遊佐春菜 インタビュー
KKV Neighborhood #154 Disc Interview - 2022.11.17
インタビュー、構成 by 与田太郎
2021年の12月の”Night Rainbow”の配信からまもなく1年、2022年はCD2枚組とカセットでアルバムが発売となり、先月には7インチもリリース。壊れかけのテープレコーダーズとハバナイ、そしてソロやいくつかのサポートと、数多くのライブ活動をこなしこの1年間を駆け抜けた遊佐春菜。子供時代からバンド結成までの音楽的ヒストリーやアルバムの制作についてまでを語ってもらった。
ーご出身は仙台ですね。
はい。
ー自分が音楽に興味を持ったのはなにがきっかけですか?
音楽はわりと小さな頃から好きで、幼稚園の頃にかぐや姫とかたまが車でかかっていて、母親の友人にたまが好きな人がいて。家族どうしでキャンプにいったりしてたんですけど、そこでもかぐや姫とたまを聴いていました、それで最初にそのふたつが好きになって。あと子供なので光ゲンジとか。
ー当時はやっていたポップスとしてですね。
そのまま小学校にいっても流行っている音楽を普通に聴いてました。
ーそれは小室哲哉全盛の時ですか?
その手前のスピッツ、ミスチル、サザンです。
ースピッツ、ミスチルのデビューは92年、ブレイクは95年ぐらいですね。もう安室奈美恵は流行ってる時期でした?
そんなに意識してなかったですね。
ースピッツはロビンソンの前から聴いてました?
いやロビンソンぐらいからです。
ーミスチルは?
イノセント・ワールドのあとぐらいです。いとこがイノセント・ワールドでハマってそれで教えてもらいました。
ーその頃にはピアノは習っていたんですか?
ピアノは幼稚園から習ってました。
ークラシックですか?
そうです、ヤマハのピアノ教室でした。
ー僕は遊佐さんと知り合って5~6年経ちますが、遊佐さんはいろんな音楽の現場にいますよね?それもけっこうディープな。子供のころは普通に音楽が好きだったけど、どこから今の遊佐さんの活動につながる音楽に入っていったんですか?
スピッツは特別に好きだったんです。ありがたいことに小学校5年生の時にスピッツの野外コンサートに連れて行ってもらえたりしたことも大きいと思います。家でも母がスピッツがラジオに出ると教えてくれたりして、それでNHK FMのミュージック・スクエアという番組を知って、その番組でテレビにでてない邦楽のアーティストを知るようになりました。そのラジオをテープに録音して、曲だけに編集するのをずっとやっていました。
ートークの部分を切ってですか?
そうです。それが自分のミックス・テープというか、グローブとソウルフラワーユニオンが一緒に入ってたりするんですけど(笑)。
ーカセットですよね?
そうです、高校の時に途中でMDになったんですけど。MDだと3倍録音というモードがあって、自分で文字を打ち込んだりして。
ー高校生の時にバンドをやろうとは思わなかったんですか?
高校の時にベースをやろうと思って、友達からベースを借りて、アンプまで買ったんですけど続かなくて。大学でも軽音サークルに見学に行ったんですけど入れなくて。
ーなんでベースだったんですか?
わからないです(笑)。
ーキーボードならすぐにできたと思うのですが?
そうですよね。でもまずスピッツの曲がやりたくて、でも難しくてできなくて。そのうちベースも返してといわれ、申し訳ない感じで返しておわりました(笑)。
ーギターでもなかったんですね。
なんでか自分でも思い出せないです、もしかしたらベースで誘われたんだったかも。でもそのバンドも結局やらずに終わったんだと思います。
ー高校時代に聴いてた曲は年を取っても好きですよね?
そうですね。スピッツ以外でも、それこそ下北沢でやっていたようなバンドやロッキンオンで売り出してるバンドなんかもよく聴いてました。
ーちなみどんな?
ゴーイングアンダーグラウンドとかロストインタイムやアートスクール、シロップ16gとか。たぶん同世代の人たちにはよくわかると思いますけど。あとは中学の時に一番好きだったのがピート・ベストっていうバンドなんですけど、それは好きだっていう人に会ったことがないです(笑)。
ーいまでも聴きますか?
夜中にYOUTUBEで懐かしい曲を探してると止まらなくなって、結局いつも同じの見てたりします。
ー東京には大学で出てきたんですか?
そうです。
ー何学部ですか?
人間関係学科人間関係学部といって、心理学や臨床心理学を勉強するところです。
ーでも音楽サークルには入らず。
そうです、写真部に入りました。
ーそうなんですね。東京に出てきてライブハウスにも行けるようになるじゃないですか?ライブハウスには行ってました?
行ってました。
ーQUEもシェルターも盛り上がってる時代ですね。
QUEにはいってないですが、シェルターはNATSUMENと町田康の対バンとかを見に行きました。
ーそれほど頻繁に行っていたわけではないんですね?
大学1年生の時にできたばかりのZahr The Zooで豊田道倫さんと曽我部さんのツーマンがあって、それに行ってから豊田さんにハマって。それ以降バンドを始めるまでは豊田さんのライブに通ってました。
ー遊佐さんが好きなアーティストはみんな関西アンダーグラウンド感ある人が多いですよね?いまでも。
そうですね。
ー羅針盤とかも好きですよね?
好きです。
ーそれは歌詞の世界観とかですか?
最初はユリイカという雑誌でJ-POPの詩学という特集があって、それを高校生の時に買ったんですね。そこで豊田さんや渚にて、羅針盤、モールスなどを知ってハマっていったんです。ユリイカに出会ったことはけっこう大きいです。
ー遊佐さんの好みの音楽は歌詞の比重が高いですね。
そうなんです。
ーそこから友部正人や友川かずきに行ったりはしませんでしたか?
大学の時にフォークにはすごくハマりました。一番好きなのは吉田拓郎なんですけど。言葉が好きなんですけど、かといって言葉にこだわっているわけではないんです。わざわざ読んだりもしないし。
ー遊佐さんの好きなアーティストを並べてみると言葉の感覚が独特な人が多いですね。
そうかもしれないですね。
ー2000年代前半で東京にでてきて、僕はちょうどゴーイング・ステディーやロストインタイムを担当してる時期ですが、そのあたりは見てないですか?
高校一年の時にアラバキが1回目だったんです、そこでゴイステをみました。ポットショットとゴイステを見て、高一なので思いっきりやられてその年の夏中ゴイステ聴いてました。まわりの友達もみんなハマってましたね、そんなに音楽に興味のない人まで聴いてましたから。自分でも驚くほど夢中になってました。どうしてもライブが見たいけど、仙台ではそうもいかないのでどこかの男子校の学園祭でコピーバンドがでるって聞いて、それを見に行ったりしてました(笑)。
ーそうですね、あの時期のゴイステはちょっと特別でしたね。
最近またYOUTUBEでライブ動画見たんですけど、熱気がすごいですよね。
ー話を戻すと、大学で東京に出てきて音楽を始めることになったのはどういう経緯ですか?
大学時代に古本屋でバイトをしていて、そこで小森に会うんです。
ー彼はもうバンドをやっていたんですか?
そうです。最初はあまり話しもしなかったんですけど、どうやら音楽好きということがわかって。ある時彼がタワーのポイントが貯まったからCDをもらってきたんですね。そのCDがシュガーベイブの『ソングス』とコントーションズの『WHY』、なぜか私もそのCD両方持っていて、「私も両方もってます」って言ったら、え!ってなって。それから音楽の話をするようになりました。
ーすいません、ちょっと話しが戻りますけど洋楽は聴いてましたか?
洋楽は高校の時に少し、というかスパルタローカルズが好きで帯にテレビジョンのことが書いてあってそれがきっかけでテレビジョンを聴いて。
ーいきなり『マーキームーン』なんですね。
そうなんです。それから雑誌とかで情報をチェックしてスライ・アンド・ザ・ファミリーストーン買ったり、クラシックなものを聴いてました。大学の頃には普通に洋楽も聴くようになってたと思います。当時角川文庫で出ていたいろんな人がオススメのアルバムを紹介する本があったんですけど、それに載っているアルバムを探しては聴いてました。
ー洋楽も古いものからなんですね。時代的にはオアシス全盛期ですよね?
オアシスは買いました、ブックオフで(笑)。でもめちゃくちゃな聴き方してますね。
ー洋楽好きな人って系統立てて聴く人が多いと思うのですが、遊佐さんはかなりランダムですね。
最近も考えたんですけど、そういう聴き方もしたいんです。でもそうなると飽きてしまうので、またしばらく寝かせてから出会うみたいな(笑)。
ーでは話しをもどしますね。小森くんと出会って、彼にバンドに誘われたんですか?
すぐにではなくて、小森のその時やっていたバンドが解散することになって、次のバンドを始める時にキーボードをやらないかと言われてです。私はその時4年生でしたけど就職もきまっていたので、やってみようかなと。
ーちなみに就職はどういう仕事だったんですか?
不動産の管理会社です、普通のOLです。
ーそれはハバナイに入った頃にやっていた仕事?
そうです、10年以上勤めました。
ーそして壊れかけのテープレコーダーズとして活動をはじめたのが2007年。
そうです。
ーその当時よく一緒にやっていたのはどんなバンドですか?
最初は高円寺でよくやっていて、UFO CLUBとか。そんなに仲のいいバンドがいたわけではなくて、少しづつ新宿のMOTIONや下北沢のベースメントやスリーに呼ばれるようになって、徐々に広がった感じです。それで2010年に出た『東京NEW WAVE』というコンピレーションに参加して、それにSuiseiNoboAzとかセバスチャンXやシャムキャッツが参加していたので、その世代と同じだと思います。
ーそれで最初のリリースが?
2009年の2月かな。
ー活動をはじめて1年ぐらいでリリースの話がきたんですね。
そうですね。
ーディスク・ユニオンのレーベルですね。
そうです、それで割とすぐにルーキーアゴーゴーに出演できたんです。
ールーキーに出てたんですね。
それが2009年あたり、そのまますぐにセカンドも発売になって。
ーその後ぐらいが東日本大震災ですか?
そうです。3.11があって、その翌年に3枚目のアルバムが出ました。
ーハバナイの存在を知ったのはその頃ですか?
実は浅見さんがハバナイの前にやってた害チューンというバンドの時に知り合いだったんです。2010年ぐらいに害チューンの企画に呼んでもらったりで、けっこう古い知り合いです。ただ私の中では害チューンも浅見さんもあんまり印象良くなくて(笑)。浅見さん、チャラい感じで。なので最初はハバナイがはじまったことも知らなくて、しばらく交流がなかったんです。
ーそれで再会したのはいつ頃なんですか?
2015年にハバナイがリキッドルームでフリーライブをやって、そのあとにO-Westでワンマンがあるからサポートでキーボードやって欲しいって浅見さんから連絡がきて。まあ1回ならいいかって、軽い気持ちで引き受けたんです。
ー遊佐さんって以外に大胆ですよね、あまり考えずに飛び込んでいくことが多いというか。
それもよく考えるんですけど、たぶん断るほうが面倒くさいんです。でもちゃんとサポートで参加する前にチェックしにはいってるんです。新宿ロフトとUFO Clubのライブかな、最初はよくわからなくて(笑)、とにかくお客さんが勝手に盛り上がるじゃないですか。曲も聴きこんでから行った2回目は楽しめました。
ーそれでハバナイのサポートが始まったんですね。遊佐さんがいる時に内藤さんがいるライブはありましたっけ?
1年ぐらい一緒にやってたと思います。
ー彼はどこへ行ってしまったんですか?
私も知らないんです。内藤さんは私が当時もう一つやっていた古宮夏希&コークスが燃えている!のメンバーと仲が良くて、その時期に知り合っていました。彼はもともとフォークとかが好きな人という印象だったんです、それがハバナイではけっこう暴れるキャラになっていて。ちょっと話しは戻るんですが浅見さんてなにか大きな企画、たとえばリキッドルームのフリーライブとかをやると、そのイベントが終わる前に次のことを考えているんです。私だったらそのイベントが終わってから次を考えるんですけど。サポートの誘いも、リキッドのライブのちょっと前に既に連絡をもらっていたので。休もうということを考えないんですね、それが私には驚きでした。
ーそうですね。2015年のリキッドルームから2018年のZEPPまでずっとなにか企画や仕掛けが続いてましたね。クラウドファンディングにしろネット上の発言にしろ、あれは僕もすごいと思ってました。
与田さんがはじめてハバナイみたのはいつですか?
ーたしか2015年のスリーとベースメントをつかったGEZANとキリキリヴィラの共同企画の時でした。
じゃあまだ私はいない時ですね。
ーそうです、そこで"フォーエバーヤング"に衝撃を受けて。歌詞ではなにも言ってないけど、何かがとても強く伝わってきたんです。それで音源聴いたら音が悪くて(笑)。
その音が悪いという感じが私にはわからなくて。
ー僕はダンスミュージック中心の生活だったので、どうしてもハイファイな音ばかり聴いたからでしょうね。曲は素晴らしいのにこのサウンドではDJでプレイできないと思って。ちょうどそんなことを考えてるタイミングでNOT WONKのライブに浅見くんが来てくれて、一緒にライブをやりませんかと言われ、僕は"フォーエバーヤング”のリミックスをつくらせてほしいと言ったのが始まりです。それから仲良くなっていろいろ作るようになったんですが、『Dystopia Romance 4.0』に収録された”FAUST”の再録の時に遊佐さんのボーカルをフルで録音したじゃないですか?あのボーカルだけのバージョンを自分で作ってずっと聴いてたんですね。それが『Another Story Of Dystopia Romance』をつくるきっかけでした。すぐに遊佐さんのソロをつくりたいと伝えたじゃないですか、その時はどういうものをイメージしましたか?
とくになにもイメージできなくて。
ーそうですよね、断るのが面倒くさいという感じですね(笑)。
いやいや、さすがにもっとポジティヴでした(笑)。
ー僕自身もこういうものにしたいというのが最初からあったわけではなくて、遊佐さんの声と曲の世界観がうまく合ったらアルバムというボリュームでもいけるのではないかとなんとなく思ったんです。だから作りながら見えてきた部分が多いですね。でもハバナイのライブの時のフロアの熱気が渦巻くさまって凄かったじゃないですか。これは何度も話してますけど、あの熱気は僕自身が90年代半ば以降にパーティーやレイヴで体験したものそのものだったんですね、それがいまこういうかたちになっているのか、と思って。なのでサウンドのテーマはダンスミュージックにしようとは最初から思ってました。それと、全員ではないですがライブハウスにいる人たちはクラブミュージックを聴かないし、クラブにいる人たちはロックを聴かないですね、そこをクロスオーバーさせたいという気持ちはありました。
お話をいただいたのが2019年の11月ぐらいで、ちょうど『Dystopia Romance 4.0』が出た頃ですね。それからコロナが始まって、実際に制作がはじまったのが1年後ぐらいですね。
ーテンポのいい曲は完全にダンスミュージックにしました、遊佐さんが聴いてきた音楽とは違うと思うのですが、どうでしたか?
それほど知らないスタイルとは思わなくて、それこそ子供の頃には小室サウンドも聴いていたので(笑)。なんとなく90年代的なものを感じてはいました。やっぱり90年代の音楽が好きなので違和感はなかったです。
ー小室哲哉の存在は大きいんですね(笑)、僕はまったく意識してなかったんですが。録音が終わったのが2021年の夏で、そこから半年ぐらい準備をしてシングルでの配信が始まりました。深夜の街や早朝の海での撮影もあり大変じゃなかったですか?
私は過剰なほうが好きなので、今回のスケジュールも大丈夫でした(笑)。音源が完成して、しばらくずっと聴いてたんです。そういうクッションのような時期があって具体的なリリースのスケジュールが動いたのも良かったと思います。作りながらいろんなアイディアを取り入れていくのが良かったです。
1stの時も同じようにレーベルの方が企画を提案してくれてはじまったんですけど、その時はそんなにやる気もなくて、断るのが面倒くさい(笑)ではなくて断っていたぐらいなんです、自分にはできないと思って。でもいろんな人に協力してもらって、人はこんなに誰かのために動いてくれるものかと思い、結果とてもいい作品ができたことが自分の中で生かされてます。当時はライブに関しても、自分の技量がたりないからできないと断ったりもしてたんですけど、やらないと結局次はないと思ったんです。それもあって今回は引き受けた方がいいと思いました。前回のときも作ってる途中で、これはこういうアルバムなんだ、ということがわかってきて、今回も7割ぐらいできた時にわかってきました。
実際トラックは与田さんに作ってもらったんですけど、それは自分よりもいろんな音楽を聴いてきてたり制作の経験がしっかりあるので任せようと思いました。あとからこうすればよかった、というようなこともなかったです。途中から私も思いついたことは伝えることもできましたし。
ーそれはよかったです。「ちょっとちがうんだけど、つたえるのも面倒くさ」ということにならなくて(笑)。
ー2021年の年末の”Night Rainbow”の配信からスタートして、僕にとってもレーベルとしても今回の作品は配信で音楽を伝えることをテーマにしていました。試行錯誤の連続でしたが、フィジカルのリリースでは届かないところまで届けることができたと思います。アルバムやアーティストということではなく、曲が思わぬところに響いてたりするのが嬉しいですね。
ようやくひと段落して自分でもSpotify for Artistをチェックしたりするんですけど、"everything,everything,everything”がいちばん聴かれてるのはなんでだろうと考えたんです。自分ではプレイリストを聴くことはあまりないんですけど、"everything,everything,everything”はプレイリストで再生されることがかなり多いのでいろいろチェックしたんです。そこでジャケットの画像が大事なんじゃないかと思いました。ジャケットのわかりやすさで再生したくなるというか、目で見る情報って本当に大事なんだと感じました。あと"everything,everything,everything”は収録曲のなかでいちばん知られてない曲だと思うので、それもあるのかと。そういうことをあれこれ考えるのがけっこう好きでした。
ーiPhoneを操作する上で画像大事なんでしょうね。
そうですね、だからインスタもちゃんとやろうと思いました。あとアルバムのジャケットを絵にして本当に良かったと思います。これだけ自分の写真がでてきて、アルバムまで自分の写真だったらもう、すいません、って感じになるところでした。
ーイラストはいいアイデアでしたね。当初は漫画家さんに依頼したいと思ってましたけど、アニメーターである佐藤卓哉さんで良かったと思います。特定のイメージにとらわれずアルバムの世界観を伝えることができましたね。
あと全曲リミックスが収録されているじゃないですか?私も若干そうなんですけど、まわりの音楽好きの友達なんかもリミックスっておまけ的なものだと思っているところがあって、リミックスがどういうものか説明してもらえたら嬉しいです。
ーテクノやハウス、ヒップホップなんかのクラブ・シーンでは普通のことなんですが、メインのボーカルやリフを素材にして別のクリエイターがその人の解釈で曲を再構築します。そうなるともう別の曲とも言えるんですけど、場合によってはリミックスのほうがオリジナルを超えることもあったりして。今回だと”everything, everything, everything (beat reprise)”のSUGIURUMN Remixは個人的にはオリジナルよりいいと思います。これはDJカルチャー的な意味合いでもあるんですけど、クラブ・シーン以外の人に説明するのは難しいですね。
リミックスを作ると言われた時には正直意味がわかってなかったんです。私は音楽理解するのに時間がかかるほうで、今回もしばらくたってからそれぞれの曲の良さがわかりました。
ー遊佐さん的によかったのはどれですか?
XTALさんの”Midnight Timeline”が良かったです、まるで現代アートのような印象でした。それからリミックスというのは曲の再構築なんだということに気がついたら、今回のアルバム自体がそもそも浅見さんの曲の再構築だし、音楽は全部アーティストによる再構築だと思い至ってこのリミックス盤がとても重要だと気がつきました。だから2枚組になって嬉しかったです。今回はかかわってくれたみなさんで作り上げたアルバムになったと思います、自分だけの表現ということではなく。
遊佐春菜の次の新曲はもうすでに数曲の制作が進行している。早ければ2023年年明けにも聴くことができるだろう。
自身のバンドである壊れかけのテープレコーダーズをはじめハバナイやソロのライブも多くの予定が決まっている、ぜひライブでの彼女の姿も見て欲しい。
Pervenche x 遊佐春菜
11月19日
下北沢ラカーニャ
open 17:30 start 18:00
前売3,000円 当日3,500 + 1ドリンク・オーダー
チケットの予約はこちら
https://lacana.sakura.ne.jp/reserve.html
遊佐春菜今後のスケジュール
『エグフェス4 ナンバーガール再解散記念』
12月2日(金)
新宿ロックカフェロフト
開場 / 開演18:30
料金2000円(+1D)
💰フライヤー(画面)提示で500円引
Live : 遊佐春菜
Talk : ギターウルフ・セイジ、劔樹人
DJ : 茶々椿、Fujirock Friends、つるはし、CORO
横浜・日の出町の視聴室 その3
12月18日(日)
遊佐 春菜、yagi hiromi
開場 14:00 開演 15:00
チャージ 1,000円(1ドリンク付き)+投げ銭
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