noteとの共通点も多いと気づいた〜テーマ性のある直感的な対話から生まれる気づきについて②音声ラジオ番組演劇教育ダイアローグ その1〜
おはようございます😃
今でこそ、下手の横好きで、noteを毎日更新していますが、私は若かりし頃、文章を書くのがめちゃくちゃ苦手でした。
書かざるを得ないきっかけをつくってくれたのは、2005年に開催された横浜トリエンナーレという美術展の市民広報チームにボランティアとして参加したこと。
夫の仕事に何か結びつけば良いなというヨコシマな気持ちと、世界的なアーティストさんに会えるかもというミーハーな軽いノリで参加したものの、文章を書くのが苦手な私にとって、広報は苦行以外の何者でもありませんでした。
そんな私の意識が180度転換したのは、とあるアートディレクターの方にインタビューさせていただたいたこと。
1時間半ほどがっつりお話しを聴かせていただき、もがき苦しみながら、数ヶ月(おそっ)かかって原稿を起こし、ご本人確認をしていただくやりとりを、何度かして、原稿が完成したとき、不思議な感覚がありました。
これまで見えなかった風景が目の前に広がっている感覚です。
その方は、かなりユニークな視点から世の中を見ておられて、もがき苦しみつつ、言語化し、理解できないモヤモヤを言葉に落とし込んでいく作業を通じて、自分の中にこれまでなかった視座のかけらみたいなものが自分の中に残る。
あまりにその方の見方がめちゃくちゃかっこいいので、私はその方を、もう一人の、人生の師匠として、その後も尊敬し続け、人生観に多大な影響を受け続けています。(老子がバリバリその方の生き方そのもののようです。)
そんなもんで、インタビュー体験を通して、物の見方に劇的に影響を受け、美術展が終わっても、声をかけてくれた仲間とともに、4年間ほど、主にアーティストさん中心に仕事の傍ら、インタビュー活動をさせていただいていました。
その結果、なんらかの自己表現を行なっている方にインタビューをさせていただくと、聴く側の気づきも半端ない、ということでした。
これは、noterさんにも共通して言えることだと思うんですが、身近に毎日なんかしらの発信を継続的に行っている方がnoterさんや SNS経由で知り合った方以外でたくさんいますか?
私には、普段の日常生活での人間関係にはあまりいません。
noteで発信したり、本を出版したり、何かしらの自己表現をするということは、それだけ何か自分の中に伝えたい何かが強くある、ある意味激レアさんなんだと。
これは、リアルでつながるnoterさんたちと時々やりとりするんですが、
そう、ある意味激レアさんなんだと思います。
と、ここまで、前置き自体がすごく長くなってしまったんですが、
それで、昨年、心から尊敬する勝手に心の師と仰ぐアートディレクターの方に、久しぶりにインタビューさせていただきたくなり、ご連絡をとったところ、
「公開ラジオ番組みたいな感じで、聴いている方も参加できる感じのラジオ形式はどうだろう?」
そうご提案をいただきました。
ちょうどその頃、昔からの仲間うちで、心理的安全性について語るというイベントをクローズで開催し、リアルタイムにある一定のテーマに対して、ざっくばらんに忌憚のない本音のかけあいをすると、半端ない気づきがある、そんな気づきがあったため、「ラジオ、それはいいな〜」
よっしゃ!いつか音声ラジオをやってみたい。
ゼーハー、まだ前置きです。
それで、その頃noteで心理的安全性というキーワードで目に留まったnoterさんがまあささんでした。
最初、女性だと思っていて、ある日、音声ラジオをされていて、お!たまたまラジオだ!視聴したら、まさかの男性で、椅子から転げ落ちました。
その後、演劇教育ダイアローグというラジオ番組を立ち上げられ、毎週、めちゃくちゃ濃度の濃いコンテンツを配信されています。
多分、全回聴いています。
そして、実感したことは、自分が参加しておらずその場にいない対話でも、瞬間的に、人が対話しながら、どんどん気づきが深まり、リアルタイムで思考が深化していっている音声番組を聴くと、リスナーの立場でも、ラジオと同時進行にリアルに気づきが深まっていくなということ。
特に、ゲストスピーカーさんたちは、日頃、ご自身も表現者として、ばりばり表現行為をされている方々です。
人に何かを伝えるためには、自分が分からないと伝えられない。
私はそう認識しています。
だから、常日頃から自分と向き合いつつ、自己表現をして、他者に伝えている同士の方々が音声ラジオを通して語りあう対話は、めちゃくちゃ密度が濃くて、演劇というカテゴライズを超えて、日常生活にバリバリ活かしていけるな、そんなことを考えつつ、聴かせていただいています。
私自身は、大学時代、自分の中にある解放できない大きなモヤモヤがあまりに苦しくて、ダンス、舞台づくりという身体表現、ものづくりを通して自己を解放していきました。
自己表現をするというのは、人によっても違いはあろうかと思いますが、ある意味、それがないと、生きづらいというか、それがあるから生き生き生きていけるという側面もあると思います。
言語化できなくても、絵や身体表現、音楽など、世界とつながるツールはいくらでもある。
だから、私は世界とつながるのに、いかなるツールもなりふりかかわまず活用して世界とつながっていけば良いし、それで、より自分らしく生き生きと生きられる人が増えるなら、より多くの人が、もっともっと躊躇なく、自己表現していけばもっと世の中は豊かになるんだという思いがあります。
何より、生きること、そのことは、多かれ少なかれ、自己表現の連続だと思っています。
そういう意味で、今まさにガチで表現者として、発信をされている方々がラジオ番組から語る言葉の密度には、毎回うわー!これすごいこと言ってる!身震いしながら聴かせていただいています。
まだ続くんですが、これが、昨年、手記を出していく過程で、めちゃくちゃ効いてきました。
これは、明日、続きを書こうと思います。
薄々感じていましたが、一回では書き終わらそうです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました✨✨✨