見出し画像

『90's Disc Guide』 クラブから見た90年代という時代のドキュメンタリー

KKV Neighborhood #92 Book Review - 2021.6.4
『90's Disc Guide』松村正人+野田努(監修)(ele-king books)
review by 与田太郎

90年代を振り返る時、どのシーンを起点とするかで見えてくる景色が大きく変わってくる。本書はele-kingらしくクラブという場所を起点として語られる。そういう意味で本書は90年代の音楽シーンの総括や単なる名作のディスクガイドではなく、生々しい進化と変化のドキュメンタリーと言っていい。それは掲載されているカテゴリーの順序にもよく表れている。クラブは最新の曲を聴く場所であり、DJのアイデアを披露する場であり情報交換の場でもあった。クラブで仕入れた情報をもとにレコード・ショップへと足繁く通う毎日、ほんとによくもあれだけレコードばかり買っていたものだ。未来についての不安など微塵もなく、明日のことよりもいま聴くべき1曲のために生きていたといってもいい。クラブとレコード・ショップは当時のリアルなミュージック・シーンを駆動する両輪だった。

しかもその1曲はレコードを買わないと聴けないのだ。新しい音楽をイヤホンとスマートフォンの画面でチェックできるようになって久しい、もちろんこれは喜ばしいことだが、クラブでチェックした新しいトラックをレコードで手に入れることに血道をあげていた当時のミュージック・フリークはみな相当な情熱を持っていた。その身を切る熱意こそが音楽に対するリテラシーと想像力を格段に強くしていた。90年代の東京はシーンといってもごく小さなもので、シカゴやマンチェスターに比べたらあらゆるジャンルが未分化でありひとつのカテゴリーだけを追求すると言うわけにはいかなかった、その混沌がむしろ楽しかったとも言える。たとえば僕のようなインディー好きでもウエザーオールやオークンフォールドをチェックすれば必然的に808やKLFを聴くことになったし、そこからUKのレイヴ・シーンにたどり着き、その後シカゴやデトロイトへも興味が向くしニューヨークのハウスに惹かれたらディスコは避けて通れない。

同じようにヒップホップ・フリークは当然元ネタを探すだろうし、その過程でジャズという沃野を見つける。フリッパーズがブレイクすれば、彼らが参照した音楽を掘り起こす。90年代の音楽好きは過去とオンタイムな現在から見えるちょっとした近未来の両方をつかむ必要があった。そういう意味でも当時は日々進化するサウンドを目の当たりにしていたことを実感する。また本書のリアルなところはレゲエやダブが様々なカテゴリーにインスピレーションを与えていたことを指摘している点だろう。80年代中旬からのレゲエ、スカ・ブームを源流に、その地下水脈は現在まで続いている。

僕にとってのクラブは阿佐ヶ谷Ricky、代々木Chocolate City、下北沢ZOO、Slits、麻布YELLOW、渋谷CAVEそして新宿Liquidroomだった。80年代中旬から90年代を通して音楽好きはとにかく踊ったし、クラブに音楽を聴きに行った。その当時の空気が本書から蘇る。僕自身はサンピンCAMPを分岐点にしたヒップホップ・シーンについてまったく知らなかったが、本書のセレクトから90年代のヒップホップについて相当な熱量と深い意味合いを感じることができた。断片的に見聞きしていたヒップホップをひとつの流れとして認識させてくれたのは個人的に大きな収穫だった。

90年代後半になるとRAINBOW 2000、フジロック、AIR JAM、WIREがスタート。今度はフェスがシーンをリードするその後の10年が幕を開ける。また大小さまざまなクラブがオープンしてようやく個々のジャンルが確立するのだが、90年代のような実験場やサロンとしてのクラブは少しづつ姿を消していった。現在はその全てがインターネットの中に集約されつつある、もちろんその中から想像もつかないような新しい音楽が生まれてくるだろう。しかし、ダンスという行為は身体をともなうし踊ることは自分と対話することであり、また社会と対峙する体験でもあって、自分の中で完結するものではない。だからもう一度小さなパーティーやクラブから思い思いに音楽を楽しむ日々を取り戻す時期が来たんだと思う。本書に収録されたそれぞれのレビューは短いが、90年代の日々が生み出した数々の名曲の背景をDJのように流れで伝えてくれる。

http://www.ele-king.net/books/008166/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?