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香山哲「ベルリンうわの空 ウンターグルンド」生活の実感を、僕らの手の中に

KKV Neighborhood #52 Comic Review - 2020.11.11
香山哲「ベルリンうわの空 ウンターグルンド」(イースト・プレス )
review by 小野寺伝助 (地下BOOKS/v/acation/ffeeco woman/haus)

努力はすべし、困難は打ち勝つべし、若いうちの苦労は買ってでもすべし! 幼少の頃から親や教師にそう教わってきたし、少年ジャンプに出てくる主人公たちも努力し、苦労し、困難に打ち勝っていた。

そんなあるべき姿を目指して大人になると、ひとまず就職すべしで、就職すると目標を達成すべし、生産性を上げるべし、といような感じで常に努力や苦労を強いられる。無理ゲーじゃね?と思っても「辛いから仕事なのであって、だからこそお金をもらえるんだ」とか言われて、そうかなるほど、と努力して働いても「頑張ってくれてるけど、目標に達していないから評価はできない」みたいな感じで給料据え置き。白目を剥いてハードコアパンクを聴きながら帰宅し、食事と家事と飲酒であっという間に寝る時間となる。

努力は美しいし、困難に打ち勝てば素晴らしいんだけど、もはや努力や困難が前提になっているこの社会の仕組みは、なんかおかしくないか? これは努力や困難を美しく描いてきた少年ジャンプの功罪なのでは? と不満の矛先を少年ジャンプに向けたところで、スラムダンクに憧れてバスケ部に入部したけれど桜木花道(チームの中心)にはなれず角田(補欠のセンター)で3年間を終えた中学時代を思い出し、余計に自己嫌悪に陥る。結局、いつまでたっても俺の努力とセンスが足りんのか。自己責任なんか。

そんな折に香山哲の漫画「ベルリンうわの空」シリーズを読んで、いま俺が読みたい漫画はこれだと思った。なぜなら、主人公が不断の努力をしたり困難に打ち勝ったりせず、自分らしく豊かに暮らしているからだ。

ドイツのベルリンに移住して暮らす著者自身の体験をベースに創作された本書は、市場経済の中で希薄になりがちな生活の実感や社会との繋がりを、自分達の手の中に戻していく。第1作「ベルリンうわの空」ではベルリンに移住した主人公が街の魅力を発見しながら仲間達と出会い、第2作の「ベルリンうわの空 ウンターグルンド」では、その仲間達と地下街で〈清潔スペース〉という洗濯機やシャワーが無料で使える施設を運営するというのが話の筋書きだ。清潔スペースは誰でも使える開かれた場所であるが、特に困っている人やホームレスの人達を意識している。その様な施設の必要性を著者はこう説明する。

不潔さやボロボロさが自分で気になってしまうと、社会に居づらくなる。社会に居ないわけにはいかないので、つらい。自分のことを、まず自分が「大切に扱うべき生命」「幸せに生きていくべき貴重な存在」と認識できるところからスタートしなければ、色々な可能性が広がっていきにくい。(p.79-80)

この考えのもと、主人公達は試行錯誤しながら清潔スペースを運営し、少しずつ利用者も増えていく。やがて利用者の1人であるホームレスの人に仕事が決まってみんなで喜んだりする。

本書の中で、スウェーデンの首相サンナ・マリンの「ある社会の中で、最も弱い立場に置かれた人たちがどれだけ幸せになれるかってことこそが、その社会の強さだ」という考え方が紹介されている。どこかの国の首相とは違って素晴らしい考え方であるが、本書の主人公はそれを国や自治体に任せるのではなく、同じ街に住む仲間達と一緒に小さな形で実行する。社会の現状を国やシステムのせいにして嘆くのではなく、自分達で考えて自分達に出来る範囲で変えていく。それが不断の努力や困難との闘いみたいな感じではなく、それぞれの生活の中で無理せず自然体でやっていく感じで描かれているので、読者も自然体のまま自分自身の生活、住む街、暮らす社会に想いを巡らせることができる。

主人公は清潔スペースを続けていくために大事なのは〈とにかく無理しない〉ことだと言う。一見すると気の抜けたメッセージだが〈周りに流されず、自分のままで人間らしくやっていこうぜ〉ってことだと思う。

努力や忍耐よりも、優しさや思いやりの方が大事。困難に打ち勝って成長することよりも、無理せず自然体に生きることの方が大事だという当たり前のことに、本書は気づかせてくれる。そんなシンプルなこと、できれば子供の頃から叩き込んで当たり前の常識にしておいてほしかったのだけど。

企業や行政がつくった街の中で無為な消費者になるのではなく、なるべく当事者として生活したいと思った。どこにお金を使うかも大事だけど、街のイベントや地域の集まりに参加してみるとか、消費活動の外側での関わり方にも興味を抱いた。
 
未来もいいけれど、まずは生活の実感を僕らの手の中に。

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