第三の道を探している
おはようございます😃
昨日、たまたま見つけたこちらのwebマンガ。
1から21話まで全話読んで、すごいいいな〜って思いました。
あと、こちらも。
先日、久しぶりに電車の乗り換えにギリギリ間に合いそうで、少し気合を入れて走っていました。
その時、2012年から2020年まで、約7年間(育児休暇中の1年間除く)一日も休まず、一日も欠かさず、往復4時間かかる職場まで、始発で通勤し、夜遅くまで残り、それでも仕事が終わらなければ土日も厭わず仕事していたなぁ。
お腹に娘がいるときも。
ふとそんなことを思い出しました。
今週、2日間にわたって、このトラブルを私がなんとかしなきゃ!と気負い込み、背負い込み、血走って、帰宅してぐったりしていたとき、
あぁ、私はあんな状態にはもう戻りたくないんだなぁ。
つくづくそう感じたのです。
先日読んだ別の本にも、「たわけもの」の語源として、田分け者(お人好しの地主が頼まれると断れず、自分の田を全部人に与えてしまい、最後自分には何も残らなかった。)と書かれていて、なるほどなぁ。
自分の身を削って削って、与えようとしても、長くもたない。
かと言って、今のスタンスは、180度振り切れて、前みたいにならないように、心に予防線をはっている。
本当に長く長く続けていくためには、自分にとっての第三の道を探す必要があるんだなぁ。
そんな風に思いました。
そして、そのヒントは今ここに集中することにあるんだと。
高邁な理想とか目標の前に、今ここにある幸せにフォーカスして、一瞬一瞬を大切に生きていきたいのだと。
やる気が出ないわけ→やる気を出すと、とかく前みたいな頑張り方に戻ってしまうという拒否感。
マインドフルネスに心惹かれたわけ→今ここに集中したい。
そして、もう一つ。
敢えて書物の名前を書きませんが、「たわけもの」について書かれた著者は、恩人が亡くなられてから、生前の不肖を悔い、本を出されています。
そんなに後悔するなら生きているうちに伝えればよかったんじゃん。
それは、私自身にもブーメランのように向けられた言葉でした。
生きて伝えられることは、当たり前なんかじゃない。有り難く奇跡的なことなのだ。
もっともっと今この瞬間を大事にしたい。
そのためにも私にとっての第三の道をゆっくりのんびり探していこうと思いました。
考えている過程の取り留めもない思いをつらつらここまでお読みいただき、ありがとうございました✨✨✨