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D'f 『D'f』 ー1986年と1987年の思い出ー by 与田太郎
KKV Neighborhood #235 Disc Review - 2024.12.19
D'f 『D'f』 by 与田太郎
資料提供 by 長谷川文彦
2014年の12月に最初のリリースをしたキリキリヴィラは、今月で10周年を終え11年目を迎える。応援してくれた皆さん、アーティスト各位、手伝ってくれた皆さんありがとうございました。2020年の夏にスタートしたKKV Neighborhoodも4年半経ちました、読んでくれた皆さん、執筆者の皆さんありがとうございました。
2024年もよく音楽を聴いた。今年の前半はカイリー・ミノーグの『Tension』、夏からはジェイミー・エックスエックスの『In Waves』、11月1日以降はザ・キュアーの『Songs Of A Lost World』を毎日のように聴いていた。もちろん数多くのレーベルのリリースはレコーディング中から、マスタリング後のインフォメーション制作時まで何度も繰り返し聴いて言葉に落とし込む。それから友人の曲、世間的なトピックとなったアルバムやシングル、SNSで流れてくるリンクや映像から信頼できるレビューまで、情報量の多さに圧倒されて自分に響く音楽を感知する能力が下がるのではないかと思うほど音楽にさらされている。嫌ではないけど、我が事ながら心配になってくる。まさかこんな時代が来るとは思いもよらなかった。10代からこの環境が当たり前だと音楽の感じ方も随分違ったものになっているのだろう。
今年最後のレビューは、1990年に僕がこの仕事を始めた最初期にリリースした作品を紹介しつつ、その作品がリリースされた時代の思い出を書いてみたい。そう思ったのは先日新代田FEVERで行われたペニー・アーケードとヴィロードのライブがきっかけだった。ライブが終わり、ひとり12月の夜道を歩きながら、ネオ・サイケの音には冬の冷たい空気がよく似合うと思った。この感覚が懐かしく、僕は30年近く前にも同じように感じていたことを思い出した。
ペニー・アーケードもヴィロードも80年代初頭から中旬のUKニューウェーブに大きな影響を受けている。クリーン・トーンにディレイとリバーブのかかったギター、コーラスが印象的なベース、深く響くスネアとフロアタムのフレーズ、それは僕自身の10代後半の日々を呼び起こした。それはちょうどD'fのアルバムをBandcampで販売させてほしいと版元のユーケープロジェクトに相談していたタイミングでもあった。
D'fは1984年にDerection Findersという名前で活動をスタート、1985年にバンド名をD'fと変えたタイミングあたりから音源のようなスタイルになった。1987年にルースターズのプロデューサーだった柏木省三が運営するレーベルPORTRAIT RECORDSから3枚のシングルをリリースして解散してしまう。ちなみにペニー・アーケードも"Blissful Deserted"という曲で1988年にPORTRAITのコンピレーションに参加している(キリキリヴィラで再発した『A Girl From Penny Arcade』で聴けます)。残念ながら彼らのライブを見ることはできなかったが、ルースターズの『DIS』が高校生の頃から大好きだった僕は、何かのレビューで見たD'fのレコードを手に入れた。
1987年、僕は何を聴いていたのか。この時期に一番聴いていたのは1986年にリリースされたザ・スミスの『The Queen Is Dead』だったと思う。1987年の年末までにはプライマル・スクリームの『Sonic Flower Groove』を聴いていた、ザ・ジーザス・アンド・メリーチェインの『Darklands』もかなり気に入っていたし、ザ・ハウスマーティンズの1st『London 0 Hull 4』には夢中になっていた。82年ごろから続いたUKロックへの憧れはこの時期から熱量を増していく。そんなタイミングに聴いたD'fのサウンドは自分が焦がれたUKインディーのそれだった。日本にこんなバンドがいるのか、というのが素直な感想だった。彼らは1987年の12月にインクスティック芝浦で行われたザ・ジーザス・アンド・メリーチェインのフロント・アクトも務めた(2日間の公演で、もう1日のフロント・アクトはワウワウ・ヒッピーズだった)。このライブを見ていないことは今でも悔やまれる。D'fは大きな期待を受けていたはずだが、翌年に解散してしまう。
サウンドは一聴してそれとわかるエコー・アンド・ザ・バニーメンからの影響が強く、随所にニューオーダーやザ・キュアーからの引用的なフレーズやサウンドも見え隠れする。しかし抑えめで影のあるボーカルにキレのいいギター、 さりげないシンセやSEがハマったサウンドは新人バンドとは思えないほど洗練されていた。特に3枚目のシングル『Black Bee and White Bee』の完成度はとても80年代の日本のバンドと思えない高さだった。タイトル曲のガレージっぽいリフから展開してくセンスはダンス・ナンバーとしていま聴いても引き込まれるものがある。"Heaven"の無常感はルー・リードにも通じる孤独感がある。この曲とルースターズの"Sad Song"を聴くと80年代後半の冬の夜を思い出す。それは新宿ロフトに向かう小滝橋通りや渋谷のライブインからラ・ママへの坂道だったりする。
1990年にユーケープロジェクトに就職しいくつかのバンドの制作を経て、やりたいと思ったのがこのD'fの残した音源をまとめて再発することだった。翌年の1991年にヴィーナス・ペーターに出会ってワンダー・リリースを始めるときに考えていたのはD'fのようなバンドをリリースしたいということだった。D'fのCDをBandcampで販売できることになり、学生時代の記憶を思い出しながらこの文章を書いている。
1986年と1987年は自分にとって語るべきことも進むべき道も見えていない、ちょっとした猶予期間だった。将来のことを考えようにも何の手掛かりもなく、強い意志もなかった。音楽の仕事なんてできるなんて思ってもみなかった。だからこそ僕は自分自身が何を求めているのかを見つけるために音楽を聴きあさり、心に響くものを探していた。UKロックは1988年から1989年でセカンド・サマー・オブ・ラブというパラダイム・シフトが起こる、その熱気に直面した時に僕はもう何の迷いもなく飛び込んでいった。以降はもう音楽を追っかけることが生活の中心になってしまうのだが、その直前のタイミングで、自分の言葉も語るべきことも持たず、何かを信じるということが実際にどんなことかもわからない時期だった。ごく普通の10代同様に、自分の求めるものが何なのか掴みかねていた。ただ音楽だけは迷いなく好きだった、そのさきに何があるのか知りたいという好奇心を抑えることはできなかった。僕が音楽から読み取っていたものが何であれ、自分を支えてくれていたのである。そんな状況でも全く不安ではなかったのは世の中が豊かだったからだろう。この頃は何だかよく歩いていた、ひたすら街から街へと歩いていた。音楽と共にその時代の気持ちをもっと思い出してみようと思う。
こう書いてみると、僕はまるでうつむきながら街を歩く文学青年のようだ。しかし実際は今と変わらずバタバタと落ち着きなくあっちへ行き、こっちへ行きしていた。もちろんD'fやザ・スミスに心酔していたけど、それだけではなかった。86年から87年はブルーハーツに衝撃を受け、レピッシュやアンジーを追いかけ、あぶらだこやYBO2を見たりしている。87年にJAGATARAを追いかけた時期についてはここでも書いている。
この時期の音楽以外で印象に残っているのは1986年のチェルノブイリ原発事故を受けて書かれた広瀬隆著『危険な話 チェルノブイリと日本の運命』だ。広瀬隆が出演した『朝まで生テレビ』は1987年4月に放送された。この放送を小さなブラウン管テレビに齧り付いて見たことよく覚えている。この頃から日本でも反原発運動が様々なかたちで始まった。特にライブハウス・シーンでも多くの反原発イベントが行われた。僕は音楽同様に漫画も読み漁っていた、当時一番熱中していたのが狩撫麻礼原作、たなか亜希夫作画『迷走王 ボーダー』と三原順の『ムーン・ライティング』から『Sons』のシリーズ、それから村上春樹の『ノルウェイの森』を読んだのもこの頃だった。
86年から87年は日本でも最初の大きな自主レーベルのブームにあたる。目立ったところではキャプテン・レコードの躍進、ブルーハーツの登場からメジャー・デビュー、バクチク現象など、バンドブームという言葉で広く語られるようになる。もちろんアンダーグラウンドというかライブハウスでは様々なスタイルのアーティストやバンドがライブを繰り広げていた。ニューウェーブ、ゴスのシーンがあり、ヴィジュアル・シーンの源流もあった。ハード・コアは日本独自のシーンを作っていて、その後世界的に広がってゆく。大阪ではアルケミー・レコードがある意味この時代に対するオルタナティブな音源を活発にリリースしていた。D'fが活動していたのはそんな時期だった。振り返ると百花繚乱、どこのシーンもとてもオープンだったと思う。
僕は学園祭のコンサートを企画するサークルに入っていたので、毎年9月から11月は週に2~3日は学園祭のチラシを配りにライブハウスへ通っていた。当時ライブハウスに通っていた人ならわかると思うが、終演後のライブハウスの入り口付近は5~6人、多い時は10人ほどの人がライブのチラシを配っていた。イベンターのアルバイト、ライブハウスで企画をする人、僕らのような学園祭の関係者、それからバンドのスタッフや時にはメンバー自らチラシを配っていた。どちらかといえばレコードにお金を使って、しょっちゅうライブに通えない僕のような学生にとって、チラシはとても重要な情報源だった。出演者の組み合わせやデザインから多くのことを読み取るリテラシーはかなり高かっただろう。そんな思い出を呼び起こす当時のチラシをいくつか紹介したいと思う。僕の友人がこの頃から大量のチラシを捨てずに保管していた、その中から印象に残っているものを掲載する。
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こうして並べてみると実に壮観だ。僕が実際に行ったライブもいくつかあるが、ほとんどはみていない。それでも見覚えある画像がいくつもあるのは、実際に手に取ったものはかなりあったということだ。これ以外にも多くのビート・バンドがいたし、ネオGSやモッズ系のライブも多かった。その全てがオルタナティブな音楽であったことを考えると本当にアンダーグラウンドが刺激的な時代だった。ぜひ一度D'fを聴いてみてほしい。
僕の世代は70年代、80年代を作ってきた世代の最後尾であり、90年代を作ってきた世代の最前線というはざまの世代だろう。89年から90年にかけてイカ天、ホコ天ブームを挟んでライブハウスを取り巻く状況は変化を始め、91年にはもう新しい世代が台頭する。88年から89年もいつか振り返ってみたい。