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自分のために頑張れなかった私が自分のために頑張ることができた話
先日、職場でワーク・エンゲージメントについて考えるワークショップが行われた。
ワーク・エンゲージメントとは、仕事に対してのポジティブで充実した心理状態のことらしい。
その中で、自分の思考のクセや、そこから抜け出すための手法などをいくつか提示してもらいながら、ワークを行っていく。
私の思考のクセの最たるは、これまでも散々向き合ってきた
①自分に対しては
世の中の不幸は全部自分のせい
②人に対しては
あの人は全部私にやらせようとしている。そして、あの人が言ったことは全部やらなくてはならない
全部自分が悪いのだから
生育歴とトラウマ体験により、中心に自己否定と自責が残っているから、そうなるのだということは分かっていた。
そして、ワークの中で、そこから抜け出すために、メタ視点で物事を見る、ということも同時に教えてもらった。
メタ視点とは
置かれている状況を一つ上の視点から客観的に見る
ことらしい。
それで、ふと、この半年本を書いて、自分の人生を完全に変えた原体験について、徹底的に向き合ってきた作業は、メタ視点に似ていたなと繋がった。
めちゃくちゃ向き合った結果、私の根っこには、
自分が許せないという
自責の念がデーンと横たわっていた。
常々私は人のためには、めちゃくちゃ一生懸命になれるが、自分のためだと一生懸命になれないということにも気づいていた。
人から「自分のことを後回しにしても人のために頑張ってすごいね」と褒められたこともあるが、自分の中では釈然としない思いがいつも残っていた。
なぜ自分のために頑張れないんだろう?
たとえば、人が作業に追われて大変そうだと手伝い、土日に仕事を自宅に持ち帰り、休日にやると言った具合に。
そして、それは、他人に対する優しさではないということにも気づいていた。
でも、思考のクセを知り、一つ上の視点から見下ろせば簡単なことだった。
自分で自分を責め、罰しているから、自分のためには頑張れなかった。
なんだ。こんなシンプルなことだったんだ。
昨日、試しに少しだけ遅く会社に行ってみた。
私は普段同じ部の誰よりも早く行って、心地の良い状態にしておかなければ。
どこかでそう思い込んでいた。
試しに昨日、いつもより、30分だけ遅く、部のメンバーの誰よりも遅く会社に行ってみた。
そして、いつも自分の仕事を後回しにして無理して引き受け、土日にこっそり皺寄せとして自分の仕事をやっていたことを一つだけ周囲に相談して手放してみた。
すごく嫌がられるかなとどこかで不安を感じていたが、
何も変わらなかった。快く受けてもらえた。
そういえば、私、今回の本、初めて自分のために書いたんだ。
本は初めてではないのだ。自費出版した1冊目があるのである。
前は依頼があったから、作ると約束して、意地でもつくった。
結果的にすごく自分のためになったが、スタートは自分のためではなかった。
今回は、いつまでも過去に囚われて苦しみのうちにある自分を見つめなおし、過去を再検証するために、自分のために書いた。
自分のために頑張れなかった私が自分のために頑張ることができた
お昼休み、ふと窓の外を見ると虹が出ていた。
うん、ゆっくり進んでいこう。
自分のために頑張ってみよう。
まだまだ抜け出しつつある移行の過程。しょっちゅう振り返って点検しながらゆっくり進んでいこうと思う。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました✨✨✨
※である調の練習のため、しばらくである調で書きます。