斉藤正人 (Pervenche) x 佐鳥葉子 (Penny Arcade)対談
KKV Neighborhood #212 Dialogue - 2024.3.19
斉藤正人 (Pervenche) x 佐鳥葉子 (Penny Arcade)対談
進行、構成 by 与田太郎
2022年リリースのPervenche『quite small hapiness』が静かに世界へ広がっている。このアルバムのリリースがきっかけとなり※800 cherriesやClover Recordsのカタログ再発へと繋がった。いろんな出来事の起点となったこのアルバムを紹介してくれたのが佐鳥さんだった。その佐鳥さんのPenny Arcadeも来月35年ぶりの新録の曲をリリースする。斉藤さんもソロのリリース、そしてThe Moment of Nightfallという新しいプロジェクトの音源を完成させたこともあり、20年以上に渡る斉藤さんと佐鳥さんの関わりについてお二人に話を伺った。時代ごとの距離感や現在に至るまでの流れを中心に今後のリリースまでを語ってもらった。
ーまずお二人の出会いについて聞かせてください。
佐鳥 いちおう家で下調べをしてきました。1998年にClover Chat 805というイベントがあって、そこに800 cherriesが札幌から来てライブをするという企画があったんです。その時私はすでに800 cherriesの大ファンで、これは絶対見逃せないと思って行きました。そしたら会場がライブハウスではなくおしゃれなカフェで、そこに変な人が沢山いて、この界隈はなんだろうと衝撃を受けて(笑)。その時に絶対誰かと友達になろうと思ったんだけど、誰も知ってる人がいなくて。それでその後Clover Chat 807かな、その時に ※マコロン・コスで行ったんです。今日はそれを再現してきました(笑)。そしたら※マサコ先生が気づいてくれて、それで友達にしてもらいました。
ーその時に斉藤さんは佐鳥さんが※Penny Arcadeや※Daffodil-19のメンバーということは認識してました?
斉藤 その時は知らなかったんです。
佐鳥 私もClover Recordsは※ルーシー(Lucy Van Pelt / Advantage Lucy)は知っていたんだけど、他の人たちは知らなかったのですが、チェリーズが来るなら行ってみようと思って。そしたらこれは大変なことになってるな、と思い(笑)。
ーなるほど。佐鳥さんは日本のインディー・ポップの先駆けとなった集団にいたじゃないですか?
佐鳥 集団というのかはわからないですが、ほんの一部の人たち。
ーある意味Penny Arcadeは先行世代と言えると思います、その世代のアクションがあって90年代中旬の斉藤さんたちの動きに繋がるとは思います。でもシーンも世代もそれほど離れていないお二人が出会うのが98年なんですね。
佐鳥 たぶんTaraiくんや※小出さんはCloverの音源も聴いていて、いろいろ教えてもらっていたところに出てきたチェリーズがドストライクで、それからです。その後※Smilyや※Pervencheを聴いたらめちゃくちゃ良くて、そこからイベントにもよく行くようになったんです。
斉藤 90年代後半だとCloverも最初の時期からは世代交代していて、設立当時の人たちは就職したり生活が変わってしまってあまり付き合いがなくなってしまうんです。その中で宅録ではなく、バンドでの活動をしていた人たちが続けていくんです。チェリーズは名古屋の※Galaxy Trainとかも気付いていて、たまたまファンジンを作っている人が紹介してくれたんです。聴いたらすごく良くて、すぐに連絡をとって。佐鳥さんが初めて来てくれたイベントはビデオを撮っていて、最近その映像をデジタルに起こしたんです。チェリーズの貴重なライブ映像なんですが、客席に佐鳥さんっぽい方が写ってるんですよ。
ー不思議なものですね。僕も含めてですが、それぞれがそれぞれのルートを辿っていまここに一緒にいるという。僕は佐鳥さんにPervencheの『quite small happiness』を教えてもらってからの流れなんですが。お二人の出会いにも前史がありながらクロスしていきますね。それぞれ独自のやり方で音楽をたどっていますけど、共通項がつながって同じ場所にいるんですね。それは多分sugar plantなんかも近いものを持っているようなきがしますね。つまり80年代、10代の頃に音楽に見つけた何か、自分でもやってみたいとか参加したいと思わせてくれたものには共通点があると思います。
佐鳥 そうですね。
斉藤 もし僕らが同じような地域で育っていたらもっと早く出会っていたでしょうね。僕は社会人になってから東京にきたので、それまでは同じような趣味の人との接点がないんですね。それでも聴いてくれる人は各地にいて、でも交わるきっかけがなかったんです。
ーそれと同じようなフィールドにいるような気がしていても、実際はそうでもないことも多いですね。いまになってようやく同じような何かに惹かれていたんだなということがわかります。かなりの時間が経過しましたが。
斉藤 そうですね。
佐鳥 仙台の※red go-cartも昔から知り合いだったけど、どんどん近くなって、いま一緒にバンドをやっていたりするし。インターネットのおかげということも大きいんでしょうけど。名古屋のギャラクシーもそうですね。
ー普通に考えると僕はどちらかというと異分子というか、異質な存在だとは思いますが、考えてることや感じていることは近いだろうなという感覚はあります。ここにきてそういうことに気がつきました。
斉藤 続けてきたというのも大きいと思います。
ーそれは本当にそうですね。音楽を手放せないということなんですね。
斉藤 そうですね。
佐鳥 Pervencheの1枚目、『subtle song』は2001年に出てるんです。それまでライブでは何度も見ていたんですけどPervencheの曲の凄さに気がついてなかったんです。改めて作品になって聴いたら凄くて、何曲かカバーしたかったんですけど、バンドのカラーが違うとかいろいろな条件が合わなくてできなかったんです。結局2019年の※Smokebeesの解散の時に企画ユニットのような形でやらせてもらってわかったんですけど、斉藤さんの曲のいかようにもできる凄さというか、根源的な曲の強さを感じました。あとマサコ先生のデザインのジャケットもとても良くて。Daffodil-19の3枚目はCloverから出そうと勝手に決めて、ジャケ絵も描いてもらいました。
ーDaffodil-19をCloverがリリースするまでの流れを教えてもらえますか?
斉藤 それはマサコ先生ですね。もちろん僕もそのアルバム以前にリリースされていた音源も聴かせてもらってから、録音が終わっていた『circuit』を聴いたんです。その時に、これはうちでいいのかな?と思いまして。それはマサコ先生も言っていて。こんなにちゃんとしている人たちを出していいのだろうかと(笑)。
佐鳥 私たちも2枚目を出した後だんだん音楽性も変わっていって、Elephant 6 系とか、全部スタジオで録音するのではなく、宅録まではいかないけど自分達でできることはやろうと思っていて。そう思った時にCloverしかないと(笑)。この変な感覚をわかってくれるのはCloverしかないだろうと(笑)。パッケージも圧倒的にいいものになるだろうと思ったし、結果とてもいいものができました。これは宝です。
斉藤 佐鳥さんがライブにいつも来て下さっているのはわかっていたんです。いつも小さなところでやっていたので、Daffodil-19のようにちゃんとしたバンド編成の方々にはなかなか声をかけられなくて。
ードラムを入れるのがひとつのハードルだったんですね。
斉藤 ドラムもそうですし、ギターの音量もです。
ーアンプでの大音量では鳴らせなかったんですね。
斉藤 そうです。
佐鳥 Cloverのイベントは荒川線を貸し切って中でライブをやるとか、何をやるかわからないけど行ったら絶対面白いだろうというイベントをいつもやっていたんです。だからとりあえず知らないバンドでも行ってみようと(笑)。
斉藤 そうですね、レーベルが動いていたころはけっこうな頻度でイベントもやっていたんです。夜どうしだったり、2フロア使って上と下とか。
佐鳥 ハプニング的なものも期待していたのかも(笑)。
斉藤 Cloverのファンの方々でインディー・ポップだけが好きという人はあまりいなくて。ちょっと擦れたというか、普通じゃしょうがないよ、という人が多くて。
佐鳥 前に※高橋さんと斉藤さんの会話で「みんなCAN好きでしょ」って言っているのを聞いて、「みんな」は違うのでは?とひそかに思ってました。
斉藤 そうですね、僕らはCANはまずデフォルトで(笑)、皆も当然好きですよね?と(笑)。
ー僕はその感覚もわかります、90年代後半からダンス・ミュージックに飛び込んでいたので。97年、98年あたりはダンス・シーンでもCANの再発見がブームになっていました。CANのような感覚を取り入れたいというのはダンス・シーンだけでなく、インディー方面でもあったというのは納得できます。
斉藤 そうですね。僕らがファンとして60年代や70年代の音楽を聴いてきて、その感じを自分たちの感覚で表現したいということだったんだと思います。年配の人たちの音楽としてではなく、自分の世代のものとして発見していたんじゃないでしょうか。
ーそうですね。僕らは80年代に10代を過ごして、パンク以降の洋楽に大きな影響を受けたわけですけど、なにもずっと同じものばかりを聴くわけではなくて。特に90年代のように音楽シーンの変化が激しくなると、いくら聴いてもそれぞれ自分の知らないところに何があるんだろうって探しますよね。僕もそれまでまったく聴いていなかったPINK FLOYDにハマったのがこの時期だし、周りのミュージシャンたちもCANやFAUST、NEUを聴くようになって。それでSTEREOLABのサウンドの感覚に繋がっていったり。
斉藤 あと僕は音楽的な影響は受けていませんがYMO世代なので、音楽を情報として捉えるというところではYMOの存在が大きかったんじゃないかと思います。彼らの活動のおかげで普段だと耳にしないような音楽に触れる機会が増えたんだと思うんです。普通はNHKのラジオで紹介されないような音楽を紹介したり、それは大きかったんじゃないかと。民族音楽なんて普通に暮らしていたら聴かないですよね。音楽に対してオープンになれる機会をそういう方々に作ってもらったと、特に地方に住んでいるとよりそう感じます。
ーそうですね。80年代はレコードショップも新しい音楽を紹介することに熱心でしたね。それがひとつのガイドであるというか。いまほぼすべての音楽にアクセスできるけど、それだと逆にアクセスできないかもしれないですね。
佐鳥 ※ジャニスのレコードの裏のコメントですね。
ーそうですね、リスナーのコメント。
佐鳥 この人がコメントを書いてるからなにかあるんじゃないかと(笑)。
斉藤 マサコ先生も通ってたって言ってました。
佐鳥 やっぱり。
ーDaffodil-19のアルバムは2002年ですか?
佐鳥 2003年です。
ーそのころ佐鳥さんは何を聴いてました?
佐鳥 2003年、ぱっとでてこない。
斉藤 エレクトロニカとかじゃないですか?Mouse On Marsとか。
佐鳥 ベルセバの初期とか。
ーそうですね。
斉藤 スリルジョッキー系とか。
ーそうですね、アメリカではオルタナティブなインディーがひとやま超えて、イギリスではブリットポップが終わり、RADIOHEADが『Kid A』を出すあたりですね。
佐鳥 むしろアメリカの方が面白くなっていたかな。
ー日本はどうだったんですかね?
斉藤 僕は2000年以降になるとそれまで聴いていたものを聴かなくなってしまったんです。全然聴いたことのないものばかり聴くようになったんです、それこそ古いジャズとか。それでその時期が抜けてます。
ー僕は2000年代前半、とくに2006年ぐらいまでが自分が大きく反応できるものがなくなっていて。世間的にはArctic MonkeysやWhite Stripesが出てきてロックはまた盛り上がるんですけど。僕もあまり印象に残るものがない時期かもしれません。
佐鳥 Clienteleはその頃ですよね?
ーそうですね。
斉藤 僕は最近教えてもらって知りました、Pervencheに似てるって。当時はまったく知らなかったです。
ー2000年代の前半は一番ダンス・カルチャーにハマっていた時期なんですが、そこにはチルアウト文化というか、クラブやパーティーの対極なんですが裏表のような世界というかシーンが存在していました。そこではLeonard CohenやLou Reedをチルアウトとして聴くことで再発見する機会がありました。それこそPat Methenyなんかを本気で好きになってしまって、若者向けのロックから一気に離れてしまって、むしろ自分が過去に聴いてきたもの、たとえばDavid Bowieなんかを再発見したんですね。
佐鳥 2013年ごろまでの10年間は仕事が忙しすぎて記憶がないんですよ。激務すぎて週末ですら何かしようという気にならなくて、本当に余裕がなかった。
斉藤 僕も同じです、それですね。興味が変わったこともありますが、なによりも仕事が忙しすぎました。
佐鳥 30代中旬から40代後半がいちばん大変な時期でした、そのあと走り始めて。
ー佐鳥さんがランニングを始めたきっかけはなんですか?
佐鳥 これ言っていいのかな、Galaxy Trainの梅木さんがランニングにハマっていて、梅木さんがとりあえず10キロのレースにでてみようって誘ってくれて、その後、東京マラソンにあたちゃって。
ー10キロのレースに誘われた時に走れるかどうか考えませんでしたか?
佐鳥 梅木さんが先輩としてトレーニングのやり方とかを教えてもらって。
ー自分のチューニングの仕方や準備なんかを。
佐鳥 そうそう。でも走る時の音楽にYo La TengoやGalaxie 500なんかを2時間ぐらいのプレイリストを作って、それはそれで楽しかったですよ。
ーDaffodil-19のアルバムが2003年に出て、そのあとぐらいからCloverは止まってしまうんですか?
斉藤 そうですね、そのあと2~3作CDを出してフェードアウトします。
ー再始動するのはいつ頃なんですか?
斉藤 記憶が曖昧なんですけど、Pervencheとしては2007年に高橋くんが参加してライブをやってるんです。そのちょっと後に僕と高橋くんと二人で※Rocky Mountain Broncos Powerという名義でライブをやってるんですね、そういう感じで少しづつですかね。
ー高橋さんが東京に出てきたのはいつですか?
斉藤 2000年あたりじゃないかな。それまでは彼が上京すると会うぐらいでしたけど、東京に来たことで一緒にやるようになって。
佐鳥 その頃かちょっと前ぐらいにPervencheのライブにいったら、あれCherriesの人じゃない?って、でも違ったらどうしよう(笑)、みたいに見てました。マサコさんとはしゃべるようになっていたんですけど、斉藤さんとはあまり話さなかったですね。
斉藤 最近配信で出したライブでは元のメンバーもいながら高橋くんにも参加してもらって。
佐鳥 このライブは行けなかったんですけど、この後のもうちょっと静かになった頃には行ってます。こんな感じになっているとは知らなかった(笑)。
斉藤 けっこうその感じが楽しくてしばらくやっていました。
ー2000年以降震災直後までの10年ぐらいはいったん地下に潜っていったんですね。
佐鳥 私は外を走っていました(笑)。
斉藤 Pervencheのギターをやっていた川田くんというソロでSmileyをやっていた彼も実家に戻ってしまって。でもその後また東京に来て店をやっていて、スペイン料理の店なんですけど。みんなそれぞれに生活が変わったタイミングですね。
佐鳥 その頃はまた音楽をやるなんて思いもよらなかった(笑)。
ーそうですね、僕自身もロックをリリースするようなレーベルをまたやるとは思ってなかったです。ただもう音楽は趣味でいいぐらいに思ってましたから。だからキリキリヴィラを始められたのかもしれないですね。初めから仕事だと思っていたらできなかったと思います。
佐鳥 与田さんがキリキリを立ち上げてPenny Arcadeの再発を提案してくれたのが(2016年よりも)2~3年前だったら、忙しすぎて無理だったと思います。
ータイミングがよかったんですね。
佐鳥 ちょっと楽になってあれこれ聴き出した時期だったんです。
ー2015年、2016年あたりでもういちど音楽に向き合い出した感じはありますね。
佐鳥 震災からしばらくはダウンだったし、2~3年してようやく気持ちも戻ってきたというか。
斉藤 そうですね。
ーそこからもう一回りして、なにかが形になったのが2022年から現在あたりなんですね。
佐鳥 斉藤さんと私が仲良くなるきっかけがコロナなんです。それまではそんなに話をすることも無かったんですけど、コロナ禍で外に出ることができなかった時に私とred go-cartでよくZoomお茶会をやってたんです。そこで斉藤さんがやっているプロジェクトがおもしろいよって話になって、そうこうしているうちに斉藤さんからソロの曲でコーラスをやってほしいって連絡があって、1曲ぐらいならいいかなってOKしたら1曲では終わらず気がついたらガッツリやっていて(笑)。
ースムーズに流れて行ったんですね(笑)。
佐鳥 なんか歌詞書いて、とか(笑)。
斉藤 僕の癖みたいで、ぐいぐい行って。
ー斉藤さんは作るのが好きなんですね、それでいて邪心がないから自然に巻き込まれてしまうんですね。
佐鳥 それがまた曲がいいんですよ。「私、いま忙しいんだけどこの曲いいな」って思って。
斉藤 ほんと勝手なんです、朝の4時とかにメール出したりして(笑)。
佐鳥 基本的に朝なんです。
斉藤 寝るのが2時ぐらいなんですけど、4時に目が覚めて(笑)。
ー佐鳥さんに僕がPervencheのアルバムがいいよって教えてくれたのがちょうど2年前の今頃なんですけど、『quite small happines』はもうカセットでリリースされてましたね。
斉藤 そうです、2020年の秋ぐらいでした。
ーPervencheはその頃ライブをやっていたんですか?
斉藤 ライブは年に1回ぐらいです。Galaxy Trainの企画か自分達の企画、もしくはマサコさんとred go-cartと佐鳥さんでやっている※Melody Catですね。
佐鳥 七針なのでキャパ50の小さな企画です。
ー音楽好きの友達の集まりですね。
斉藤 『quite small happines』もリリースしようと思って作ったわけではないんです。高橋くんと二人で曲を書いていたんですけど、Pervencheでできそうな曲ができたので、せっかくなんで録音して。自分達が聴くためで、ライブで配れたらいいぐらいの気持ちで録音を始めたんです。そしたらGalaxy Trainの梅木くんがセカンドを出したいってずっと言ってくれてたのを思いだして。
佐鳥 10年以上言ってましたよ。
斉藤 そういえばそんな話をしてたなと思って、それでリリースになっていろんな人に聴いてもらえて。
ー作りたいから作ってたんですね。そういう時にしか宿らない特別な何かがすっと入っているような気がします。佐鳥さんからアナログでどうですか?と言われ。
佐鳥 これは友達だとかは置いておいて、凄い音源だなと思ったんです。これを眠らせたら行けないと思い、与田さんなら理解してもらえるかもと思って。そしたら即反応があったので、やっぱりなと(笑)。
ーほんとうにその通りで、何よりも狙いが無いというかそのままの音楽だったということが良かったです。それは作る上で一番難しいことだと思います。みんな音楽をつくる上でリリースが前提だったり、聴いてもらうための狙いがあったり、それは悪いことではないですが、どうしても音に何かが出ますよね。『quite small happines』にはそれが無かった。それでもアナログをリリースするのは博打でしたけど(笑)。好きなら自分が聴いていればいいじゃないか、みたいな自問自答も正直あって。でもこのアルバムを出すことで広がる何かがあるような気がしたんですね。それが800 cherriesやCloverの再発に繋がったんですけど。キリキリヴィラにとっても意味がありました。
斉藤 そうであれば良かったです。
ー『quite small happines』が持っているものがなんであるかはすぐには言語化はできなくて、お店用のインフォメーションも苦労しました。実際発売になっていろんなショップが取り扱いをしてくれて、さらに中国のレコード・ショップが何件もオーダーしてくれたりして、時間はかかるけどちゃんと届くんだということを実感しました。
佐鳥 ライブには台湾からのお客さんも来てますよね。
斉藤 そうですね。
佐鳥 カセットだと届く範囲が限定的だけど、アナログ化したことですぐには売れなくても10年後とか20年後にこれを発見して、これはなんだ!って驚いてまた音楽始めちゃう人がいるんじゃないかと思って(笑)。
斉藤 そういうのは嬉しいですね。
佐鳥 斉藤さんの曲の強さというのがあって、ミキちゃんが全然違うアレンジでやってもよかったり。Velvet Underground以前のLou Reedの曲の強さというか、本人を前にして言うのも変なんですけど(笑)。それくらい凄いのではないかと時々思うんです。だからPervencheのアレンジもいいけど、他の人がまったく違うアレンジでやっても成り立つ強さがあって、それはCherriesにもいえるんですが。
ーそれは良くわかります。斉藤さんと高橋さんは本当にいいコンビですね。ライブを見ていても、なんともいえないコンビネーションを感じます。
斉藤 なかなかこういうバンドもいないでしょうね。
ーそうですね。長い時間をかけて静かに続けてきたからこそできていることもあるかもしれないですね。
佐鳥 『quite small happines』はパッと聴くと、まず音響的な部分が入ってきていいなと思うんですけど。それ以上に根本の曲が凄いというか。
斉藤 出来上がってしまうと自分で作ったという感じがないんですよ。昔からあった曲なんじゃないかな、みたいな。そのぐらい自分からは切り離されている。
佐鳥 「Earl Grey Tea」なんててっきり違う人の曲だと思い込んでたんですよ、めちゃくちゃいいなと思って自分でも歌って。そしたらこれは斉藤さんの曲なんだって、気が付いて(笑)。
斉藤 red go-cartのトモミさんにも言われたことがあって、Pervencheの前身※Peatmosの曲がまさか僕がつくってるとは思わなかったみたいで、最初知った時は嬉しいけどショックだったって言われて(笑)。いまもそんなに人相はよくないですけど、昔はもっと癖があったんでなおさらそういう印象があったんでしょうね。
佐鳥 若い頃の斉藤さんは喋りにくいところがありましたから。
斉藤 そうなんです。
佐鳥 マサコ先生と話していたらPervencheと私の間のコミュニケーションはとれるからいいかなみたいな感じで。
斉藤 そうですね、自分でも最近はずいぶん社交的になったと思います。
ーコロナの間に佐鳥さんは弾き語りの曲を録音したりしてましたね、あれはとくに何も考えずにやっていたんですか?
佐鳥 好きなフォークソングとかを弾けるようになったらいいなぐらいの気持ちで、それぐらいでいいと思ってたんです。そうこうしているうちコロナの時期に突入してやることがなくなったので※ミキちゃんにギターを教わりながら、なんとなく斉藤さんのグループにはいってしまって(笑)。そこでみんな宅録やってるから私もやろうかなって。みんな教えてくれるし。とにかくみんなアップしてくるので、じゃあ私もつくりましたって(笑)。
斉藤 それでできてきた曲が素晴らしいですよね、ギターも僕より上手なんです。
ーそうですよね。佐鳥さんも斉藤さんと同じで、昔からかわらない何かが意図しないところにふっと出てますよ。それを聴いて、何かの形でリリースしたいと思ってたんです。でもまさかPenny Arcadeが再始動するとは思わなくて。
佐鳥 私も思って無かったんです。
ーその経緯を教えてもらえますか?
佐鳥 そもそも2016年の再発と2017年のライブでPennyは終わったと思っていたんです。それからコロナがあってミキちゃんに誘われてまた音楽をやり始めたりして、音楽っていいなと思っていた時に※Velludoから対バンやりませんか、というオファーがあって。沖野くんと小山田くんからの誘いは断れないなって。ただ、もう一人のギターが引退したいということで、サイドギターをどうしようかと思ったときに無謀にも自分で弾いてみようと思って。その時点でカッティングもできなくて、あわててテレキャスターを買いました。
ーなぜテレキャスターだったんですか?
佐鳥 もともと※EBくんのカジノを家で弾いていたんですけど、スタジオに入って大きな音をだすとハウリングがすごくて、ひとりメリーチェインになってしまって。それでハウリングの少ないギターにしようと思ってテレキャスターになりました。
ーストラトキャスターやジャズマスターでは無かったんですね。
佐鳥 クリッシー・ハインドがテレキャスターなので(笑)、あまりそれぞれの特徴を考えずに決めてました。
ーPenny Arcadeのライブが決まったのが1月なので7月のライブまでの半年で練習して。
佐鳥 2月に自分のソロのライブが決まっていたので、それが終わって3月からピックでのカッティングをはじめて、泣きながら練習してました(笑)、素振り100回みたいな(笑)。朝10時にスタジオに入って※石田くんに教えてもらったり。7月のライブが終わったあとに、これまで録音してなかった曲があったので、ライブの度に構成を思い出すのも面倒なので録音しちゃおうとなって、それで録音をはじめたのが秋でした。
ーそれがようやく終わったんですね。
佐鳥 そうです。その間にギターも上達しました。
ー今年の1月にFEVERのライブを見たとき、Velvet Underground的なものを感じてバンドが原点にもどっていると思ったんです。なにか意図的なことはあったんですか?
佐鳥 たぶん繊細なギターが抜けたことで細かいことができなくなって、石田くんもそんなにソロを弾くようなタイプじゃないから、それでじゃないかな。
ー絶妙のバランスだったと思いました、こういう音にするという意志があるというか。なりゆきとは思えなかったです。
佐鳥 なりゆきと巻き込まれです(笑)。これから私が上達できたらもう少し違う感じになると思います。
斉藤 これから更に期待ですね。
ー音作りはとても的を得てると思いました。ツインリバーブからの出音に意志を感じました。
佐鳥 参考書的なものも読んで、あとミキちゃんとかに聞いて。
ーアドバイザーがいるんですね。
佐鳥 もちろんです、私のまわりの宅録好きのLineグループです。
ー石田さんはJCなので、もしかしたら佐鳥さんにもJCが必要かと思ったんですが。
佐鳥 スタジオにJCが一台しかないので、私はマーシャルかツインを使うしかないんですが、マーシャルはないのでおのずとツインになりました。音もツインが好きです。
ー5人編成のPenny Arcadeとはあきらかに違う音でした。ヴェルヴェッツ・チルドレン的なものを感じて、とても新鮮でした。
佐鳥 けっこう腹括ってやりました(笑)。
ー小出さんのように昔から見てる人たちにとってもとてもフレッシュに聞こえたんじゃないでしょうか?
佐鳥 前回の時と違ってできる範囲でやらないといけないので、とてもロックよりになってます。
ーそうなんです、それが新鮮でした。R.E.Mが出てきた時や当時のTHE FEELIESはこんな感じだったんじゃないかなという。
佐鳥 そうなんです、Velvet Undergroundの『Loaded』やTHE FEELIESを聴きながらアレンジしていたので。
ーLou Reedの『NEW YORK』を思い出しました。4月のライブも楽しみです。
ーThe Moment of Nightfallについて聞かせてください。
斉藤 まさにコロナの時期に僕はソロでカバー曲を録ったり、佐鳥さんの曲を手伝ったりとお互いにデータのやりとりをしていたんです。コロナからウクライナの戦争があって、あまり幸せでない状況が続いたじゃないですか。たまたまその時にできた曲があって、なんとなくそういう状況が気になって、歌詞がなかったのでそれをみんなに送って、いいねって返ってきたら、じゃあ歌をいれてよ、という感じで。それを毎週やっていて。
佐鳥 みんなそれぞれの自宅で音を入れて斉藤さんに返すと斉藤さんから仮ミックスがくるんです、それもむちゃくちゃ良くて。そうすると、みんながこういうの入れていい?みたいに反応して。そうやってトラックが増えていってそれを斉藤さんがミックスするという流れで。
斉藤 まったく決め事なしで進めて。僕はクリックもつかわないのでテンポも一定じゃないんです。
佐鳥 斉藤さんのアコギだけから、みんなそれぞれ音を足していくんです。
斉藤 そうやって返ってきたのをミックスして、それにまた音が送られてきて。
ーそれはもうセッションですね。
斉藤 そこもうちょっとこうして、みたいなことは一切言ってないんです。もう自分の斜め上をいくものが返ってくるので来たままを受け入れて(笑)。
ーそれは楽しいですね。
斉藤 素晴らしいですよ。
佐鳥 凄いですよ、なんて言ったらいいんだろう。
斉藤 僕の中では讃美歌プロジェクトと名付けていて、よくないことが続いているので、少しでも気が楽になるように。
佐鳥 とても敬虔な気持ちになります。ぜんぜんそういうキャラの人たちではないんですけど、斉藤さんが投げてくる曲がよくて返すとさらに良くなって返ってきて、最後にミキちゃんが素晴らしいギターを入れてくれて、全員泣いたという。
斉藤 そういうプロジェクトなんです。最初にできた4曲が4年ぐらい前で、その後もやりとりを重ねて、またみんなが忙しくなった時期を過ぎたあたりで4曲完成して、トータル8曲になりました。
ーそれは楽しみですね。
佐鳥 Pennyの最終ミックスとThe Moment of Nightfallの最終ミックスが同じ日に来て、まったく違う音楽だからすぐに聴けなくて。1時間ぐらい散歩して頭を切り替えて聴きました。
斉藤 そういう、人の事情に無頓着に行動するので。
ーそれは普通そうですよ。発売は夏ぐらいですか?
斉藤 そうだと思います。まさかここまで良いものになるとは思ってなかったんです。これはいろんな人に聴いてもらいたいです。Pervencheではもっと控えめになるんですが、この作品は他メンバーの要素も多いのでより聴いてもらいたい、みんなのためにも(笑)。
佐鳥 たぶん参加したみんなが自分以外のものと思っているので気負いがないんです。そういう偶然の積み重ねで出来たものですね。私にとってはミキちゃんの存在が大きいですね。25歳も離れているからいろんなことを素直に聞けるので。
ーそうですね、彼女はこのシーンの中でも特にミュージシャンシップが高いですね。もちろんプレイヤーとしてのレベルもですけど。
佐鳥 しかもいろんな音楽に精通しているので。
斉藤 ただものではないですよ、本人が全く自覚してないですけど。
ーいったいいくつぐらいのバンドに関わっているんでしょう?
佐鳥 両手では足りないですよ。
斉藤 実際の音は違いますけど、ジャズ・ミュージシャンのようですよね。いろんな人に呼ばれて弾いて、ちゃんと自分の表現をして。こういうことしかできません、というのがない。
佐鳥 ※THREE BERRY ICECREAMとBOAR HUNTERに共存できる。
斉藤 かといってスタジオミュージシャン的なこなし感は無いですし。
ー参加してるグループに対する愛情は常に感じます、不思議なキャラクターですね。
斉藤 最初に会ったのは仙台で企画されたMelody Catです。その時に「普段はSmokebeesという二人組なんですが、今日は一人です」ってギターを弾いて歌って。凄いなと思って、どういう人なんだろうと思って。
ーそれは何年ですか?
佐鳥 2017年です、それがきっかけになってPervencheがまた動き始めたんですよね?
斉藤 そうなんですよ。もう一度何かやったほうがいいんじゃないの、という意図でMelody Catへ連れていかれたんです。
佐鳥 私もSmokebeesがあまりに好きすぎて、おっかけのように名古屋とかまで行ってたんです。それほど好きなバンドが解散するので何か一緒にやってほしいと彼女に言われたことが音楽を再開するきっかけになってます、それが2019年です。
斉藤 本音をいえばSmokebeesはもう少し続けて欲しかったですね。あの奇跡的な1枚というのもいいんですけど。
佐鳥 Smokebeesが続いていたらこの作品は無かったかもしれないし。私はいいタイミングでミキちゃんに会えて良かったと思う。
斉藤 僕は今回の作品を一緒にやれて良かったです。それこそジャズじゃないけど、交差する一瞬じゃないですか。それでいいと思うし。
佐鳥 そう、The Moment of Nightfallはジャズ的ですね。こう来たらこうくる、みたいなやりとりで作っているし。
斉藤 さっき曲のアレンジについての話がありましたけど、曲って完成形はひとつじゃないんですね。もちろん焼き直し的なことではつまらないんですけど、そうではないアプローチもあるし。ライブでも失敗も含めそれでいいじゃないというのがもともと僕にはあって、それをわかって一緒にやってくれる人はそんなにいないんですけど。なので普通のバンドはできなかったんです。
ーよくわかります。話が通じる相手は大切なんだといまさら思いますね。
佐鳥 BPMも安定しないし、1曲通してテンポが一定と言う曲もないし。
ーそれはやりにくくないですか?
佐鳥 The Moment of Nightfallでライブはやってないので。
斉藤 僕はテンポが一定でないことを気にしないので。Pervencheでも高橋くんが隙間を埋めてくれてます(笑)。不快になるほどずれると音楽として成立しなくなるんですけど、テンポが一定ではない音楽の良さってあると思っていて。ハイハットを入れてないのはそういう理由なんです。刻まないと間って自由なんです、それは自覚的にやっているんです。
ーハットをいれない、それは斉藤さんのアイデアなんですね。
斉藤 だから普通のドラムが好きな人は、Pervencheのアレンジは好きじゃないと思います(笑)。
・800 cherries
1994年に結成された札幌のバンド。マルフジマナミとタカハシマサユキのユニットとして、Clover Recordsからアルバムをリリースしている。昨年、KiliKiliVillaからカセットテープとアナログ盤が再発され、再評価が高まっている。
・マコロン・コス
pervencheのVo. 長井雅子の飼っている足袋猫(白黒の猫)の名前が「マコロン」。pervenche 2nd Albumのジャケモデル猫でもある。佐鳥がVネックのカーディガンと白い手袋、白い靴を履いたことから「マコロン・コス」と一部で呼ばれている。
・マサコ先生
pervencheのVo. 長井雅子のこと。本業はデザイナーでClover Recordsのアートワークを一手に担い、アイデアに溢れる美しいパッケージング多数。一時期、Clover Recordsは7"シリーズが渾身のシルクスクリーンであった。愛猫家。
・Penny Arcade
石田真人、佐鳥葉子を中心に結成された日本最古のネオアコバンドの1つ(非公認?)。2016年のKilliKilliVillaからのCD再発を受け、活動が活発になってきている。4月には7"をリリースし、Sugar Plantとの2マンが4/27に予定されている。
・Daffodil-19
Venus Peter解散後に石田真人の未発表曲を演奏するために結成。Clover Recordsからリリースされた"circuit"はex-Bridge, Pateの大橋伸行プロデュース。CR Mackintoshを彷彿させる美しい水仙の絵は長井雅子によるもの。
・ルーシー(Lucy Van Pelt / Advantage Lucy)
現Advantage Lucy。Lucy Van Pelt時代にClover Recordsからカセットテープをリリース。このころのClover Records周辺を知るには、名盤"Pop Jingu Vol.1"(V.A.)を中古CD屋で探して聴くとよい。
・小出さん
元英国音楽主宰の小出亜佐子のこと。英国音楽Vol.9にPenny Arcadeのインタビュー記事を載せている。当時、雑誌の「おひさまひろば」というコーナーでRed Go-CartやClover Recordsの作品も紹介していた。佐鳥は大学の先輩でもある。
・Smiley
1996年に川田通雄のソロユニットとしてスタート。初期~中期Clover Records代表的なアーティストとしてリリースを重ねる。敬愛する太宰治からの影響が色濃く表れた、縦書きTextのOfficial Home Pageは残念ながら今はもう見れない。
・Pervenche
Clover Records創設者である齋藤のバンド。メンバーチェンジを経て、現在の4人で録音した2nd Album "quite small happiness"がGalaxy TrainとKiliKiliVillaよりリリースされる。ネコサイケ。
・Galaxy Train
昨年25周年を迎えた名古屋の老舗Indie Popレーベル。pervencheの2nd アルバムをはじめ齋藤が携わる最近の楽曲を全てリリースしている。Clover Recordsからリリースしていたアーティストの多くがGalaxy Trainからもリリースがある。
・red go-cart
仙台、横浜?、三重のメンバーからなる遠距離疾走系シューゲイズ風アノラックバンド。Clover Recordsからリリースされ長らく廃盤でプレミア価格で取引されていた1st, 2ndアルバムも2023年にKiliKiliVillaからカセットテープで再発された。
・Smokebees
Sparklehorseの歌詞からバンド名を名付け、Taku SudoとMiki Hiroseによる宅録ユニットとして2016年に結成。惜しくも2019年に解散するが、最後のライブで佐鳥を含めた3人でSmokebirdsを1度限りで結成。
・高橋さん
前述、800 cherriesのメンバーでもあり現Pervenche g.のタカハシマサユキのこと。2000年から東京で活動を開始し、盟友サイトウマサトと終わりのない音楽活動を続けている。立体的な音像を作り上げることができる。
・ジャニス
お茶の水にあった老舗のレンタルレコード・CDショップ。国内外のマニアックな品揃えに定評があり、「タモリ倶楽部」の空耳アワーの音源を借りていた店としても有名(店内に応募箱もあった)。惜しくも2018年に閉店。
・Rocky Mountain Broncos Power
pervenche サイトウマサトのソロプロジェクトとして1995年に宅録音源をコンパイルしてClover Recordsからリリースしたことが始まり。2019年にGalaxy Trainから新譜をリリース。密室ひきこもり型エクスペリメンタル・フォーキーポップ。
・Melody Cat
愛猫家という共通項を持つRed Go-Cartとねこみみ編集部が主催するライブイベント。だいたい1年に1回くらいのペースで開催中。出演者(もしくは関係者)が夜鍋をして製作するスーべニャーという名のお土産がつくお得なイベントでもある。
・Peatmos
Pervencheの前身バンド。サイトウマサト以外はメンバー交代をしている。PervencheでもPeatmos時代の曲を演奏している。2024年3月、25年の時を経て編集盤"Watching Us With Archaic Smile"がCDでリリースされた。
・Velludo
1980年代後半、Lollipop Sonic, Venus Peter前夜に結成されたネオサイケバンド。オリジナルメンバーで2023年7月に一夜限りの復活。チケットは即完売、対バンが同時代に活躍していたPenny Arcadeであった。
・ミキちゃん
呼吸、Red Go-Cart、With Me!など10以上のバンドを掛け持ちするギタリスト、廣瀬美紀のこと。h-shallows名義でソロ活動も行なっている。知っている音楽の幅の広さからしばしば年齢詐称を疑われることがある。
・EBくん
元Bachelors, RoofのVo.&G. 佐々木光紀のこと。2003年に他界。Penny Arcadeの石田が譲り受けたギターを佐鳥が借りて愛用している。Penny Arcadeのライブ企画"Out Of The Blue"はRoofの1st Albumタイトルより。
・石田くん
Penny Arcade、Venus Peter、Daffodil-19のギタリストである石田真人のこと。個人名義はThecla-P。佐鳥との出会いは85年Aztec Cameraの来日時で、その年のクリスマスの余興で結成されたのがPenny Arcadeである。
・THREE BERRY ICECREAMとBOAR HUNTER
Three Berry Icecreamのネオアコ~ソフトロックから、Boar Hunterのスピード感のあるエレクトロニカ~アンビエント、ロックまでミックスされた音楽まで、廣瀬が携わる音楽の振り幅の大きさを表した例。
2017年の復活から少しづつ活動を再開してきたPenny Arcade、35年ぶりとなる新曲が4月18日に7インチでリリース。
4月18日発売
Penny Arcade / Land of Glacier
KKV-168VL
7インチ+DLコード
1,980円税込
収録曲
Side A : Land of Glacier
Side B : Norma Jean
レーベル予約はこちら
Land of Glacier配信スタート
https://big-up.style/LYzZvldKfs
Coming Soon!
Fragment of Tomorrow (Extended Edition) / Masato Saito
Pervencheで活動するサイトウマサトのソロ名義でのリリース作品。
2020年の晩春、コロナパンデミックの頃。60年代から80年代中期迄のフェイバリットソングをアコギと歌に少しだけパーカッションを重ねて録音。
教会で歌う讃美歌をイメージしたミックスは安らぎとは裏腹に白昼のモノクロでサイケデリックな音像に。
カバーしたアーチストはブライアン・イーノ、クラフトワーク、ニック・ドレイク、シド・バレット、アーサー・リー・アンド・ラブ、テレビジョン、カン、ヤング・マーブル・ジャイアンツ、スペースメン・スリー、ベルベット・アンダーグランド。red go-cartのウスイトモミがコーラスで1曲参加。
2024年2月2日、Galaxy Trainから10曲収録のカセットテープをリリース。
2024年4月17日、KiliKiliVillaからサブスク配信。
・カセット収録曲のリミックスバージョンと追加4曲のデラックスバージョン。
・マスタリングはピース・ミュージック中村宗一郎氏。
Light Is Beyond The Nostalgia - The Moment of Nightfall
Pervenche、h-shallows、red go-cartのメンバーで結成された新バンドによる、現代的なドローン・フォーク。はかなく繊細な音に溶け込むヴォーカル、薄暗く霧がかかった神秘的な世界、その瞬間を切り取る音像作品。4曲入りカセットデビュー作。
The Moment of Nightfall are:
Saito (Pervenche, RMBP)
Miki (Red Go-Cart, h-shallows)
Tomomi (Red Go-Cart)
Yuji (Red Go-Cart)
The Moment of Nightfall 新作を2024年初夏にリリース決定!
新たにtorimaことサトリヨウコ(Penny Arcade、Daffodil-19)がメンバーに加入し、Galaxy Trainから2フォーマットでのフィジカルリリース。
・新曲4曲EP『Maybe Bright Next Morning』カセットテープ
・1st EP『Light Is Beyond The Nostalgia』収録曲リミックスバージョンと『Maybe Bright Next Morning』をカップリングしたアナログ10インチ
KiliKiliVilla presents Penny Arcade x sugar plant
4月27日(土)
下北沢 QUE
open : 17:30 start : 18:00
出演:Penny Arcade、sugar plant
前売 4,000円+1D 当日4,400+1D
2017年の復活から少しづつ活動を再開してきたPenny Arcade、35年ぶりとなる新曲が4月18日に7インチでリリース。sugar plantもまた2018年のアルバム『headlights』から6年ぶりのシングルを5月にリリース、当日会場で先行販売を行う。ともに長いキャリアの中で再び充実した時期を迎えようとしている2バンドによるダブル発売記念ライブを開催。
2017年の復活から少しづつ活動を再開してきたPenny Arcade、35年ぶりとなる新曲のリリースに合わせ新作Tシャツが登場!
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