしら記事にしようと思えばできるようなネタは抱えている。その中で、なぜ最新の話題でもない高知県立大の話が地元の新聞で報道されるのか。人的つながりによる何かがあったのでは?と思ってしまいます。
そして個人的衝撃というか最大の疑問は「なんで新図書館のほうが書庫がせまいの?」というところです。大学図書館といえども、専門性皆無の一般の本や雑誌もあり、毎年ある程度処分はしていると思います。なので、処分本がでること自体は疑問はありません。
図書館の移転というのは大変なもので、処分しない前提で移動させてもなぜか消える本が出てきてしまうものです。6ケタ以上の本を扱うというのはそういうことです。
今回は3年度(2014~2016年度)にわたって13回にわけて処分されたそうですから、計画的に行われています(閻魔堂さんの見積に近い数。1回につきバン1台分ずつ処分されたのではないかと思います)。そこは理解しつつも、思ってしまうのは「移転後の処分じゃいけなかったのかな?」ということです。「処分→移動」より「移動→処分」のほうがコストがかかるのはわかります。しかし、移動による破損のことを考え合わせると「移動→処分」にするべきと思います。
移動後、ルーチンの廃棄に上乗せするかたちにするのがベターだったのではないかと思います。
話きりかえます。
下記ブログ記事によると高知県立大図書館の蔵書数は約24万冊。736校中320位です。
ブログ「数字作ってみた」(たぬたぬさん)
「大学図書館蔵書数ランキング(2017年)」(2017/10/12のエントリ)
https://tanuki-no-suji.at.webry.info/201710/article_8.html
※2017年9月刊行の『2018年度用 大学の真の実力 情報公開BOOK』(螢雪時代編集部、旺文社)のデータを元に作成されたとのことです。
ざっくりと上位に文学、歴史系を抱える大学がならび、医療系の大学は下位にならびます。県立大は「健康栄養学部」「看護学部」「社会福祉学部」「文化学部」の4学部から成ります。「文化学部」ってのがわかりづらいですが、語学や地域文化について学ぶところのようです。かつては国文学部がありましたが、現在はありません。処分された国文系のものはおそらく国文学部廃止を受けてのものと思われます。
本を大量に必要とする人文・社会系の学部がほぼない大学としては少なくない蔵書数だと思います。
ちなみに学生数は学部のみだと今年度1433人。
http://www.u-kochi.ac.jp/soshiki/25/gakuseisuu.html
質はともかく、量は県立大学としてじゅうぶんだと思います。これだけの量をがんばって維持してきた大学が、こういうふうに報道されてしまうというか、拡散されてしまうのはちょっとちがうのではないかという感想になってしまいます。
記事を読むと、今回の新図書館オープンというのは、高知短大の廃校の準備(現在は受入れ停止中)として行われ、実質2図書館の合併であることがわかります。高知短大はどういう短大かというと法律・経済・政治なんです。県立大と蔵書かぶらなそう……(記事を読むとわかるとおり、今回は工科大は関係ありません)。
といったことから、御事情はまったく知らないので勝手な私の感想は以下です。
・24万冊+短大図書館蔵書の新図書館を作るのに、どうして22万冊規模のハコでよいとおもったのかがわからない。書庫のせまい図書館は悪。
・このタイミングでの2図書館の合併のメリットがわからない。特に短大図書館の利用者がいる状態での移転は疑問。学生にとってデメリットしかないはず。
・新図書館なんて作らず、短大がなくなった後に県立大が必要な蔵書をひきとればよかったのではないか。
・新図書館なんて作らず、短大がなくなった後に地域資料をメインした地域住民のための施設を作ればよかったのではないか(この短大、「高知学」を提唱しているので地域資料はそれなりにあるのではないかという推理)。
報道は「処分」を前面に打ち出してますが、司書さんがきっちり関わった処分のようなので私はそこはそんなに問題は感じませんでした。ただ、ひたすら新図書館の存在自体が謎でした。
以上、状況を知らない者の勝手な感想でした。こうした騒ぎが去り、大学の専門性をより高め、学生の利便を考えた運用が優先される状況になることを願います。
(2018年8月18日の付記)
県立大が学長名義で「高知県立大学永国寺図書館の蔵書の除却について」というリリースを出されました。
高知県立大学永国寺図書館の蔵書の除却について
http://www.u-kochi.ac.jp/soshiki/7/oshirase.html
本の処分は適切さを模索した結果であることがわかります。報道がどうあっても、こうした対応ができる体制であることは安心感があります。
(2018年8月19日の付記)
新図書館、床面積自体は広くなっているとのこと。閲覧スペースが拡大されたということのようです。「研究の利便性を高める」をどういう方針にするかということのひとつの解答と思います。
大学は専門教育・研究をする場所ですから、大学図書館も専門教育・研究のためのものです。専門性を優先する観点からの処分は当然視野にあります(一般の利用のある図書館ですから地域との関係という観点もあるとは思いますが)。
保存を目的として寄贈された京都桑原文庫の廃棄や、完全な手続きミスで失われた東大の宇佐美圭司作品とは話がまったくちがいます。
私は大学図書館に関してガチガチの保存優先派ではないけれど、書庫重視過激派なんで気になったというだけでした。増築可能な設計だったらいいなー。
あと高知には「オーテピア」という県市の共同運営の新しい図書館があるとのこと(いろいろ試行錯誤中の施設のようです)。収蔵能力がむちゃくちゃある(200万冊)ので、ここにないものは移動させるというのはひとつの手だったかもしれません。