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THE EARTH EARTH 大嶋耕介(Vo&G) インタビュー

KKV Neighborhood #162 Interview - 2023.3.17
インタビュー、構成 by 小野肇久

青森のMy Bloody Valentine ―― 本人たちがそう呼ばれることにどう思うかは別としても、ここまでマイブラ成分が濃く、そして完成度の高いサウンドを鳴らすバンドは、実は世界中を見渡してもあまりいない。逆に言えば、多くのバンドはあえてその道を避けてきたのかもしれないが、堂々と表通りを歩く彼らには確固たる矜持と信念があるからこそ、この一本道をブレずに前へと進んでこれたのだろう。では、その純度の高いアティチュードはどのように培われ、何をきっかけに創作の原動力となったのか。THE EARTH EARTHの結成から現在までの道のりを振り返りつつ、今後のビジョンについてもVo&Gの大嶋耕介に聞いてみた。

ー基本的なところからお伺いします。2010年春にTHE EARTH EARTHを結成しますが、そのいきさつを教えてください。

僕とドラムのAyakoniqが参加していたバンドが解散し、そこに元々友人だった小川 (Vo&G) と野村 (Ba) が合流してスタートしました。

ー結成時のメンバーは、THE EARTH EARTH以前にもバンド活動をされていたのでしょうか?

僕らはもっとJ-ROCK寄りのバンドをやっていましたが、本当にやりたい音楽ではなかったのでかなりストレスでした。彼女も同じような気持ちだったと思います。結局、そのバンドのメンバーとはうまくいくはずもなく解散しました。他のメンバーはパンクやハードコア・バンドをやっていたり、僕と音楽の趣味が合い、楽器の演奏もできて、当時とくにバンドもやっていないメンバーが合流した、という感じです。

2010年頃のTHE EARTH EARTH (左上から時計回りに大嶋、野村、小川、Ayakoniq)

ー当時、青森のインディーズ・シーンはどんな感じでしたか?

当時の青森にはとくにシーンというものはなかったように思います。それぞれジャンルも違えば世代も違って「ライブをするために集まって企画する」という程度だったような。ただそれが成立していたのは、青森サンシャインというライブハウスがあったからだと思います。みんなそこのマスターが好きで、青森のバンドマンは自然とサンシャインへ集まってくるという感じでしたね。けど、青森サンシャインは5年くらい前に建物の老朽化で閉業してしまいました。

ーその頃、青森でシューゲイザーをやるバンドは他にいましたか?

いなかったです。そもそも「ギター歪ませ過ぎだよ」とか、「声が小さ過ぎる」とか、年上の人に怒られたりするくらいで…。オルタナティブな音楽への理解がほとんどない中でバンドをやっているような感覚でした。

ー青森はスーパーカーの出身地だと思いますが、彼らが青森で活動していたときもそのような状況だったのでしょうか?

僕たちより世代が上なので直接観たことはないのですが、おそらくそうだったんじゃないですかね。ほとんど青森ではライブもしていなかったと先輩から聞いたことがあります。

ーそれでは、当時仲のよかったバンドがいたら教えてください。

岩手のPLASTIC GIRL IN CLOSETとは何回も一緒にライブをしました。隣県に自分たちと音楽性が近いバンドがいるっていうことがとても嬉しかったです。県内にはまったくいなかったので。仲がいいといえばそれくらいかも…。

ー結成当初はどのようなバンド・サウンドを目指していましたか?

まだTHE EARTH EARTHを結成する前の話になりますが、2008年にフジロックでMy Bloody Valentineを観たんですよ。それ以来そのサウンドを完全に再現したいと思ってずっと1人で研究していました。

ーそのマイブラのライブを観る前は、あまりシューゲイザーには興味がなかったのでしょうか?

シューゲイザーで好きだったのは、スピッツの影響でRide、フリッパーズ・ギターの影響でマイブラという感じでした。その他だとThe Beatlesはずっと好きでしたし、あとはネオアコやギターポップ全般をつねに漁っているようなタイプでした。だから「それをいよいよバンドで試せるな」と。あと、当時はFleeting Joysの1stアルバムをよく聴きましたね。

ー個人的に最も影響を受けたアーティストって誰なんですか?

中1の頃なんですが、一番最初にガツンとやられたのはスピッツです。「カッコつけなくてもロック・バンドをやっていいんだ!」って思って。ルックスから音楽性、世界観すべてが自分にマッチしているように思いましたね。初めてシングル「渚」を買って、次にアルバム『インディゴ地平線』も買ってと。ギターはそのちょっと前から兄の影響で始めていたので、そこからスピッツの曲の研究が始まったのですが、タイトルトラックの「インディゴ地平線」のコード進行に感動というか、衝撃を受けましたね。「こういうのアリなんだ!」って。イントロのコードがAからいきなりCになるのがまず驚きで、学校の音楽の先生に話したら「そんなのありえない!でもロックだからいいんじゃないの?」って言われました(笑)。で、そのあとすぐに自分で曲を作るようになりました。いつか『インディゴ地平線』みたいな温かい音像のアルバムを作ってみたいですね。

ーTHE EARTH EARTHが結成された2010年は、2006年頃から興ったネオシューゲイザーが定着して、DIIVやALVVAYSらのドリームポップ勢が新たに台頭してきた時期だったと思いますが、バンドの結成にこれらの影響はありましたか?

結成への影響はとくになかったのですが、The Pains of Being Pure at HeartやRingo Deathstarrは熱心に聴いてました。日本のバンドだとTHE NOVEMBERSも好きでしたね。

ーバンド始動の2010年に、abcdefg*recordがウェブ限定でリリースしたコンピレーション・アルバムに参加しますが、その経緯を教えてください。

完全自主制作で、のちにEP『matador is dead』に収録される曲をレコーディングしてCD-Rで販売していたんですが、それがすごくいい出来だと思ったのと、「何となくこのレーベルよさそうだなぁ」と思って音源を送ったのがきっかけでした。

ーそのコンピに収録された曲が海外で話題になりましたが、どのように評価されましたか?

「本当に日本のバンドなのか?!」と言われてたような気がします。

ー2011年にはUSレーベルのJigsawからデビューEP『matador is dead』をリリースします。こちらもどのような経緯で?

まず、自主制作したCD-Rを、『シューゲイザー・ディスクガイド』を監修された黒田隆憲さんに聴いてもらいたくて送ったんですよ。そうしたらお褒めの言葉をいただいて、ブログや色々な媒体で取り上げてくださって。そこでさらに自信がついて、「これをいろんなレーベルに送ったらどんな反応するかな?」と思って手当たり次第にメールに僕らのMy Spaceを貼り付けてコンタクトを取ったんです。それも海外のレーベルに絞って。

ーどのあたりのレーベルにメールしたんですか?

んー、Club AC30とSlumberlandには送ったはずです。あとは忘れました!日本のレーベルだと「相手にされないだろう」と思っていたのもあって。一応、その前に国内レーベルにいくつか送ってみたんですけど、やっぱり反応がそこまででもなかった。んで、個人的に大好きだったRocketshipのリリースもしていたJigsawからの返信が一番感触よくて。オーナーのクリスが「お前らマジでヤバイな!うちから出してくれよ!」的なテンションでした。ちょうどその時期に東日本大震災があって、停電が復旧してパソコンを開いたら、クリスから「君たち青森だよね?みんな大丈夫?」ってメールをくれいて。僕らはみんな大きな被害もなく無事だったんですけど、「クリス、マジでいいやつ!」って感じで、リリースに向けて色々と進めていきました。

EP『matador is dead』(中央下) とJigsawのトートバッグを掲げるメンバー

ー結成から1年半ほどで海外からの評価が急激に高まったと思いますが、当時を振り返るとその要因は何だったと思いますか?

ん〜、何ででしょうね…。おそらくここまで忠実にマイブラ・サウンドを出せるバンドがいなかったのと、サウンドだけでなく楽曲構成まで研究していたからでしょうか。

ーその研究結果の一部を教えてもらってもよいですか?

1コーラス目と2コーラス目でトニックへ戻らずに、別のコードで小節数を少しズラして違いを出したり、あとはsus4や7thの使い方ですね。マイブラっぽいと言われていたバンドって、リバーブやディレイを深めにかけてるだけで、曲自体もよくないのが多かったみたいだし。あと、まだマイブラの復活作『mbv』がリリースされる前だったというのも大きな要因かもしれないですね。

ーバンドとしても、日本より海外で評価されることを念頭に置いて活動していたのでしょうか?

そうですね。前にやっていたバンドへの反動が大きかったです。

ーそして、2012年6月に1stアルバム『dead matador’s funeral』をDEAD FUNNYよりリリースします。このアルバムはマイブラの『Isn't Anything』を彷彿とさせるUSオルタティブ~シューゲイズ・サウンドを柱に、COLTAR OF THE DEEPERSのようなヘヴィ&エッジーさ、Rocketshipのポップさなども感じさせます。どのようなコンセプトで制作されたのですか?

当時、僕らのライブはすごく評価されていたんですよ。だったら、前回は完全に作り込んだものだったのに対して、今回はライブ感重視で作ろうと。リズムは、基本全員で狭いスタジオに入って一発録り。ボーカル以外のオーバーダビングはあまりしないように心掛けていました。

ー『dead matador’s funeral』を発表したあと、どのような声が届きましたか?

まっとうなロック・バンドとして見られるようになりました。当時はゴシックな雰囲気もあったので、そういうのが好きな人たちもライブに来てくれるようになったり。あとは地元で応援してくれる人が増えましたね、ラジオ局でもオンエアしてくれるようになりましたし。今でも付き合いのある人たちは、この頃に出会った方々が多いです。

ーそういえば、デビューEPとアルバムには “matador” という単語が使われていますが、理由などはあったりするんでしょうか?

まず、“matador is dead” というワードを結構気に入ってたんですよ。で、アルバムを出すときに「続編的な位置付けにしよう」とメンバーで話をしていて、「matadorが死んだから、次は葬式じゃない?」って。アルバムのタイトルが決まる前は“matador is dead 2”と呼んでいました(笑)。

ー2013年には同じくDEAD FUNNYから2ndアルバム『POP CONFUSION』をリリースします。1stアルバムのサウンドを踏襲しつつも ‘calm’ や ‘beautiful future’ 、‘empty boy’ などキャッチーな曲も印象的で、ある意味マイブラの『Loveless』の楽曲構成にも似ているように感じました。これは完全に個人的な妄想なのですが、1stアルバムは『Isn't Anything』っぽく、2ndアルバムは『Loveless』っぽくというような構想があったのでしょうか?

そういう意図はまったくなかったのですが、1stアルバムのときにあった自分の中のルールをちょっとずつ壊してみました。

ーそのルールとは?

1stアルバムの制作時は「わかりやすいJ-POP的構成は極力やらない」、「リバーブやディレイの使用を最小限にする」というルールを課していました。で、少しずつ解禁していくと、もともと自分が好きだったポップスの要素が自然と出てくるようになったり、理想のサウンドにするためにオーバーダビングを徹底的にやり込んだりと。あ、でも ‘beautiful future’ は『Loveless』を意識したかもしれません。あの音像は一回やってみたかったので。‘what you want’ みたいで自分も大好きです。

ー個人的に『POP CONFUSION』のジャケット・デザインが凄く好きなのですが、これはThe Stone Rosesの1stアルバム(ジョン・スクワイアが好きな画家=ジャクソン・ポロック風)と、Spacemen 3『Playing With Fire』のジャケットへのオマージュなのでしょうか?

デザイナーへの発注は、このアルバムを聴いてもらったうえで「The Beatlesの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』みたいな感じにしたい」と伝えていたんです。でも、仕上がってきたのがコレでだいぶイメージが違ったんですが、何か気に入ってしまいこのジャケットになりました。結果的にアルバムの内容に合っているような気がします。確かにジャクソン・ポロック感ありますね。今気がつきました。

『POP CONFUSION』2013年作

ーバンド結成後の3年間に海外レーベルからEP作品を、国内レーベルから2枚のアルバムを発表し、海外バンド=Rational Academyのオープニング・アクトにも抜擢されるなど、とても充実感のある活動を送っていたと思います。『POP CONFUSION』をリリースした頃のバンドの目標を教えてください。

とりあえず、僕たちの音楽を示せる必要なピースが揃ったので、ツアーなどもっと精力的に動いて知名度を上げて、存在感を出したいと思っていました。個人的には、ですが。

青森SUN SHINEでのライブの様子 (2012年頃)

ーしかし、これ以降は活動休止のような状況となりますが、その理由は何だったのでしょうか?

このタイミングで、メンバーの仕事、家族や恋人との関係に変化があった時期で、誰がバンドを辞める辞めないでつねに緊張した状態でした。そして、最終的にVo&Gの小川が「バンドを脱退したい」と言い出したとき、「彼女がいないともうこのバンドは成立しないな」って思ったんです。なので、「バンドをやれるタイミングが来たらまた動こう。だから脱退はしないでほしい」と伝えました。彼女も当時はそれを受け入れてくれたのですが、自分とメンバーとのあいだにバンド活動への温度差がここまであるということが浮き彫りになって、かなり精神的にも参ってしまって、むりやりTHE EARTH EARTHというバンドに蓋をしたような感じでしたね。

ーそれでも、2016年にシングル「near」をリリースしていますが、当時のメンバーで制作したのでしょうか?

そうです。この時期にはメンバーとの関係性も改善されていて、海外でのライブのオファーもあったりして「いよいよ再始動に向けて動き出せるか?」というタイミングでした。僕はバンド用に曲は作り続けていたので、そのデモをベースにレコーディングをしていきました。

ーどこの国からライブのオファーがあったのですか?

上海のLuuv Labelが主催するシューゲイズ・フェスへの出演オファーでした。

ーこの「near」ではシンセが使われていますね。

僕はOasisの『Be Here Now』が好きなんですけど、‘Don’t Go Away’ みたいなストリングスを入れた曲を作ってみたいという実験から、シンセを使ってみました。

ーそれから2年後の2018年に、ミホコ・ラモーンとシラトリを迎えて再始動を行います。

結局2016年の再始動は断念して、それ以降もメンバーには「そろそろやりませんか?」って連絡していました。結局、小川は青森を離れていたのもあるし、バンドへの熱もなくなっていたので参加しないことになって。でも、小川とのやりとりで「THE EARTH EARTHはこれからも続けてほしい」と言われて、そこで考え方が変わって新しいメンバーを入れてやっていこうと決意したんです。それに「自分が一番うまく音楽で表現できるのはTHE EARTH EARTHしかないな」と改めて思いましたし。そこで僕とAyakoniqでミホコ・ラモーンに直接会って「バンドに入ってほしい」と伝えました。

ー実は、THE EARTH EARTHが2022年のレコ発名古屋公演として『DREAMWAVES』へ出演してくれたとき、ミホコ・ラモーンさんから「再始動のメンバーを探してるって聞いて、それならまず私に声をかけるべきって思ったんですよ。古い付き合いなんだから(笑)」というようなことを聞いたのですが(打ち上げ時かつうろ覚えなので若干ニュアンスが違うかもです…)、メンバー探しは難航したのでしょうか?

いや、新しくギター&ボーカルを入れるなら彼女だろうと思っていました。わりとすぐに誘ったような記憶はあるんですが…(笑)。でも、彼女はずっと前からTHE EARTH EARTHのメンバーになりたかったみたいですね。ベースのシラトリは、2013年くらいにバンド内がゴタゴタしていた頃からサポートでベースを弾いてもらうつもりでコンタクトは取っていたんです。で、僕とミホコ・ラモーンで盛岡までプラガ(編注: PLASTIC GIRL IN CLOSET)を観に行ったときに彼も会場にいて。「これはもう今しかない!」と思って改めてバンドへ誘いました。その場ですぐに決定したと思いますが、一応サポートという形での加入でした。何でサポートだったのかはちょっと覚えてないです(笑)。

ー2018年の再始動後はどのような活動を行っていましたか?

まず、その年の夏くらいに僕らの友人が主催するスタジオ・ライブにウォーミングアップ的な気持ちで出演したんですけど、そのライブではすでに ‘peel slowly & see’ を演奏してました。ここから改めてスタートするという気持ちだったので、新曲はマストでした。そこでの感触がすごくよかったので、以降は地元のライブハウスに出演しつつ、新曲を作るためにスタジオに集まって、というサイクルでしたね。

ーそして、2022年にKiliKiliVillaから3rdアルバム『THE EARTH EARTH』を発表します。再始動からどのような流れでアルバム・リリースに至ったのでしょうか?

まず、リリース方法等は後回しにして、とにかくアルバムを作りました。このアルバムを周りの人たちに聴いてもらって、その反応を伺ってからリリースについて考えようと。そこで、以前から僕らのアルバムを聴いてくれていたDJのタカイチヤングさんに音源を送ったところ、「これは自主制作で終わらせるにはもったいない内容だから、一緒にリリースしてくれるレーベルを探そう!」と言ってくださって。いくつか候補をもらって話していくうちに「KiliKiliVillaがいいんじゃないか」となって、タカイチさんがレーベルの与田さんとあいだを取り持ってくれたんです。実際に与田さんが青森まで来てくれて、色々と話をしてリリースが決まりました。やはり僕らの音楽はシューゲイザーという括りだけではないし、根底にあるパンク・スピリットを共有できるレーベルはここしかないだろう、と。

ー再始動から3rdアルバムを発表するまでに4年ほどの年月がありますが、時間がかかった理由があれば教えてください。

実際にそこまで時間を要したという自覚はあまりないです。本格的なレコーディングは2020年の秋に始まって、2021年の夏にはマスタリングまで終えていましたから。ただ、コロナ禍がなければもう少し早く完成はしていたかもしれませんね。

ー3rdアルバムは、1st『dead matador’s funeral』や2nd『POP CONFUSION』のようなオルタナティブ・ロック然としたアグレッシブなバンド・サウンドというよりも、空間を活かした楽曲が多数収録されています。3rdアルバムはどのようなコンセプトで作られたのでしょうか?

これまでの2作品は、初期衝動的に作られた楽曲だったのである種すごくわかりやすかったと思うんですよ。でも今回はそうではなくて、もっと時間をかけて聴き込めるようなものを目指して作りました。なのでこれまで発表してきた楽曲よりも構成は少しだけ複雑だったり、サウンドも細部まで拘っています。「長く楽しめる作品を作ろう」というのと、シューゲイザーという狭い範疇のものではなくて「純粋にロック・アルバムの名盤を作ってやろう」という思いがありました。ジャケットも70年代っぽくして、「このアルバムはずっと昔から存在していたんじゃないか?」って思えるようなデザインになっています。

ー確かに、3rdアルバムは新たなバンド・サウンドの方向性を指し示すかのような内容です。そのきっかけとなったリファレンスがあれば教えてください。

Tame Impalaですね。古いのか新しいのかわからないサウンドが本当に魅力的で、ドラム・サウンドはとくに影響を受けています。ケヴィン・パーカーも、マイブラのケヴィン・シールズも優れたミュージシャンであると同時に、優れたエンジニアでもあるじゃないですか。そういう存在になりたいので、レコーディング機材についてはつねに実験と研究を重ねているのも大きいと思います。それから日常的にラジオをよく聞くので、古い曲や新しい曲をたくさん知れるし、自分の中の音楽感をつねにアップ・デートできるんですよ。意外とその日常が大きいのかもしれないですね。

ーここ数年、バンド・サウンドに影響を与えた作品って他にありますか?

Tame Impalaは『Currents』でして、他にはFlyying Coloursの『Flyying Colours EP』、Andy Shauf 『The Party』、Melody’s Echo Chamber『Melody’s Echo Chamber』ですね。

ーAndy Shaufのこのアルバムは私も大好きなのですが、どのような影響を受けましたか?

この作品って少し音がこもっているのですが、そういうのもカッコイイなと思いました。それか、もしかしたら『インディゴ地平線』の音像に近いからですかね?僕らの3rdアルバムに入っている ‘she don’t’ なんかはかなり意識しました。

ーTHE EARTH EARTHとして活動してきて約13年が経ちました。現在のTHE EARTH EARTHは、結成当初の頃に掲げていたような理想のバンド・サウンドに近づいている感覚はありますか?

うーん、あともう少し!っていうのが何年も続いてますね(笑)。バンドとして演奏スキルがもっとあれば…!と思うことが多いです。

ーそれは、頭の中では理想のサウンドがあるのに、それを鳴らすための演奏力が足りないということでしょうか?それらをDAWなどに頼ることもできなくない時代ではありますが「それはやりたくない」という感じなのでしょうか?

作品においてもライブにおいても、スキルがもっとほしいです。そうすれば「もっとカッコよく鳴らせるんじゃないか?」と思っています。じゃないと、必要な機材を持ってるだけになってしまうので。

ーさらに理想のサウンドへ近づけるために、今後どのようなアプローチが必要だと思いますか?

まさにそれを悩んでいるところですね(笑)。

ーでは、次作の楽曲の構想とかはありますか?

現在取り掛かっているのは、ブレイクビーツとか、リフ主体の曲だったりします。実は最近になってThe Stone Rosesの『Second Coming』のカッコよさにやっと気づいたんですよ!なのでよりアグレッシブでハードなサウンドになると思います。今年中には必ずリリースしたいですね。

ー最後に、今後のTHE EARTH EARTHの目標を教えてください。

何かしらの音楽フェスティバルへの出演と定期的なツアーですね。ライブごとに一定の売り上げを出せるようになってきたので、「バンド一本で暮らしていく!」というのは無理だとしても、バンド活動においては自分たちの持ち出しをゼロにすることをもっと考えていかないとダメだと思っています。結局それが長く続けられる秘訣だろうし。それができなかったから、以前は活動休止をすることになってしまった部分も大きい。すごく現実的な内容ですが、それは今の僕らでは不可能ではないと思うし、もっとメンバーにも積極的に動いてもらって、努力していかなければって感じです。バンド内で制作担当と運営担当という明確な役割もここ数年でできあがったので。それが軌道に乗ったら、次のアルバムはもっと自由に作れるような気がします。

2022年末のTHE EARTH EARTH

【THE EARTH EARTH バイオグラフィー】
・2010年春、同じバンドで活動していた大嶋 (Vo&G) とAyakoniq (Dr) が音楽仲間だった小川 (Vo&G) と野村 (Ba) を誘って結成。
・2010年6月、バンド活動を開始。ハードコア・バンドとも見まがうような勢いと音量、激しいパフォーマンス、そしてポップなメロディで青森のインディ・シーンで異彩を放つ。
・2010年11月、Seaponyを始めとする世界中のインディー・ポップ・バンドが参加したabcdefg*recordのネット・コンピレーション作品に日本バンドとして唯一参加。
・2011年4月、シアトルのレーベル=Jigsaw Recordsから1stミニ・アルバム『matador is dead』を発表。国内外より「『Isn’t Anything』期のMy Bloody Valentineがタイムマシンに乗って現代にやってきたバンド!」と評され話題に。この作品を機に青森県内外問わず多数のイベントに出演が決定。
・2011年11月、オーストラリアのシューゲイズ・バンド=Rational Academyの東京公演でオープニング・アクトに抜擢。
・2012年6月、1stアルバム『dead matador’s funeral』をDEAD FUNNYより発表。
・2013年6月、2ndアルバム『POP CONFUSION』をDEAD FUNNYより発表。
・2016年1月、シングル「near」を発表。
・2018年、数年の活動休止期間を経て新メンバーにシラトリ(B)、ミホコ・ラモーン(Vo&G) を迎えて活動を再開。
・2019年6月、シングル「story is wrong」を発表。
・2022年4月、3rdアルバム『THE EARTH EARTH』をkilikilivillaより発表。

『THE EARTH EARTH』2022年作

THE EARTH EARTH / THE EARTH EARTH
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90’sシューゲイザー、ドリームポップ、チルウェーヴ、90年代以降世界中を侵食した甘美なノイズとインディー・ポップの融合というアイデアがついに日本でも結実。My Bloody Valentineという神話にインスパイアされたフィードバック・サウンドが生み出す最新の結晶。粒子のように歪んだギターと深く滲むウィスパー・ヴォイスで作られた最新のインディー・クラシック、すべてのマイブラ・ファン必聴!

ボーナス・トラックには90’sインディー・ダンス世代のオリジネイター、SUGIURUMNとYODATAROによるダンス・リミックスを収録。

1. horize
2. peel slowly & see
3. cider
4. for the same
5. just like you
6. smoke
7. soon, in the second
8. you will see
9. drapes
10. she don’t
11. magic touch
12. peel slowly & see (SUGIURUMN Remix)
13. drapes (YODATARO Remix)

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