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追悼 Jose Padilla チルアウトのオリジネイターが遺したもの

KKV Neighborhood #50  Mourning Column - 2020.10.23
by 与田太郎

Jose Padilla(ホセ・パディーヤ)が亡くなった、64歳の早すぎる逝去だった。ここ数年ミュージシャンの訃報が多いけれどダンス系のミュージシャンやDJの多くがまだ現役ということもあり2月のウェザーオールとこのホセの訃報はこたえた。

彼はチルアウトのオリジネイターとしてダンス・シーンでは知らない人はいないDJ、クリエイターだ。アルフレドと共にイビザ発のバレアリック・サウンドの源流といってもいいだろう。僕は96年にホセがコンパイルした『カフェ・デル・マー』を聴いた。当時のパーティーにはアンビエント・ルームやチルアウト・ルームが併設されることも多く、僕は当初、そこはフロアでヒートアップした身体と心をクールダウンする場所という単純なイメージしか持っていなかった。しかし週末ごとに海や山へ行き踊る日々の中、ふとある時、いまここで流れているのはダンス・ミュージックじゃなくてもいいんじゃないだろうか、と思ったことで自分の中のなにかが弾けた。そのタイミングで出会ったのが忘れもしない『カフェ・デル・マー』のvol.4だった。 

パーティー・ライフは僕に自分の求める音楽とはなにか、という大きな問いを投げかけてくれた。以降、僕はジャンルで音楽を聴くことをやめ、自分の心に照らし合わせてリアルな音を探し始めることになる。その最初のガイドが『カフェ・デル・マー』だった。パーティーに行きはじめてから夜明けやサンセットを眺める意味も大きく変化していた。僕はつねに携帯CDプレイヤー(のちにiPodとなるが)とCDを100枚ぐらい収納できるケースを持ち歩き、どこにいても音楽に没頭していた。そのうち茅ヶ崎の海岸にサウンド・システムを運び出し(オールナイトのパーティーだけでなく)日曜日の昼から日没まで海に向かってDJをするまでになっていて、ちょうど今ぐらいの秋の夕暮れをめざしてよくでかけていたものだ。快晴の海は10月後半でも昼はまだ汗ばむほどで、日差しは確実に日焼けするほど強いが3時をすぎ日が傾く頃には肌寒くなる。太陽は伊豆半島の先にゆっくりと沈み、秋の澄んだ空気の先に見える富士山が暗いシルエットとなる。刻一刻とその色を変える空と海に向かい1曲ずづつ音楽を流すのは至福の時だった。

それもこれもパーティーがもたらしてくれた価値観の変化と自分にとっての音楽の探求が楽しくてしょうがなかったからだった。いまとなってはホセのスタイルは一つのジャンルと言ってもいいだろう、それほど彼のプレイは世界を魅了した。しかし、難しいのはそこでもある。彼はスタイルを確立するためにやっていたのではなく、自分に正直に彼の心に描いた世界を表現しようとしていたはずだ。それがシーンの拡大とともに表面的にもわかりやすいスタイルとして広がってしまった。もちろん音楽とはそういったものだししかたないことではあるのだが。彼の南欧的なロマンチズムと哀愁、そしてすべてから自由であろうとする感覚は簡単に真似できるものではなかった。たかが音楽、しかも人の曲を並べているだけ、なのに想像もつかないほど深い表現となることもあるし聴き手に哲学的な思考を促すこともある。それを僕に教えてくれたのはパーティー体験でありホセやアルフレド、ウェザーオール、サシャ、そしてオークンフォールドだった。

僕自身もDJをする時には、いかにとらわれず自由で正直になれるかをいつも考えていた。それこそがホセが一番大事にしたであろう感覚だからだ。しかし自由でいるために幅を広げすぎてJ-POPやロックでフロアが愕然とするという経験も多々あった、それも”幅を広げる”というアイデアにとらわれた結果による空振りである。なにやら禅問答のようだがすべてはとても微妙で繊細なタイミングとバランスなのだ。

数多くリリースされている彼がコンパイルしたアルバムの中からベストを選べと言われたら僕は迷わず『カフェ・デル・マー』のvol.4からvol.6の3枚を選ぶ。そこには96年から98年という時代の空気がまるで琥珀に囚われた虫のようにそのまま閉じ込められている、あの熱い瞬間を体験したものにはわかってもらえるだろう。気がつけばもう20年以上たってしまっている。ホセが伝えようとしたスタイルはたしかに世界中に広がった、けれどあの時に彼がそのプレイに込めた思いはどこへいくのだろう。音楽は時代とともに変化する、それは当然のことだし今の時代のパーティーは今パーティーを必要とする人が作ればいい、しかし時代の分岐点に立ったオリジナイターの作ったものの意味を受け継ぐことは必要なのではないだろうか。いま90年代に起こった数々の出来事の意味を感じ取るにはちょっとした想像力を必要とするようになった。

1998年はじめてカフェ・デル・マーを訪れた。海岸沿いのマンションの1階の小さなカフェのキッチンの端に設置された小さなDJブース、あまりに小さく飾りっ気のない佇まいに驚いたものだ。すでにホセはプレイしてなかったが、DJは日没までの30~40分の短いセットを海に沈む太陽に向けてプレイしていた。その時スピーカーからながれたThe KLF “Last Train To Trancentral (Ambeint Remix)” からMassive Attack “Protection(Brian Eno Remix)”のほんの10分にも満たない時間に風景と音が溶け合っていき、いまこの瞬間は二度と繰り返せないという当たり前のことを強烈に実感した。取り戻すことのできないいまと時間の意味、それは音楽によって知性と感情が結合された不思議な瞬間だった。ホセの音楽に底に流れている喪失感と哀愁はそんなところからきているのだろうか。90年代のシーンが60年代を大いに参照し、60年代を知らない世代がそのイメージや感覚を意識的に取り入れたことで時代の空気は作られたのだと思う。この先いつか新しい世代によるムーブメントが起こる時ホセの音楽がふたたび思い出されるだろう、その時まで安らかに。


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