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「パブリック 図書館の奇跡」公共の意義を問うアメリカ映画を、クソパン小野寺伝助と語る

KKV Neighborhood #39 Movie Review - 2020.08.28
「パブリック 図書館の奇跡」(Hammerstone Studios / Living the Dream Films / E2 Films)
review by 小野寺伝助、田中亮太

大寒波の夜、生命の危機にさらされた70人ものホームレスが図書館にたてこもる――アメリカ映画「パブリック 図書館の奇跡」が、ここ日本でもロングラン・ヒットとなっているそうです。パンク・シーンきっての読書家であり、一昨年に著書「クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書」を上梓した小野寺伝助さん(V/ACATION / ffeeco woman / Haus)とこの映画を観賞。感想を語り合いました。(田中亮太)

一人一人が、社会とは、公共とはなんぞやを考えなければならない

田中亮太「『パブリック 図書館の奇跡』、小野寺伝助さんと立川シネマシティで観てきました! 〈ホームレスが大寒波から身を守るため図書館に立てこもる話〉と聞いて、これは小野寺さんを誘うべきだなと思ったんです」

小野寺伝助「内容的にも面白そうだし、図書館という舞台で〈本〉が重要なキーワードにもなっているので、これは観るべき映画だなとビビッときました」

田中「まず感想はいかがでしたか?」

小野寺「大満足でしたね〜。エンタメ的な演出でクスッと笑えたり、展開にドキドキしたりしつつ、観終わった後は色々と考えさせられる内容でした」

田中「〈パブリック〉というタイトルのとおり、公共の意義とは何か?を鑑賞者に問いかける作品になっていましたよね。監督で主演も務めたエミリオ・エステヴェスがよかったです。もともと80年代に青春映画のスターとして人気を博した人ですけど、近年は監督業でも渋い作品を残しているんですよね。今作も彼自身が脚本を書いていて、〈いまこの作品を作らなきゃいけない〉という気概を込めた映画。気骨ある作品と言ってもいいかも」

小野寺「一人で監督、脚本、主演ということで、ある意味個人の強い想いで作られた映画だけど、扱っているテーマがパブリック(公共)というのが面白いですね。一人一人の個人が、社会とはなんぞや、公共とはなんぞやを考えなければならないということを、身を持って体現してるようで」


共感や想像の欠如が、排除を生みだす

田中「そうした公共に価値を置かず、むしろ縮小していこうとするのが新自由主義で。この映画には〈富めるものは際限なく富めばいい〉というネオリベ的な思想や、〈お前がいま〇〇なのはお前自身のせいだ〉という自己責任論への強い怒りを感じました」

小野寺「ユーモアを交えながらも、しっかり怒りが伝わってきますよね。この映画の良いところは、主人公が試行錯誤したり迷ったり間違ったりしながら自分なりの弱者への寄り添い方、つまりパブリックの在り方を模索していくところだと思いました。まず、初期設定として、主人公はあるホームレスから訴えられている。理由は悪臭を放つホームレスを図書館から追い出したから。全然、寄り添えてない(笑)。けど、利用者から多くのクレームが入っていることに対処したその行動は完全に悪いとも言い切れない。悪臭に多くの利用者が困っている状況に対して、それを放っておく訳にもいかなかった」

田中「ものすごくジレンマを感じるであろう出来事ですよね。公営の施設に限らず、お店で働いた人なら誰もが体験しそう……」

小野寺「実は学生の頃働いていたコンビニで、似たような経験がありました。ホームレスの女性がよく来てたんだけど、ちょっと臭いが強烈で。お客さん全員いなくなっちゃうし、その方が帰られた後もしばらく臭いが残っちゃって。そのコンビニは店でお惣菜とか弁当も作って売ってたので、食品を扱う店としてかなり困ってた。で、結局店長がその人を追い出して、その後来なくなったんですけど、十年以上経った今も引っかかってます。何が正解だったのかなぁと」

田中「ただし、それがパブリックな場である場合、あらゆる立場の人間を受け入れるべきだという前提は守らなければいけないと思うんです。日本では昨年、台風接近の際にある避難場所がホームレスの方を受け入れなかったという信じがたい事態が起こりました。災害時において避難所に入れないということは、生命の危険にさらされるわけで、極端に言うと置かれている状況によって命の重さが違う、ということになる。絶対におかしい考えなんだけど、それをおかしいと思えない、そうした想像力を持てない人が増えていることは問題だと思います」

小野寺「ほんとにそうですね。何かを排除する、というのはパブリックな場においては絶対あってはならない。避難所にホームレスの方が入れなかった件だけでなく、ホームレス対策として公園のベンチに肘掛がつけられたり、排除アートが設置されたり。あと、渋谷の宮下公園の件とか。公共の場で公然と排除が行われてる。ホームレス=厄介者というレッテルを貼り、共感や想像の対象から外してる」

田中「公園のベンチの寝っ転がらせなさといったらひどいですよね(笑)。それはホームレスに限らず、あらゆる利用者が自由を制限されているわけです」


人種や立場に還元されない〈個人〉を描く

小野寺「ホームレスを演じた役者の方々が、とてもいきいきとしていてよかったです。最近のビッグイシューにエミリオ・エステヴェスのインタビューが載っていたんですけど、彼は実際に図書館を利用しているホームレスの方に聞き取りをして回ったそうです。さらには実際のホームレスの人たちを撮影現場に呼び込んだとか。典型的なイメージのホームレス集団ではなく、人種や世代もバラバラで人間味のある個人として描かれていたのは、そういった背景があったんだなと納得しました」

田中「ホームレスのリーダー的な存在であるジャクソンを演じたマイケル・ケネス・ウィリアムズは『それでも夜は明ける』などにも出ていましたね。狂言回し的な役回りを飄々と演じながらも、昔は軍隊で働いていた=国に尽くしていながらも、いまは家も仕事もいない=国に裏切られたという、悲しみと怒りを随所に滲ませるパフォーマンスでした。また、新参ホームレス、ビッグ・ジョージ役のライムフェストはラッパーなんですよ。シカゴ出身で、カニエ・ウェストの“Jesus Walks”などにも共作者としてクレジットされていて。劇中で流れるラップは、ほとんど彼によるものです」

小野寺「そうだったんですか! 知りませんでした。個々の役者の背景があってこそ、あの血の通った雰囲気が作られてたんですね。配役についてだと、事件を都合よく解釈してフェイクニュースを流すクソメディアを演じている役者が黒人女性とアジア人男性なのにも、監督の意図を感じました。白人vs黒人や、マイノリティvsマジョリティみたいな単純構造には敢えてしていない。全員が当事者なんだよ、と」

ユーモアを忘れないのがパンク

田中「もちろん舞台設定を図書館にしているところも肝。劇中で主人公もまた本を読むによって人生を取り戻したことが明かされます」

小野寺「大事な局面でジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』の一節が引用されたり、本が重要な役割を占めてましたね。本って、知識や教養を深めるだけでなく、子供を教育するためや、娯楽や趣味のためだったり、さまざまな用途があります。そんな本を、誰もが無料で平等に閲覧できるのが図書館という公共の場。誰もが本を通じて知識を深めたり、子どもを育てたり、人生を取り戻す権利がある」

田中「本はもちろん映画、音楽……あらゆるアートは、自分とは異なる境遇の人への理解を助け、想像する力を養ってくれます。一面的に見えがちな出来事も、実はさまざまな面を持っている。そうした世界の複雑さ、ややこしさ、不思議さを気づかせてくれるのが読書ではないでしょうか」

小野寺「図書館は民主主義の柱、とも言われてるそうです。想像力が欠如すると、ある対象に対して〈厄介者、犯罪を犯すかもしれない危険人物〉といったレッテルを貼り、決めつけて、恐怖感や正義感の元に排除する。そういった差別はコロナ禍で世界中で起こってる。日本も例外ではないし、自分もいつの間にか差別に加担してしまう可能性がある。この映画の主人公も間違えたり迷ったりしながら、連帯や抵抗の形を模索していきますが、観終えた後、自分ならどうする?と我が身を振り返させられました」

田中「下北沢のTHREEの壁に〈 君がいつでも帰ってこれるように〉というフレーズが書かれていたように、ライブハウスやクラブもまたパブリックな場であると思います。ダンス・ミュージックのパーティーはよく〈シェルター〉なんて言い方で喩えられるわけで。僕(と小野寺さん)は音楽カルチャーに身を置いている人間でもありますし、音楽の場所はどうあるべきか、みたいな視点でこの映画を観ることもできた。最後にパンク的、という点ではこの映画どうでしたか?」

小野寺「個の連帯、弱者に寄り添う姿勢、権力に立ち向かう反抗、どれもパンク的でしたが、個人的には先にも言及したようにユーモアを忘れないところにグッときました。ネタバレになるのであまり言えませんが、ケツ丸出しで“I Can See Clearly Now”(ジョニー・ナッシュ原曲、ホットハウス・フラワーズのカヴァーなどでも知られる)を唄う姿は非暴力主義、市民的不服従の実践にユーモアを交えたパンク的な行動だなと感じました。ちなみに“I Can See Clearly Now”はパンクスにとってスクリーチング・ウィーゼルのカヴァーでおなじみの曲です」


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