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Homecomings 『Moving Days』 二度と帰らない街への手紙

KKV Neighborhood #91 Disc Review - 2021.5.27
Homecomings 『Moving Days』(IRORI Records)
review by 宅イチロー

 NHKにて放送されていた、「ガンバレ!引っ越し人生」という番組が好きだった。内容はというと、〈引っ越しの数だけドラマチックな人生がある〉というスローガンのもと、新たな街への引っ越しを控えた人々〈引っ越し人〉への密着取材を通し、各々の人生を覗き見るといった内容だ。
 番組には様々な引っ越し人が登場し、引っ越しを迎える折での心の機微や、それに至る事情を剥き出しにした。そこには別れと出会いがあり、諦念と希望があり、まだまだ続く人生へのささやかな祈りみたいなものがあった気がする。
 私自身も今まで幾度の引っ越しを経験してきた。理由は進学や就職や結婚等様々かつ一般的な理由ではあるが、自らが去った街や部屋での情景を忘れたことは1度たりともない。最寄り駅からアパートまでの帰り道、いつも行くコンビニの匂い、酔い潰れた友達が部屋の前に吐いたゲロ、遠出後に最寄り駅へ到着した瞬間溢れる安堵感、全てが尊い。引っ越しとは、自分の住んだ部屋や街ひいては思い出と別れを告げ、一抹の後悔や淡い希望を胸に、後ろ髪を引かれながら新たな門出を踏み出す行為そのものである。それの繰り返しこそが人生という気がしないでもない。
 引っ越しという標題に便乗し、ひとつ思い出深いエピソードを披露させてほしい。私は2004年から2009年までの大学時代、小田急線沿線の祖師ヶ谷大蔵に住んでいた。学生時代の4年半なんてほぼ青春そのものと呼んでいいだろう。2階建ての1階、7畳の1Kという汚く小さな部屋であったが、沢山のレコードやCDで満たされたそこは自分の心象風景そのものだった。
 部屋には頻繁にゴキブリが現れ私を悩ませた。彼らの襲撃に怯えた私は晩飯を削り捻出したお金で3000円の高級ゴキキャップを購入し、室内の各所と専用庭に設置した。その後もゴキブリは普通に現れたが、ゴキキャップは大学卒業まで気休めのお守代わりに設置したままであった。大学を卒業し、地元の企業に就職するため部屋を引き払い出ていく時も、専用庭にあるゴキキャップだけはそのままにしておいた。
 それから長い時を経た2018年。転職し東京の企業に務めていた私は、取引先との打ち合わせのため祖師ヶ谷大蔵を訪れた。あれだけ心を捧げた場所だったのに、引っ越してからの約10年間1度も訪れていなかった。取引先との打ち合わせは15分で終わり、折角だからとかつて住んでいたアパートを目指してみる。改札を出て左、みずほ銀行の交差点を右折し直進。300メートルほど歩くと見えてくる酒屋さん向かい側の小道奥に、それはあった。アパートは私が引き払った時そのままの姿で佇んでいた。当時から崩れかけの外壁は改修されずに経年し、門柱に貼られた浦和レッズのステッカーまであの時のままだ。若りし頃の自分が門の向こうから歩いてくるような錯覚に陥る。ふと住んでいた部屋の庭を見てみると、なんと置き去りにしたゴキキャップまでそのままではないか。黒かった機体は大分白くなっているが、間違いなく私が設置したゴキキャップである。立ち退いてから実に10年、彼はいなくなった主人のためにゴキブリを討伐し損ね続けていたのである。思いもよらぬ再会に謎の感動を覚えた私は、久しぶりに大学時代の思い出に浸りながら笑顔で家路へとついた。目を瞑らなくとも、あの街での日々がすぐに脳内再生される。
 もう祖師ヶ谷大蔵に戻ることはないだろう。私はこれからも何度かの引っ越しを経験し、ささやかな喪失と一抹の希望を胸に新しい街のドアを叩く。そしてその度に、過ぎ去った日々と大切な思い出たちがいつでもそばに居てくれた事を知るのだろう。

 前置きが長くなったが、本題に移りたい。
 Homecomings2年半ぶりのニューアルバム『Moving Days』は、タイトルの通り〈引っ越し〉をテーマのひとつに据えたコンセプト作ともいえるアルバムだ。
 前作からの3年間に、メンバー全員が引っ越しを経験したという。メンバーやバンドの活動拠点だけでなく、所属レーベルにカクバリズムが加わり、リリース元はポニーキャニオンになった。バンドの境遇がテーマの必然性を裏付ける形となったのだ。また、このテーマはHomecomingsというバンドが内包する普遍性を強烈に底上げする。〈引っ越し〉は人生において極めて普遍的な出来事であるからだ。それを一切経験しない人はいないんじゃないかとさえ思う。ライフステージの変化と引っ越しはほぼ同義であり、「住みたい街ランキング」なんてものが未だに関心を集める理由である事に異論はないだろう。
 そもそもHomecomingsが日本語詞を導入したのは、2018年作『Whale Living』が最初だ。それ以前も“クリスマスをしようよ”や平賀さち枝とのコラボ作の中では日本語詞を披露していたものの、ナンバリング・アルバムでは初めての試みであった。
 アメリカ文学や映画等からの影響が色濃い福富氏によるリリックは極めて映像的であり、彼の視点にて描写される世界は美しく解像され、窓から差す一筋の光や柔らかな風さえも優しさに満ちている。それはつまり〈幸せの尺度〉の話であるようにも思う。大きな資本によって豊かな暮らしを築くことは幸せの本質でなく、市井の暮らしにおける何気ない日常の所作にこそ幸せが宿るという話だ。
 サウンドにおいても、『Whale Living』のマインドを前向きに発展させた仕上がりになっている。
 ソウルの薫りをほのかに携えた平熱のグルーヴ、弦や菅を効果的に導入したふくよかなアレンジ。BPMは歩幅のテンポで、一歩一歩を確かめるように。畳野氏による歌唱は確かな記名性を帯び、荒井由実や大貫妙子など偉大なシンガーの影さえ感じることができる。メジャーデビュー作だからといって背伸びをしたり妙な色気を出すことはない。実に誠実なバンドであると思う。
 彼らがデビューしたのは2013年のことであるが、あれからどのシーンにも所属せず、ただ良い作品を積み上げる事のみでリスナーの信頼を得てきた。それはこれからも変わらないだろうし、そうあり続けて欲しいと強く願う。いつまでも、街から街へと移り住む全てのストレンジャー達の背景で鳴っていてほしい。


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