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複数の自分で生きる自由

本当の自分って何だろう?

と、ふと考えたことは
ありませんか。

現に僕らは、

・友達といる時の自分
・仕事をしている時の自分
・家族といる時の自分

それぞれ少しずつ
立ち振る舞いや言動が
違ったりしますよね。

『自分の中に複数の自分がいる』

僕はこの感覚に
少し悩んだ過去があります。

あるときは完璧主義者、
あるときは楽観主義者、
あるときは批判的な評論家。

「こんなに違う自分がいるって、
ちょっと今、不安定なのかな」

と不安になることも
ありました。

でもある時、気づいたんです。

実はこれって
“当たり前”のことなんだと。

今日はそんな
「複数の自分」についての
気づきや考えについてのお話です。

そもそも複数の自分がいてもいい


「複数の顔を持つ自分」は、
決して病的なものではありません。

心理学の世界ではこれを
セルフコンセプトと呼んだりします。

セルフコンセプトとは、
「自分はこういう人だ」
というイメージの集合体。

それは固定されたものではなく、
時間や場所、人間関係によって
絶えず変化します。

例えば、
好きな人と会話している時は
「リラックスしてる楽しい自分」
を引き出し、

仕事中は
「キビキビと責任感のある自分」
を前面に出す。

これって人として自然なことであり、
別にいろんな自分が滞在してても
いいんですよね。

でもこれを
無理に同一化しようとすると
心に矛盾が生じて、

「本当の自分が分からなくなる」

などと捉えてしまい、
悩みや迷いが生じます。

隠れた自分を発見するシンプルな方法


こんな時のアプローチで効果的なのが
多層的な自分を「観察すること」

おすすめの手法としては
シンプルな“ジャーナリング”です。

いつ、どんな時に、
どんな自分が現れるのか
その時の感情や思考は?

などを日記やメモに書き出してみる。

例えば、こんな感じです。

==============
・いつ・どんな時

朝の起床後、目覚ましを止めてベッドにいる時

・現れる自分
もう少し寝ていたい怠け者の私
今すぐ起きなければと思う真面目な私

・感情や考え
「あと5分くらいならいいよね…」
「今すぐベットから飛び出せ」
==============

・同僚と話している時の自分
・クライアントと話している時の自分
・夜、1人で過ごしている時の自分

など、

日常のあらゆるシーンで
自分を観察してみます。

これを数日続けるだけでも、
面白いことに気が付けます。

「ああ、自分の中にはこんなに
複数の人格が存在しているのか」

「こんな自分も内在してるのか」

「周りの環境や関係性って
本当に自分へ影響を与えるんだな」と。

いろんな自分に“名前”をつけてみる


観察力を上げるため
ゲシュタルト療法で推奨される
「いろんな自分に名前をつける」
という手法もオススメです。

例えば、

強気で完璧主義者な自分「兵長」
陽気で楽観的な自分「ルフィ」
怠惰でサボり魔な自分「のび太」

みたいな感じ。

名前は別に何でもいいんですけど、

漫画やアニメキャラから引用すると
性格や言動のイメージが浮かびやすく
名前を付ける際に便利です。

で、名前をつけると
自分の観察力がグンと上がり
日常がかなり面白くなります。

「ああ、またのび太くん来たよ」

とツッコミながら
複数の自分に気が付けば、
それ以上引きずられずに済む。

これが意外にも効果的で
僕の場合、心が軽くなったり
自制心が強化される感覚もありました。

本当の自分なんていない?


そうやって自己観察していると、

「ん?複数の自分がいることって
いけないことなのか?」

「どれが本当の自分なのか
という区別なんてあるのか?」

「というか、そもそも
そこに区別が必要なのか?」

という風に
考えるようになりました。

考えれば考えるほど、
「本当の自分」なんて概念自体が
人が作り出した幻想に過ぎない

と思えてきたんです。

仏教の「縁起」に学ぶ、自分の多面性


仏教の教えに「縁起」
という考え方があります。

これは簡単に言うと、

「すべてのものは、他のものとの
関係性によって成り立っている」

という考えです。

僕らの「自分」という感覚も、
実は他者や環境、経験などとの
つながりから生まれているもの。

だから特定の状況や相手によって
自分が変化するのは当然であり、
それこそが自然な姿であると。

・人とつながるときの自分
・目標に向かうときの自分
・孤独に浸るときの自分

これらすべて関係性や状況によって
引き出された「自分」であり、
どれも紛れもない本物の「自分」です。

「その時の自分」を楽しむ


縁起の教えや
自分の気づきを踏まえて、

「本当の自分」に縛られることなく、
「今の自分」を楽しむことに
意識を向けるようになりました。

友達と楽しく過ごしている自分も、
仕事に集中している真面目な自分も、
夜に1人で反省している自分も。

全部ひっくるめて自分であり、
どれかを否定したり、
無理に統一化する必要はない。

むしろ
「今日はこういう自分が出てきたな」
「このシチュエーションではこんな自分が現れるんだ」と、

いろんな自分を発見することを
楽しむことが大事ではないでしょうか。

いろんな自分が紡ぐ、新しい旅路


僕らは一生を通じて、
縁起の中で変化し続ける存在です。

だから
「いろんな自分」を受け入れながら、
新しい自分を増やしていくことを
楽しむのもいいと思いませんか。

結局、「自分」というのは
ひとつの固定されたものではなく、
無数の顔を持った流動的な存在です。


それを認めてあげた瞬間、

もっと自由に、柔軟に
生きられるようになる。

完璧である必要なんてないし、
すべての自分が僕らを作っています。

「その時の自分」を
楽しめるようになれば、

僕らの中にいる
複数の「自分たち」との旅路が
価値あるものになるはずです。

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