自分を縛る思い込みから突き抜けた瞬間②どん底
5月11日から今年も始まる大学生、大学院生向けの短期講座「アントレプレナーシップ論講座」を応援するために、この講座の何が素晴らしいか、自分の経験を紐解きながら書いています。
第一回目はこちら。
なお、この内容は、長すぎ自己紹介②のスピンオフにもなります。
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アントレプレナーシップ論講座。
この講座のすごいところ。
それは主催者の柴田さんや、教えに来てくださる講師陣、ティーチングアシスタントに至るまで、皆ボランティア。
無償で3ヶ月の講座に協力するところ。
コロナ前にリアル開催していた頃は、会場代などは主催者の柴田さんがポケットマネーで出しておられたと思う。
主催者の柴田さんの思いは「世の中に影響を与える人を育てたい」「ワクワクする面白いことをみんなでワイワイやりたい」
いろいろあろうかと思っているが、長年わたしが見てきた視点から見ると、
「なんだかんだいって、狭い世界でうずくまっている若い世代に早い段階でいろんな経験やいろんな人と交流する機会を提供し、生きていく力を育みたい」
根底には、若い世代に向けるそんな愛情があるように感じている。
さて、入社2年目から若手で会社を変革しろという、ある意味「若手をかつぎあげて教育してやろつぜ」的組織にほおりこまれたわたし。
まだ心の奥底には親友の自殺は自分のせいだという大きな大きなトラウマを背負いまくっていた。
上の人たちは、「やらせれば、若者たちも自分ごととして会社のことを考えるようになるだろう」
そんな軽い思いでやらせているのに、私は、
「私がここでやらないと、会社が死んでしまう!」
そんな悲壮な思いに囚われて、必死で活動していくことになる。
本人は、その根底にある思いを自覚していないから、なおたちが悪かった。
会社のため、世の中のため、そう思い込んでいるが、根底には自分が親友を殺したという思いがあった。
人で失敗したと思い込んでいるから、人が怖いのに、どんどん外に出て行って交流を広げた。
自分がその時にできることはありませんたとえ身を犠牲にしても、なんでもやろう。
そんな覚悟だった。
主宰者の柴田さんに出会ったのはそんなとき。
平日水曜日の朝の始業時間前の一時間、毎週赤坂のカフェで朝の朝食会を何年も開催されていた。
そこに一時間いただけで、わたしの目から鱗が落ちた。
サラリーマンでもなんでもできるんだ!
会社に行く前のたった一時間の朝食会。
そこは出入り自由で毎週、サラリーマンのみならず、編集者やベンチャー経営者、脚本家など、多彩な人が出たり入ったりしていた。
こんなことをできるんだ!
たった一時間で人生が変わることもある。
そんなこんなで、そこで出会った柴田さんに声をかけられて2005年の短期講座をティーチングアシスタントとして手伝うことになった。
しかし、ティーチングアシスタントという役割を全く理解していなかった。
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このアントレプレナーシップ論。
当時は仕事終わりの、19時から1時間半ほどの座学の講義を受け、その後、各チーム学生5から6人、ティーチングアシスタント2から3名からなるチームに分かれ、各チームでのミーティングと2部構成になっている。
3ヶ月でビジネスのビの字もしらない初対面の学生が一つの事業計画を練り上げていくのである。
人それぞれ講座に関わる温度差もまちまち。
当時はまだ大学院の講座であったため、単位ももらえるから単位目的の生徒さんもいれば、もっと純粋にビジネスプランに興味がある生徒さんもいた。
私が初年度に受け持ったチームは、本当に個性もばらんばらん。
そして、何から何までことごとくまとまらなかった。
協調性ゼロ。
皆口々に自分はこれをしたいを一方的にボールを投げ合い、拾う人がいなかった。
そして、それをサポートするのがティーチングアシスタントだという自覚さえ、わたしにはなかった。
自分もボールを相手が受け取れないようになげてばかりだった。
ミーティングは毎回難航した。
21時過ぎから終電ギリギリまで。
時間はかかれど、成果は上がらない。
当然だ。拾うひと、フォローする人がわたし含めいないのだ。
加えて、私はこのころ、美術展の広報ボランティアにも手を出しており、本業の仕事、アントレプレナーシップ論、アートボランティアと3つのワラジを履いており、それが、どれもなかなかヘビーで、毎日帰りは終電近かった。
新婚だったにも関わらず、もう何日も夫の声を聞いていなかった。
どこにいても、何をしていても
「いつか、どこかできっと」
心は今ここにはなかった。
そんなチームに一人、大学院1年の女性が紅一点がいた。
ビジネスにも詳しくないし、迫力ある他のメンバーの個性が強烈ななか、ヘタクソなりに、自分の取りまとめのパワポをまとめるなど、自分が今できることを一生懸命やるその子の姿を見ていると、自分が何か大切なことを見失っている。
心の奥底で小さなささやきが声をあげるようになった。
結局、チームは最後までまとまらなかった。
発表会一週間前も、本当に悲惨な状態だった。
外野から、見かねた他のチームのティーチングアシスタントが、このビジネスプランをやるなら、あそこの企業にヒアリングに行くといいとアドバイスをくださった。
突撃でアポをとり、お忙しい時間を割いて、ヒアリングに応じてくださるベンチャー企業のご担当者。
これまで放置してきた学生さんに、無理やり予定をこじあせて、アテンドでついて行ったこの時。
その一瞬だけ、なんとなく、心が晴れた。
しかし、たった一回のヒアリングで付け焼き刃のまま事業計画がまとまるべくもなく、そのまま、バラバラのまま迎えた発表会の朝。
キャンパスにいたのは、学校に泊まり込み、他のメンバーが帰ったあともあきめず、徹夜でビジネスプランを一人で最後まで仕上げた紅一点の女性学生だった。
徹夜明けのクマまでカッコよかった
私は打ちのめされた。
私、カッコ悪すぎる、
自分に力量がなくても最善を尽くそうとして、最後まで、たった一人になっても自分の事業計画を自分で仕上げようとするその子の姿は、カッコ良すぎた。
発表会は惨敗だったが、あの時、徹夜明けでキャンパスに一人いた彼女の姿だけがずっと脳裏から消えなかった。
※※※
その後短期講座は終わり、いろんなことがあり、私は全て間違っていたんだ。
そう思い、長い間どん底で反省しまくった。
そして、その年の12月。
亡くなってから、初めて親友のお墓参りに行くことができた。
次回は、リベンジを誓って、翌年もう一度短期講座にチャレンジした時のお話です。
アントレプレナーシップ論講座はこちら。
大学生、大学院生、それらの親御さんでこの講座にご興味をもたれたり、薦めてみたいと思ったかたは、ぜひお声がけください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました✨✨✨
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